胃がんステージⅣ、余命1年と宣告された男の奇跡の回復の秘密とは タキソテール+TS-1の抗がん薬治療728日から完治への道のり 第1回

編集●「がんサポート」編集部
(2018年10月)

原島文隆さん

はらしま ふみたか 1951年群馬県生まれ。数社の職歴を経て2016年65歳で定年退社。一男二女を育て上げ、孫を4人授かる。趣味のゴルフは、初心者同様だが健康第一と考え日々頑張っている

<病歴>
2003年 長年患っている尿路結石のレーザー治療を受ける
2004年4月7日 地元の総合病院で「グループ5」に属する胃がんが発見される。手術は不可能と告げられ、抗がん薬治療の説明を受ける
2004年4月8日 紹介資料を持って群馬県立がんセンター(以下、がんセンター)へ。ステージⅣの胃がんと診断される
2004年4月9日 タキソテール+TS-1の抗がん薬治療が始まる
2006年3月 26クール・728日に及ぶ抗がん薬治療の末、腫瘍消失
2010年12月 がんセンターの担当医から完治を伝えられる

51歳の頃より頑固な尿路結石に悩まされていた原島さんだが、7カ月にもわたったレーザー治療の末、ようやく尿路結石治療が終了したと思った矢先、今度は胃に腫瘍が発見され「グループ5悪性」の診断を受け、手術が出来ない旨、告げられたのだった。

今回はダメだ‼ ︎尿が出ない‼

もう随分前になる。正確な年は思い出せないが、ある日突然、背中から腰の辺りにかけて酷い痛みに襲われ脂汗をかいたことがある。一晩中続く痛みに眠れず、朝一番で近所の医院に駆け込んだ。尿検査などをした結果、尿路結石と診断され、痛み止めや結石を溶かす薬を処方され服用した記憶がある。

その後もすぐに良くなったわけではなく、毎年のように血尿と激痛の繰り返しに悩まされてはいた。だがその都度、結石が排出され徐々に楽になっていったこともあり、もうこれで一通り結石が出終わったかな、という安堵感で日々を過ごしていた。

しかし、そんな安堵感も長くは続かなかった。

ある日、「今回はダメだ‼ ︎尿が出ない‼︎」「腹の張りが苦しくて、どうにもならない‼︎」という状態になり、急いで泌尿器科の医院へ診察してもらいに行った。

診察の結果、結石が尿道に詰まったことが原因とわかり、亀頭部先端より尿道へ器具を入れ、膀胱へと結石を落とす治療を受け、尿を排出させたように思う。この治療で一時的には楽になったものの、直ぐに同じ状態になり、再度同じ処置をした。

「これほど酷い結石は初めてだ」

ここで1つ困ったことがある。

それは時期的に5月の連休が迫っており、連休で医院が休みのときに痛みが再発しては大変なので、先生に何とかしてほしい旨お願いすると、亀頭先端部より膀胱まで管を差し込み出口にキャップを付け、排尿がスムースに出来る状態にしてもらい、しばらくの間この状態で過ごしていた。

しかし、いつまでもこの状態でいるわけにもいかず、また排尿がスムースにいっても症状が改善しているわけでもなく、今後どうしようかと思案する日々を送っていた。

そんなある日、時は2003年、吾輩51歳5カ月。長年患っている尿路結石に別れを告げるべく、別の病院にて徹底的に診てもらうことを決意し、いま通っている泌尿器科の医院で紹介状を書いてもらい、別の病院で検査をしてもらった。

検査終了後、担当医が「これほど酷い結石は初めてなので私1人ではどうして良いのか判断しかねます。他の医師とも相談したいので、時間をください」と私に告げた。

数時間後、結論が出たということで、その担当医より説明を受けた。

その結果は、「右腎臓は腫れてほとんど機能していません。左腎臓はかろうじて機能しているものの間もなく機能しなくなり、人工透析が必要な状態になるでしょう」という診断だった。

