悪性リンパ腫と共に1年、今語る結婚、絆、そして私の役割 元宝塚歌劇団トップスター・愛華みれさんを突如襲った試練とは
1964年鹿児島県生まれ。85年に宝塚歌劇団入団、花組に所属。99年花組トップスターに。華やかな顔立ちと美しい立ち姿の正統派男役として活躍。2001年11月に退団。以降、女優としてテレビ、舞台、ミュージカルなど幅広く活躍中。
抗がん剤治療で全身の血管が激痛に襲われたが、愛華さんはナースコールを押すことができなかった。どのくらいの痛みで「痛い」と言っていいのか、わからなかったのだ――。
「がん」という言葉の重み
左から匠ひびきさん、愛華みれさん、大鳥れいさん ©宝塚歌劇団
インタビューの場に愛華みれさんが入ってきた瞬間、向日葵の花が咲いたみたいにパッと辺りが明るくなった。眩しいほどの笑顔。わずか1年前にがんの治療を受けていたとは、にわかには信じられない。
2008年2月半ば、愛華さんはネックレスを外そうとし、右の首の付け根、鎖骨近くにしこりがあることに気がついた。きつく締めていたネックレスの刺激で腫れたのかと思ったが、翌日になっても、しこりは消えなかった。大きさはゴルフボールほど。触ると柔らかかった。
「その場にいた兄の顔色が変わったので、とりあえず病院に行きましたが、なかなか番がこないので帰ってしまったんです。舞台中だったのでインフルエンザをもらうと困ると思って。でもそれから胸騒ぎがして、眠れない日が続いて……」
再び病院に行ったところ、すぐにCT検査が受けられる病院に行くよう、紹介状を渡された。
「その足で病院に行きましたが、検査後、そのまま地方公演に出かけたので、結果は電話で聞きました。『リンパ腫だと思います』と。でも先生が『悪性』とおっしゃらなかったので、実は私、がんだと思わず、それほど深刻に受け止めなかったんです。ところが『リンパ腫らしい』と周りの人に言うと、皆、顔が曇る。徐々に、もしかしたら私、がんかも……と思い始めました。でも怖いから“がん”という言葉を口に出せなくて。東京に戻るまでのあの2週間が気持ち的にはいちばんきつかったです」
帰京後、癌研有明病院を紹介され、3月5日から本格的な検査を受けた。結果はやはり、悪性リンパ腫。問診を受ける際、告知を希望していたので、すぐに本人に知らされた。同病院内の歯科で奥歯も抜歯した。奥歯にトラブルがあったので、そこから細菌が入って起こる感染症を防ぐためだった。
「兄に『歯医者にも行かされた』と言ったら、ピンときたようです。実は兄の友人も悪性リンパ腫で、化学療法を始める前に歯を抜いたらしくて。最初に私が『しこりがある』と言った瞬間に顔色が変わったのも、その友人のことがあったからです」
高校卒業後、宝塚の世界へ飛び込み、男役トップに上りつめた愛華さん。それまで病気らしい病気はしたことがなかっただけに、まさに青天の霹靂だった。
初めて溢れ出した涙
悪性リンパ腫は、リンパ節や胸腺などのリンパ組織に入ったリンパ球ががん化するもので、特徴的な症状は免疫不全といわれている。具体的には細菌やウイルスに感染しやすくなり、発熱や体重減少などの症状が見られる。だが愛華さんの場合、自覚症状はほとんどなかった。
「ただ3、4年前から、冷え性や貧血、アトピー、蕁麻疹などがひどくなっていました。でもそれまでも季節の変わり目やストレスで蕁麻疹やアトピーが出ていたので、さほど気にしなかった。疲れを感じても、舞台の仕事は無理をして疲れて当然ですから。少々の下痢や吐き気があっても、仕事柄、自律神経がちょっとバランス崩したのかなぁ、くらいに思ってました」
悪性リンパ腫は、ホジキンリンパ腫と非ホジキンリンパ腫に大別される。日本人は大半が非ホジキンリンパ腫で、ホジキンリンパ腫は全体の10パーセント程度。愛華さんは、ホジキンリンパ腫だった。
「検査が進むにつれ、あまりの恐ろしさに知人に電話しました。初めて自分の口で『がんなんです』と言葉にした途端、涙が溢れ出てしまって……」
このとき初めて、彼女は涙を流した。そして病との闘いが始まったのだ。まず、自らの病気をちゃんと知ろうと専門書を開いたが……。
「恐ろしい病気だと書いてあるし、転移の仕方なんて読んだらパニックになりそうで。このまま読み続けたらおかしくなると思い、思わず本を閉じました。
実は私、本田美奈子さんと共演した際、彼女が体調が悪いというので『白血病だと大変だから病院に行ったほうがいいよ』と簡単に口にしたことがあるんですよ。まさか本当に白血病だとは思わなかったから。自分もがんとわかったとき、あのとき美奈子はどんな気持ちだっただろう……と胸が締め付けられました。私も治らない可能性はある。もちろん治ると信じて治療に専念するけれど、もし治らなかったとしても、それを受け止めなくてはいけない。そんな思いの中で、揺れていました」
とにかく前向きに考えよう。そう決めた愛華さんは、4月4日初日の舞台にも最初は立つつもりだったという。
「だから化学療法も、主治医の横山先生と明星先生に、入院せずに受けたいとお願いしました。そしたら『アメリカではそういう例があるけれど、日本ではない』と。『じゃあ、ハリウッド形式でお願いします!』と私。知識がないから言えたんですね。先生には『抗がん剤をしますと伝えて笑ったのは、君が初めてだ』と呆れられました。あまりにもすごいこと過ぎて、どう対応したらいいのかわからなかったんです。極度の恐怖と、やるしかないという諦念と、『がんになっちゃった』と遠くから見てるもう1人の自分がいて、気付いたら『やぁだ、抗がん剤っ!』って大笑いしちゃってました」
4月の舞台は降板。それが発表されると、宝塚時代の上級生を始め、さまざまな人が、実は自分もがんを経験したと伝えてくれた。決して自分は1人ではない。仲間がいる。その思いが、愛華さんの勇気を奮い立たせてくれた。