「がんばらない」の医師 鎌田實とがん患者のこころの往復書簡 金子淑江さん編 第1回

(2005年8月)

私に奇跡は起こせないのでしょうか。またひとつプロセスが、前進したようです。

[金子さんの治療経過]

2001年
7月
卵巣がんと診断される。手術を受け、術後にタキソールとカルボプラチンにて抗がん剤治療。セカンドルックオペレーションにてリンパ節郭清
2002年
3月
退院
7月 腫瘍マーカー上昇
9月 呉のがん専門病院へセカンドオピニオンを求めたのち、転院。再発が判明。再手術を受け、術後にタキソールとカルボプラチンにて化学療法。7クール目にカルボプラチンにアナフィラキーショックをおこす
2003年
5月
退院
10月 マーカー再発。タキソールのみで治療を開始。さらにカルボプラチンを再投与するがマーカーは下がらず
2004年
3月
肝転移が見つかる
5月 セカンドオピニオンを求めた四国のがん専門病院でイリノテカンとドセタキセルにて化学療法
8月 腫瘍マーカー上昇、画像上でもがんの増大を認める。抗がん剤をイフォマイドとランダに変更し、化学療法
11月

腫瘍マーカーが200→600→1000→1300と上昇。抗がん剤をマイトマイシンとイリノテカンに変更し、化学療法。
2005年
5月
腹水がたまり出す
金子淑江さん

かねこ よしえ
広島県在住。48歳。2女の母。2001年に卵巣がんの診断を受け手術。術後化学療法後の02年再発。再手術を受け術後化学療法を受ける。04年肝転移の診断を受け、現在も抗がん剤にて治療を受けている

金子さんのブログ「患者の達人目指して!!」
http://blogs.yahoo.co.jp/kanzyanotatuzin_1955

がん患者・金子淑江さんから 医療者・鎌田實さんへの書簡

鎌田實様

「がんサポート」編集者の方から松村さんと先生の往復書簡が掲載されている全ての雑誌を送っていただき、昨日の夕方から一気に読みました。いくつかは、リアルタイムに読んだものもありました。

1回目の松村さんの手紙を読んで、何だかやるせなくて、仕方ありませんでした。彼女の発する言葉は、私の中の細胞1つひとつに染み入るように溶け込んできます。なんて、透明感のある文章を書く人なのでしょう。人が人として生きていくことの哀しみに、私の魂は震えてしまいました。

実は自信を失くし、後悔しています。編集者の方から、「松村さんの後を引き継いで、鎌田先生との往復書簡を……」とお話があったとき、とても嬉しくて簡単に引き受け過ぎたのかもしれません。

松村さんには12月のNHK「生活ほっとモーニング」で初めてお会いしましたが、6月の番組や7月の番組で彼女が話していたことは、彼女の言葉でありながら私の思いそのものでした。そんな気持ちでいたので、12月にお会いしたときも、初対面という気がしなかったのです。

松村さんの後を引き継げる私は、誇らしげでさえありました。

しかし、彼女が書いた文章が持つ力は圧倒的です。私に彼女を引き継ぐ力などあるでしょうか。

松村さんのお別れ会が4月1日にありました。先生にお会いしたのも、その会場でした。なかなか厳しい私の現在の病状と、これまでの経過を聞いて、先生は正直お困りだったかもしれません。

でも、私は自然退縮で「がんに勝つ」という決意表明をして、先生にも力強い握手で応えていただきました。先生の手の温もりは、私を間違いなく勇気づけてくれたのです。

私は頑張らないけど諦めないことを、改めて決心しましたが、「松村さんのピュアな感覚の前では、自分があまりに俗物に思えてしまう」と周りの人に打ち明けました。すると、編集者の方も、NHKのスタッフもみなさん「それぞれ違うからいいんですよ。金子さんには金子さんの良さがあるんですから」と言ってくださいました。

勿論、もちろんそうです。解かっていても私は何だか、こんな自分を恥じてしまいます。

私は生きることに貪欲です。搾り出すように心の奥の1点から、生きたいと望んでいます。いえ、私自身が平均余命より早死にするかもしれないこと自体を、そんなに不幸と考えている訳ではありません。でも、母親を早く亡くす子どもは、ちょっと不幸かなと思います。

私は1日でも1時間でも、1分1秒でも長く、子どもたちの傍で母として生きたい。なりふり構わず「生」にしがみついています。

夜フトンの中で「どうか、おとなしく動かないで。私のがん」と細胞に語りかけ、手で触って自分自身に『気』を送り続けます。

「大丈夫。私はまだ大丈夫、元気よ! 東京へも行ける!」私は自分に言い聞かせるのです。

ここまで書いて、治療の為に入院しました。

なぜ、日本では標準的な治療が受けられないのか

鎌田先生。

私に奇跡は起こせないのでしょうか。

またひとつプロセスが、前進したようです。

私が海を渡って治療を受ける意味はまだあると思われますか。私に残された時間が少なくなっているのだとしたら、家族と離れて暮らすことに意味があるとは思えないのです。体力的にも経済的にも厳しい状況です。

