クリコさん家の「希望のごはん」~介護食を家庭料理にしよう!~

第3回(最終回)/全3回 夫が命をかけて私に残してくれたもの

取材・文●菊池亜希子
撮影●「がんサポート」編集部
(2018年3月)

口腔底がんの手術、食道がんの内視鏡手術を乗り越え、4カ月ぶりに職場復帰を果たしたクリコさんの夫・アキオさん。療養中も復帰後も、彼の心と体を支えてきたのは、クリコさんが作る毎日の〝ごはん〟だった。

好物を食べさせてあげたい。夫の「おいしい!」を聞きたい。その一心で作り続けた介護食メニューは、アキオさんの体の状態に合わせて、日々、進化を続けた。「夫にとって、食べたいものを食べることは生きる希望そのものだった」とクリコさんは言う。その希望を紡ぎ続けたクリコさんは、いま、何を見つめ、何を思うのだろうか。

「クリコの流動食弁当は世界一! おいら幸せ者ぉ~」

クリコ 料理研究家・介護食アドバイザー。結婚後、元々得意だった料理を学び直し、自宅で料理教室を主宰。2011年、夫に口腔底がんが発覚してからは、夫のために「おいしく食べられる介護食」作りに取り組み、ノウハウを確立。2017年7月『希望のごはん』を上梓

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

希望のごはん 夫の闘病を支えたおいしい介護食ストーリー [ クリコ ]
価格:1,404円(税込、送料無料) (2017/12/31時点)

口腔底(こうくうてい)がんの手術、食道がんの内視鏡手術を経て、夫は4カ月ぶりに念願の職場復帰を果たしました。この日のために、手術直後から毎日欠かさず続けてきた口腔リハビリの甲斐もあって、言葉も、ほぼ問題なく発することができるようになっていました。

実は、職場復帰を目指してきた夫にとって、ずっと気がかりだったのは「話すこと」だったようです。手術で口の中を大きく切除したことで構音機能に障害が出て、ちゃんと話すことが難しくなっていました。手術直後から、言語聴覚士の先生から出された課題に、毎日、驚くほど熱心に取り組んできたのです。きちんと発音できるようにならないと仕事に戻れない、という焦りがあったのだと思います。

首周りに手を当てて歯をカチカチ嚙み合わせると、顎(あご)だけでなく、首の筋肉がかすかに動く。その筋肉は肩や背中にも繋がっており、実は「噛む」「飲み込む」とは、首、肩、背中といった上半身のさまざまな筋肉が連動して動き、その結果としてできる動作なのだ。口腔リハビリとは、病や老化で低下した上半身の筋力を高めるとともに、舌や唇(くちびる)など口中の筋肉を鍛えて、「噛む力」「飲み込む力」を取り戻す訓練だ。それは同時に、声に出して言葉を正しく発する訓練でもあった。

朝、昼、晩の3回、毎食後に40分間。首周りを柔らかくする運動や、口周りの筋肉を鍛えるために「あ、あ、あ、う、う、う」と短い言葉を歯切れよく発する練習など、リハビリメニューは多岐に渡りました。私も美容のためと理由をつけて、毎日、一緒にメニューをこなしました。中には背中マッサージなど、私がしてあげるものもあって、始めは義務だったリハビリが、いつしか、食後の楽しい時間になっていました。とくに早口言葉が盛り上がりましたね。2人でいろんな早口言葉を探しては、どちらが早く、上手に言えるようになるかを競いました。

「きゃりーぱみゅぱみゅみぱみゅぱみゅ あわせてぱみゅぱみゅむぱみゅぱみゅ」

当時は野田総理大臣が誕生したころだったので「のだだな、のだだな、のだなのだな」とか。(笑)

継続は力ですね。最初は8割ほどしか聞き取れなかった夫の話が、薄皮を剥ぐように、少しずつはっきりしていって、手術4カ月後、職場復帰するころには、慎重に話せばほぼ完璧にわかるようになっていました。

加えて、このころには口の中の手術の傷もかなり馴染んできて、食べ方もしっかりしてきました。手術直後は20倍粥(かゆ)も食べられなかった夫が、全粥(米の5倍の水で炊いた粥)を、ゆっくりと噛みしめながら食べられるようになっていたのです。そして、「入れ歯第1号」が手元に届いたのもこのころでした。

入れ歯といっても、夫はインプラントの左奥歯の歯冠(しかん)が1本しか残っていない状態でしたから、この歯冠と、右に残った2本の支柱に引っ掛ける形で作ったオモチャのようなものでした。作ってくれた歯科の先生は「咀嚼(そしゃく)の補助にはならないと思うけど……」と言いましたが、とんでもない。それまで、インプラントの歯冠1本だけでは到底食べられなかったものが、新たに食べられるようになったのです。入れ歯ができた日、夫は喜々として「クリコ、今日の夕飯、ごはん炊いといて!」と電話してきました。5カ月ぶりの「白いごはん」。夫はひと口含み、「うまぁ~い!」と歓声を上げて完食しました。

