鎌田 實「がんばらない&あきらめない」対談

原稿も旅行もゴルフもできるうちは好きなようにやって生きていきたい 作家・高橋三千綱 × 鎌田 實

撮影●板橋雄一
構成●江口 敏
(2013年9月)

糖尿病、肝硬変、食道がん、胃がんと満身創痍の無頼派芥川賞作家の飄々たる生きざま

1978年、弱冠30歳にして『九月の空』で芥川賞を受賞した高橋三千綱さんも、今や65歳となった。昨年6月に食道がんの内視鏡手術を行い、経過は順調だが、今年4月に新たに胃がんが見つかった。糖尿病、肝硬変も患っており、満身創痍の高橋さんだが、持ち前の飄々たる生きざまを見せながら、作家活動にいのちを燃やし続けている。同い年の鎌田實さんが、無頼派的な生き方を貫きつつ、病魔と闘ってきた高橋さんが辿り着いた境地に迫った――。

 

高橋三千綱さん

「いい風が吹いてほしいです」と高橋三千綱さん
たかはし みちつな
1948年、大阪府生まれ。父は作家・高野三郎。小学生時代にNHK児童劇団に入り、テレビ・ラジオ・映画などに出演。高卒後、サンフランシスコ州立大学に入学。その後、早稲田大学文学部に入学するが、2年で中退。東京スポーツ新聞社で新聞記者として働きながら、小説を執筆。1978年に『九月の空』で芥川賞受賞。主な著書に『退屈しのぎ』『明日のブルドック』など。最新刊に『猫はときどき旅に出る』がある。糖尿病、肝硬変などに加え、昨年食道がんを手術し、現在、胃がんが見つかっている

 

鎌田實さん

「いやぁ、うらやましいほど面白い人生ですね」と鎌田實さん
かまた みのる
1948年、東京に生まれる。1974年、東京医科歯科大学医学部卒業。長野県茅野市の諏訪中央病院院長を経て、現在諏訪中央病院名誉院長。がん末期患者、高齢者への24時間体制の訪問看護など、地域に密着した医療に取り組んできた。著書『がんばらない』『あきらめない』(共に集英社)がベストセラーに。近著に『がんに負けない、あきらめないコツ』『幸せさがし』(共に朝日新聞社)『鎌田實のしあわせ介護』(中央法規出版)『超ホスピタリティ』(PHP研究所)『旅、あきらめない』(講談社)等多数

食道静脈瘤を潰したあと、食道がんを内視鏡で切除

鎌田 早速ですが、食道がんが見つかったのは、いつでしたか。

高橋 昨年の3月頃でした。

鎌田 もともと糖尿病があって……。

高橋 糖尿病は境界域時代が長く、47歳のときに正式に糖尿病と言われ、そのまま放っておいたら、59歳からインスリンを打つハメになりました。そのうちにアルコール性肝炎になり、肝硬変になって、月に1回、病院で肝硬変の数値を診てもらっていたんです。その検査の途中で、内科の先生が「何かおかしいな」と言われ、外科の先生に診てもらったら、「これは食道がんになってる。内視鏡で取りましょう」ということになったんです。何だか検査の延長で取られたような感じでした(笑)。

鎌田 その手術の前に、食道静脈瘤の治療もされたんですね。

高橋 そうです。食道静脈瘤の治療のために、3回手術を受けました。

鎌田 食道がんの手術前に、静脈瘤が起こっている血管に硬化剤を注射して血管を固め、静脈瘤を潰してしまう治療ですね。そのあと食道がんの内視鏡手術をしたわけですね。それで、ご自身ではがんの切除をしたという感じはあまりなく、検査の延長線上で手術が終わった、という感じだったんですか。

高橋 経過としてはそうなんですが、やはり苦しかったですよ。静脈瘤を潰す3回の手術は、その都度、食事が摂れないですから……。2週間に1度ずつ、3クールという感じで手術を受けたんですが、その間、やはりイヤだったですね。また、内視鏡手術も術後はあまり調子が良くなく、結構苦しみましたから……。

鎌田 もともと糖尿病や肝硬変になったというのは、お酒が好きだったからですか。

高橋 そう、好きなんです(笑)。

小学時代から自ら稼ぎ、一家の家賃を支払った

「小学5年で毎月8,000円のギャラを貰っていました。だから自宅の家賃は、ぼくが毎月5,000円払っていました」と話す高橋さんに「スゴイね」と鎌田さん

鎌田 『九月の空』で芥川賞を受賞されたのは、昭和53年、30歳のときですよね。それまでの人生経路は……。

高橋 いやぁ、もう好き勝手に生きてました。父親がやはり作家だったんですが、常にウチにお金がない。親父は「作家で金持ちの人間は怪しいんだ」と言ってましたけど(笑)。そして、小学生のぼくに対して、「これからは独立採算制でいく」と宣言したんです。

鎌田 自分は自分で食っていけと。

高橋 えぇ、小遣いを含めてです。それでぼくは仕事を探さなきゃならない。新聞配達はカッコ悪い、カッコいいのはタレントになることだと思って、NH Kの専属タレントになったんです。授業料はタダでしたが、入るときの倍率はたしか200倍ぐらいだったかな。

鎌田 カッコいい男の子だったんだ。

高橋 カッコいいというか、生意気だったんです。面接官に「死にそうな金魚を蘇生する方法」とか、「ヤモリの正しい焼き方」とかを話したんです(笑)。そうしたら変わった奴だと言われ、合格になったんです。最初の1年間は研修期間でしたが、5年生のときからギャラがもらえるようになり、それが毎月8,000円くらいありましたね。

鎌田 私は高橋さんと同い年で、同じ時代の空気を吸って生きてきたし、私の家も貧乏でしたからわかりますが、小学校5年生で毎月8,000円貰うってことは、スゴイことですよ。

高橋 そうですね、ぼく自身は裕福でしたよ(笑)。

鎌田 お父さんより裕福だ(笑)。

高橋 「家賃、おまえが払え」なんて言われました(笑)。ひどい親父ですよ。だから、毎月5,000円、ぼくが払ってましたよ。

鎌田 あっ、ホント? 面白い家だねぇ。

高橋 おふくろが生命保険の外交員をやってましたから、生活費はあったはずなんですが、なぜか、ぼくが家賃担当。姉が1人いまして、これが頭が良く、中学生のときに、同級生からお金もらって教えてましたねぇ。

鎌田 高橋さんも頭良かったんじゃないの?

高橋 全然ですね。勉強したことがない。

鎌田 本はものすごく読んだでしょう。

高橋 読みましたねぇ。本は好きでした。親父が作家ですから、家にいろんな本や雑誌があったんです。小学生が普通読めないような本や雑誌を読んでましたね。そして、仕事で貯めたお金で、小学生のときから1人で旅をしてました。とにかく普通の小学生と違うんですよ。

鎌田 素晴らしいねぇ。どういうところを旅したの。

高橋 いちばん最初は、海を渡りたいので、伊豆大島に行きました。帰りは気の向くままに伊豆半島に渡り、高校生たちと一緒に旅館を値切って泊まったりしました。

鎌田 『伊豆の踊子』みたいですね。

高橋 あんな感じの旅でしたね。最初の頃は、小学生が1人で旅をしているわけですから、いろんな人が面倒を見てくれました。横に座っている人と話しているうちに、「今夜はウチに泊まれよ」って声をかけてくれたり、自衛隊員の家に泊まったり、楽しかったですよ。

結局、高校卒業までに全国一周しました。