仕事をしながら療養する

がん経験を糧に起業啓蒙活動へ挑戦

取材・文●菊池憲一(社会保険労務士)
(2013年3月)


阿南里恵さん

阿南里恵さん(30)は、23歳のとき、子宮頸がんを告げられた。6時間の手術で、子宮、子宮を支えるじん帯、周囲リンパ節を摘出。急激に体力が衰え、会社を退職。後遺症を抱えながらいくつかの仕事を経験し、26歳のときイベント会社を設立。現在は、学校で「命の授業」を始める傍ら、公益財団法人日本対がん協会の広報担当として活躍中。

やりがいのある仕事と子宮頸がんの告知

東大阪市出身。地元の専門学校を卒業し、東京の大手製造会社に入社。収入面、保障も充実していたが、自分の意思ではなく、会社に左右されて働くのが嫌だった。仕事にやりがいを感じなかった。1年半の勤務後、退職。都内の不動産販売ベンチャー会社に入社した。一生懸命働いた分だけ、歩合制の給与が上がった。激務だったが、やりがいがあった。

そんなとき、生理でもないのに出血が続いた。受診した婦人科診療所の医師から「子宮頸がんが進んでいます」と告げられた。翌日、国立がん研究センター中央病院を受診。数日後、両親と一緒に説明を受けた。子宮全摘になるかもしれない。手術の後遺症で、リンパ浮腫で足にむくみなどが出る可能性がある、と言われた。会社には休職を願い出た。

2004年11月、実家に戻り、大阪府立成人病センターに入院。腫瘍を小さくする抗がん薬治療をしたあと、2005年1月末、子宮全摘、周囲のリンパ節切除の手術を受けた。「治療費と生活費は、民間保険会社のがん保険から支給された約100万円が役立ちました」と阿南さん。

退院後、国立がん研究センター中央病院に転院。外来で骨盤への放射線治療を受けながら、職場復帰を目指した。しかし、体力は衰え、歩くだけで息切れがした。休職して6カ月、退職を決めた。突然、病気で仕事を奪われただけに悔しかった。会社の送別会で「私は、いつか社長になります」とスピーチ。人生のリベンジを誓った。

ベンチャー企業での激務と無念の退職

再び、大阪に戻った。治療の後遺症と闘いながら、パソコン教室の受付などのアルバイトを始めた。少しずつ体力が戻り、創業への夢が膨らんだ。1年ぶりに東京に来た。幸い、保育園を運営するベンチャー企業に採用され、ベビーシッターを派遣する部署に配属された。約40人のベビーシッターをマネジメントする仕事だ。都心でのニーズは高く、派遣先が増え続けた。業務連絡の電話は鳴りっぱなし。忙しかった。

しかし、残業が続くと足がむくんで、翌朝38~40度近くの熱が出た。勤務して1カ月後、上司に子宮頸がんで手術したことを話した。そして、勤務は週5日で、正午から午後9時までに変更してもらった。それでも、残業をせざるをえない日もあり、「何とか乗り越えようと無理すると、突然熱が出て動けなくなる。会社勤務に限界を感じた」。結局、約2年間勤務した会社を辞めた。

がん体験を活かし新たなことに挑戦

2009年10月1日、たくさんの友人・知人の協力を得て、イベント会社を設立した。26歳のときだ。音大生を結婚式場などに派遣して演奏してもらう。会社名は、株式会社グローバルメッセージ。自身のがん体験から生み出された言葉だ。がんになって、感謝を知った。感謝に報いたい。自分が死んだとき、まわりにたくさんの幸せを残せるように生きたい。たくさんの幸せは、自分が死んでも残る。人としてつながり、次世代につなげていく。そんな思いを込めた。

会社設立後、体力的には楽になったが精神的には何10倍もきつくなった。お金が減っていく恐怖と1円の売上げを上げる苦しみ……。お金のことばかり考えるようになった。設立1年目、自宅で急に立てなくなり、救急車で病院に搬送され2週間入院した。原因は不明だった。

手術後5年が過ぎた2010年4月、検査結果は良好で「経過観察」が終了した。そのころ、子宮頸がんのワクチンが承認された。全国各地の保健所や学校で、啓蒙活動が盛んになった。まだ20代で、子宮頸がんを公表している人は少なかった。

都内のある保健所に、講演を申し出た。中学校で「命の授業」が実現した。中学生にがん体験を話した。髪の毛が抜けたこと、むくみや発熱に苦しんだこと、子宮がないため子どもを産めないことも話した。「それでも、がんになる前の自分より今のほうが幸せ。自分なりの幸せを見つけたい。人生をあきらめない」と話した。それから、全国の中学、高校、大学から「命の授業」を依頼されるようになった。

そんなとき、公益財団法人日本対がん協会から「広報担当の社員になりませんか」と誘われた。悩んだが、自分の会社は存続したまま協会に入社した。2012年4月10日、広報担当の正規職員に。1年契約の年俸制。勤務時間は月から金の、9時30分から17時30分まで。雇用保険、厚生年金、健康保険に加入した。

ワクチンの話題が落ち着いたころ、がん検診が注目され、さらに、2012年度から2016年度までを対象とした「がん対策推進基本計画」に、がんの教育・普及啓発が個別目標として新設された。協会では、たくさんの巨大プロジェクトが動き始めていた。その1つが、実行委員長・アグネス・チャンさんのリレーフォーライフ横浜実行委員会によるイベントだ。日本で最大の寄付金を集めて、医師の米国研修の費用、がん研究の研究費の助成などを行う。

事務局長を任され、2012年9月のイベントは大成功だった。「常にグローバルメッセージという言葉を忘れずに、協会での役割をきちんと果たしたい」と笑顔を見せた。

キーワード がん保険

阿南さんは、たまたま入っていたがん保険がたいへん役にたちました。がん保険に加入するときは、入院給付金や手術給付金、がん診断給付金をいくらに設定するかがポイントです。また、最近は、医療の進歩で通院によるがん治療が増えており、がん通院給付金、がん外来治療給付金、通院給付金などの特約名で、通院保障が充実した保険商品も出ています。先進医療の特約もあります。十分に吟味して自分にあった保険を備えておくことも大切です