口腔リハビリの成果と入れ歯のおかげもあって、食べられるものも増えていきました。けれど、職場で仲間と一緒に昼食をとることはなかったようです。限られたランチタイム、仲間に気を遣わせたくはなかったのでしょう。夫の希望で、職場には毎日、私が作った「流動食弁当」を持参しました。昼休みという短い時間で食べることを考えると、自宅のようにたっぷり時間をかけるわけにいきません。シート肉の生姜焼き、ハッシュドビーフ、クリームシチュー、ピュレのつけ合わせなど、夫が食べ慣れていて、比較的短時間でスムーズに食べられるものを選んで、毎日、お弁当箱に詰めました。

ただ、みんながランチタイムに外食する中、夫が職場で1人、お弁当を食べている姿を想像すると、なんだか切なくて心配でした。そんなある日のお昼どき、メールが届いたのです。

「クリコの流動食弁当は世界一!おいら幸せ者ぉ~」と。

後に、夫の同僚から「彼はね、あなたの作ったお弁当を、毎日、手を合わせてから食べていたよ」と聞いたときは、嬉しくて涙が止まりませんでした。

進化し続ける介護食メニュー

「今、介護食を作っている方、作ろうとしている方に、1人でも多く、私がたどり着いたレシピを届けたい」と話すクリコさん

入れ歯を装着して数日後、初めて2人で外食にチャレンジしました。夫が選んだのは、ある有名洋食店。「タンシチューと海老のマカロニグラタンセット」という看板メニューに釘付けになっている夫に、「お肉は分厚いし、海老はプリプリの弾力だし、さすがに無理よ……」と尻込みする私。そんな私の心配をよそに、夫は目を輝かせながらタンを小さく切って口に入れ、「おいしい!」とひと言つぶやくと、黙々と食べ続けました。そして、なんとタンシチューを完食。海老グラタンの海老だけは、さすがに噛めず、悔しそうに残していました。

タンシチューが食べられたのだから、もっといろんな料理が食べられる! そう確信した私は、まず、大好物なのにどうしても食べられなかった「海老」を食べさせてあげたいと思い、早速とりかかりました。海老はプリプリだから無理だと思っていたのが大間違い。シート肉と同様、海老のつみれを作り、そこに干し海老をミキサーにかけた粉を混ぜて風味をアップ(これがポイント!)。その生地を、絞り出し袋に入れてギュッと絞れば、あら、海老の形によく似てます。そこにきめの細かいパン粉をまぶして油でさっと揚げれば、「海老フライ」の出来上がり。

ふわふわ海老すり身の海老フライ●付け合わせは野菜ピュレで

ふわふわ豚シート肉のトンカツ●箸で簡単に切れる柔らかさ

「え? これ、海老フライ?」

驚く夫にドヤ顔の私。

「うまい~! ふわふわの海老フライだ~!」

この笑顔がたまらないのです。

そうそう、パン粉にも干し海老の粉を混ぜると、グッと香りが立って食欲をそそります。後に、舌がんで味覚を失った方が連絡をくださって、「この海老フライは、味がしない私でも香りが楽しめて嬉しい」と言ってくれました。香りが立つと嗅覚が刺激されるのですね。

海老フライ完成の勢いで、もちろん「海老のマカロニグラタン」も作りました。海老のすり身を絞り出し袋に入れて、海老フライのときより出口を小さくすれば、小さい海老も簡単に作れます。柔らかく茹でたマカロニを1㎝ぐらいの長さに刻み、ホワイトソースに海老のすり身とマカロニを混ぜて、オーブントースタ―で焼けば完成。

こうなると、もう止まりません。次は、トンカツに挑戦です。豚シート肉を何枚か重ねて厚みを持たせ、そこに細かいパン粉をつけて揚げたら、「ふわふわ豚シート肉のトンカツ」ができました。

見た目は、トンカツそのもの。これを出したときの夫の喜びようは半端じゃありませんでした。

驚いたことに、シート肉を重ねて厚みを持たせたら、肉がさらに柔らかくなったのです。箸を通すだけでスッと切れるほどの柔らかさ。これには、作った私自身が驚きました。もちろん、トンカツもわが家の殿堂入り。いつでもササッとトンカツが出せるように、シート肉を重ねて、90g、120gと幾通りかの塊を作ってラップで包み、冷凍庫に常備するようになりました。

ちなみに、揚げ物をするときのパン粉は、普通のものだと、きめが粗くて口の中に刺さってしまうため、「細かいパン粉」を使いました。最初はミキサーでパンを細かく粉砕していましたけど、今はすごいですね、スーパーマーケットで「細かいパン粉」も売っています。このトンカツをパンで挟むと、まさに「とんかつ まい泉」のヒレかつサンド。夫はパンは食べられませんでしたが、私はサンドイッチにして、今でもよく食べています。