機能不全に陥っている腎臓機能を回復させるには手術が必要である旨を告げられたことから、数日後、手術を受けるための入院手続きを済ませた。

私の結石は、膀胱より腎臓まで城の石垣のようにびっしりと詰まっていたため、尿道に管が何とか入るような酷い状態だったが、ようやく1回目の除去手術まで漕ぎつけることが出来た。

ようやく尿路結石治療が終了したかと思ったら

その後、数日間の間隔を開けて、何度かレーザーによる治療を受けることで、結石も少なくなってきていた。

そんな折、医師から次回の治療方法について説明を受けた。

「次は腎臓の結石を破壊しましょう。腎臓の結石は水分に浸かっている状態なので、今度こそ衝撃波で砕けると思いますよ」との事だった。

もちろん私はなんためらいもなく、医師の治療計画通り体外衝撃波結石破砕手術(ESWL)を受けることにした。

いよいよ始まった結石破砕手術だが、私は手術中に1つの疑問を感じていた。

しかし、「まさかそんなことがあるわけはない」と、そのまま医師の指示のもと手術を受けていたのだが、懸念していたことが的中したのだった。

破砕手術も終わり、後日レントゲンを撮り、手術結果の説明を受けた。

医師は「腎臓の結石、破壊されていませんねぇ……」と私に告げた。

私はその医師に対して「衝撃波の手術をしてくれた先生は、私の腎臓ではなく尿管の場所に衝撃波を当てていましたよ」と言った。

その医師はぐーの音も出ない状態になった。しまいには「あのバカ、何をやってるんだ」とボヤいている始末だった。

私が手術中に感じていた疑問はこの事だったのだ。これは担当医の単純なミスなのか、それとも申し送りミスなのか……。一気に医師に対する不信感を抱いた瞬間だった。医療に携わる人たちがこんなことでいいのかとも思った。

このような経緯もあったが、7カ月にもわたったレーザー治療、その後10数回のX線撮影も乗り切り、ようやく尿路結石治療が終了となった。

翌月の検診では、2、3個の結石が見つかったが、「しばらくは様子を見てみましょう」との医師の説明に納得し、3カ月後の検診まで自然に任せておくことにした。

しかし、その3カ月を待たずして、再びその病院を訪れることになってしまったのである。

愛犬の空(そら)ちゃんと

「大丈夫ですか?」

私は大のゴルフ好きで、時間があればいつもゴルフに出かけていた。その日もゴルフのコンペがあり、友人の車に同乗してゴルフ場へと向かった。

当日は朝からあまり体調が良くなかったのだが、急にキャンセルするのは皆にも悪いなと思ったし、プレーをしているうちに体調も回復するだろうと思って、予定通りプレーをスタートした。

しかし、体調はコースを進むうちに良くなるどころか、ますます悪くなっていった。息切れが酷くなり、私は自力で歩くことも困難になって、カートにしがみつきながら移動していく有様だった。

私たちのグループの後ろのグループにいた医師が私の様子を見ていて、たまりかねて途中で止めさせようとしていたらしい。それほど酷い状態だった。

それでも私は、何とかハーフを終えることが出来た。その後は、プレーを続けても他のメンバーの迷惑になると思い、クラブハウスのロッカー前に横になって休んでいた。

ホールアウトした人たちが風呂に入るためにクラブハウスに入って来たが、彼らが青白い顔をして横たわっている私を見て、心配そうに「大丈夫ですか?」と声を掛けてくれた。

しかし、友人の車に乗せて連れて来てもらっていたため、1人で先に帰るわけにもいかず、友人たちがホールアウトして来るのを、我慢してじっと待っていた。

その後、友人たちがホールアウトして戻って来たが、私の様子がおかしいことに気づき、直ぐに車に乗せてくれて自宅に戻った。

自宅に戻った私は家内の勤務先に電話を入れ、家に直ぐ帰ってもらうように話した。心配した家内が家に戻って来てくれたので、直ぐに掛かりつけの病院に連れて行ってもらった。息切れが余りにも酷かったので、検査してもらおうと思っていたのだ。

しかし、診断の結果、その病院では手に負えないということで紹介状を書いてもらい、大きな病院へとそのまま向かった。