個人の医師の力で、どうにもならないことは重々解っているつもりです。

それでも私は夢見てしまいます。

これまで会ったレジデントの中で、一番本音をぶつけることができる現在の私の担当医が、私の望んでいる治療を何とか実現してくれるのではないかと。医療者に幻想を抱いてはいけない。医学には限界があるのだと、常日頃から豪語している私でさえも、自分の状況が悪化する中では、そんな理屈は打ち砕かれます。私は恥も外聞もなく、TVドラマのヒーローのようなドクター像を自分の担当医に重ねてしまうのです。

私は想像します。

レジデントがクロノテラピーを実践している先生に電話して「僕の患者さんがクロノテラピーを希望しているので、やり方を教えてください」と聞いたら、その先生はどう思い、なんと答えるのでしょう?

「自分で文献を読みなさい」と言うのでしょうか?

それとも、自分の所へ電話してきた勇気を買うのでしょうか?

抗がん剤治療に携わっている医師たちが、副作用のない、効果の高い治療を実践しているその先生のやり方に、もっと興味を持って欲しいと願います。

彼が実践しているのは特別なことではなく、欧米などではポピュラーな標準的な治療なのだと、彼自身も言っています。

何故、その普通の治療が日本ではできないのか。

何故、患者のための治療が根付かないのか……。

その医師からレクチャーを受けたレジデントが私のベッドサイドに来て、こう言うのです。

「今回の治療はクロノテラピーでやってみよう」

無理だって解かっています……。

肺転移の疑いあり

今回、治療前のCT検査で「肺転移の疑いあり」という所見から、胸のCTを撮ることになり私は相当ショックを受けました。実際は肺自体への転移はなく、胸膜播種ではないかという結論です。マーカーは久々に3桁になるという画像とは裏腹な数値でした。

私はたとえマーカーが下がっていても、CT上に新たに見え始めたものがあるというのは増殖ではないのかと問いました。耐性のできたがん細胞が増えていると考えられないことはないと、レジデントの答え。

私は薬のチョイスは今のままでいいのか、抗がんスペクトルの長いものを使うという選択肢はないのか、またはジェムザール(一般名ゲムシタビン)のような肺がんにも卵巣がんにも効果のある薬に変えるということはできないのか、さらに彼に聞きました。

ああ、そうです。ジェムザールは日本では卵巣がんに、まだ保険適用されていません。

結局、主治医もレジデントも、現在使っている抗がん剤に効果ありという評価だったので、前回と同様の治療をしました。

では、どこへ行けば国際標準治療薬で可能性のある抗がん剤を、保険適用外でも使ってくれる病院がありますか。効果が高まるとされるクロノテラピーを実践してくれますか。そして副作用のない化学療法をしてくれるというのですか。

残念ながら、私の周りには見当たりません。

私は悔しくて泣いてしまいました。延命できる可能性がありながら、使えない治療薬があるという現実に無性に腹が立って。

臨床医を目指すというレジデントに、私は言いました。

「先生。臨床医を目指すなら、これからは私みたいな患者増えるよ。要求する患者」

彼は答えました。

「うん。要求されるならまだいいよ。患者さんに見捨てられるよりは……」

この答えは私の支えです。要求されることを覚悟して欲しい。これからの患者は多くの情報を得て、具体的に医療者に迫るようになるでしょう。

これまでのように、ただ助けてください、お願いします。というのでなく、可能性を求めて、自分の望む治療を要求してくるでしょう。

そのとき、医療者の組織の中で、病院という機構の中で、医療という制度の中で、その要求に応えていくことの困難さに悩んで欲しい。何がそれを困難にしているのか、気付いて欲しい。

心と身体は本当につながっているのですね

治療後も私は混乱していて、いつも以上に家が恋しくなり、逃げるように退院してきました。副作用からの回復にも、より多くの時間を要した気がします。そんなとき、血液管理をしてもらっている近所の総合病院へ採血に行きました。そこの先生に、今回の治療の話をしたら、「良い結果と悪い結果が出た場合、僕は良い結果のほうを信じますよ」と言われ、崖っぷちで下を覗き込んでいた私は、安全な場所まで戻ってきました。

「僕は楽観的なんですよ」。彼は、いつもの温和な笑顔で私にそう言ってくれました。

私はその先生に「詐欺師になれそう」なんて失礼なことを言って、師長さんから「それは言いすぎよ」と笑われてしまいましたが、あのひと言でずい分気持ちが楽になったのです。

先生。鎌田先生。心と身体は本当につながっているのですね。私はあの日から少し元気になりました。医療者の言葉は力を持っています。免疫力や生きる気力を奮い立たせることもあれば、その逆もあります。

お別れ会の会場で私の手を力強く握ってくださった先生の温もりを思い出しながら、私は次の治療に臨みます。

金子淑江

鎌田實様