〝生まれてくれて〟本当にありがとう 結婚前25歳で精巣がんに
土田龍之介さん 有限会社安井ファーム広報担当
ある日、アルバイト先の下宿で入浴中、左の睾丸が鶏卵大の大きさになっていることに気づき、触ってみるとしこりがあった。
「まさか25歳の自分ががんになるわけはない」と思うものの、不安は募るばかり。思い切って近くの診療所を受診するとそのまさかの精巣がんと診断され、「自分の人生は何だったのだ」と思った。しかし、さまざまなつらい時期を乗り越え、結婚して子宝にも恵まれ、仕事も充実しているという土田龍之介さんに、いまの気持ちを訊いた――。
左右の睾丸の大きさが違う……
現在、石川県白山市にある有限会社安井ファームの広報担当として働いている土田龍之介さん。安井ファームのHPには、「2003年頃より水稲、大豆にブロッコリーを加えた複合経営を開始。栽培面積ベースで石川県産ブロッコリーの約3割をシェア、そのブロッコリーは令和の大嘗祭において明治神宮に奉納された」とある。
土田さんは地元石川県の高校を卒業後、食品加工を学ぼうと北海道にある東京農業大学のオホーツクキャンパスに入学。ところが北海道のジャガイモ畑でのアルバイト体験が、土田さんを食品加工から農業生産をやろうと決めるきっかけとなった。
「北海道の大地は本当に広くて、地平線の向こうまで見渡すかぎりのジャガイモ畑。そこに夕日が沈んでいくのがとても感動的で、そのとき農業を仕事にしたいと強く思いました」
ロマンチストである。
土田さんは大学卒業後、希望通り北海道の農業法人に就職。2年間研修を積み、石川県に戻って来る。
「農業をやるにしても、僕はひとりっ子だったので両親のいる石川県に戻ってきたわけです」
そして地元の農業塾に通い、本格的に農業を学ぼうと計画していた。それまで少し時間があったので、実習を積むため長野県のレタス農家にアルバイトに出向く。
2014年2月のある日、下宿先の風呂に入ろうとしたとき、左右の睾丸の大きさが違うことに気づいた。
「それまで痛みなどなくて、まったくその変化に気づきませんでした。大きさは左がニワトリの卵ぐらいで、右がウズラの卵ぐらいでした」
不安になった土田さんは左の大きくなっているほうを触ってみると、しこりがあることがわかった。
「母親が看護師助手をやっていたこともあって、乳がん検診では触ってしこりを捜すということを聞いていたので、しこりが見つかったときに、何となくですが、これは『がんなのかな』と思いました。しかし一方、25歳だったので『自分ががんになるはずはない』、とも思ったりもしました」
精巣がんと告げられる
でも不安は拭えず、ネットなどで自分の症状を調べるのだが、ハッキリとしたことはわからなかった。
その翌日、雨が降り作業が休みになった。
がんではないだろうが、何でもないと安心したくて近所の診療所を受診する。
エコー検査をしただけで複数のがんが見つかり、診療所の医師から大きい病院で精密検査を受けるように勧められた。
土田さんを診察した医師は「これは早く手術したほうがいい」とも告げた。
精巣がんと医師から告知を受けても、最初のうち「ああ、そうなのか」と他人事のように医師の話を聞いていた。
しかし、5分ぐらい経った頃、急に感情が溢れてきて涙が止まらなくなった。
「2年半、厳しい農業実習をやってきて、さぁ、これからという時期に精巣がんを告知されるなんて、俺の人生一体何だったんだろう。そして両親とそのとき付き合っていた彼女になんと言えばいいのだろう。スマホを持ったまま30分ぐらいその場に立ち尽くしていました」
やっとのことで彼女に「精巣がんだった」と伝えると、最初は泣き出したが、「とにかくすぐにでも帰って来て」と言われた。
右睾丸にもがんが
石川県に戻り、改めて総合病院で精密検査をした結果、がんは4つ見つかった。
精巣がんは10万人に1人程度が罹患する稀ながんで、20代から30代の男性が罹患する固形がんとしては最多のがんである。
土田さんの精巣がんは早期で、転移はなかったため、高位精巣摘除術により精巣、精巣上体、精索を摘出し、入院期間は1週間程度で済んだ。
しかし、土田さんは術後、体力が著しく低下していることに気づいた。
元来、体力には自信があったため、あまりの術後の体力低下にはショックを受けた。
それでも農業への夢は捨てきれず、リハビリも兼ね当初の目標通り1年間、農業塾に通い、そこの紹介で2015年4月、有限会社安井ファームに野菜の担当者として就職した。
「就職するにあたって、がんだったことは不利になると思い会社には隠していました。面接にあたっては『体力には自信があります』と言ったのですが、実際は手術前と比べて7割程度しかありませんでした」
仕事が決まったこともあり、交際していた彼女との結婚を意識し始めていた。
術後、定期的に検査に通っていた病院の医師に結婚のことを話すと、「そういうことなら一度、精子を調べておきましょう」と言われ、検査した結果、精子がほとんどいないことが判明。医師から専門の病院で精密検査をするよう勧められ、大学病院を受診。
残った右睾丸を検査すると、「がんのようなものが見えます」と言われたのだった。
「このときは、1回目のときのように睾丸が大きくなってはいませんし、この時点ではがんの確証はまだありませんでした」
確証はなかったものの、「ああ、またがんか」とそのとき思った。
「入社8カ月目ぐらいでしたし、それに自分ががんだということを隠して入社していましたから」
何回かの精密検査をしたものの、はっきりしたことはわからず、開腹して改めて検査することになった。そうなれば、入院しなくてはならず、いつまでも隠しておくこともできない。
クビを覚悟で社長に電話し、「自分はがんかも知れないので、手術をしなければならない」と伝えた。
すると社長からは「取り敢えず体のことを最優先にして」と暖かい言葉をかけてもらえた。何と言われるか不安だった土田さんだが、社長のその言葉に救われた気持ちになったという。