赤星たみこの「がんの授業」
【第三十一時限目】がんと不妊 がんの治療と妊娠・出産の問題を考える
赤星たみこ(あかぼし・たみこ)●漫画家・エッセイスト
1957年、宮崎県日之影町(ひのかげちょう)のお生まれです。1979年、講談社の少女漫画誌『MiMi』で漫画家としてデビュー。以後、軽妙な作風で人気を博し、87年から『漫画アクション』で連載を始めた『恋はいつもアマンドピンク』は、映画化され、ドラマ化もされました。イラストレーターで人形作家の夫・新野啓一(しんの・けいいち)さんと、ご自身を題材にした夫婦ギャグをはじめ、あらゆるタイプの漫画で幅広い支持を得ていらっしゃいます。97年、39歳の時に「子宮頸がん」の手術を受けられ、子宮と卵巣を摘出されましたが、その体験を綴ったエッセイ『はいッ!ガンの赤星です』(『はいッ!ガンを治した赤星です』に改題)を上梓されました。
知人に、慢性骨髄性白血病を発症し骨髄移植を受けた人がいます。20年まえの手術ですが、今も元気に過ごしています。しかし、その移植手術の前の抗がん剤投与が原因で、彼女は不妊になってしまいました。手術後、何カ月たっても生理が来ず、医師に尋ねると「生殖機能がだめになったので、もう生理はありません」と、サラッと言われたそうです。数秒後、それは「もう赤ちゃんが産めない」という意味だと理解したとき、彼女は生きる意味が見出せないほどに落ち込んでしまったそうです。
手術の前に不妊になるとわかっていれば、ここまで落ち込まなかったかもしれません。でも、手術して、数カ月後にいきなり「あなたはもう子ども生めませんよ」と告げられるのは、ショックも大きかったと言います。
骨髄移植でなぜ不妊になるのかは後で詳しく述べますが、このことを知っているのと知らないのでは、術後の生活や将来の計画に大きな差が出てくるわけですから、医師は事前にキチンとわかりやすく説明して欲しいものだと思います。
妊娠・出産を人生の一大事と考える人もいれば、「命のほうが大事」と割り切っている人もいます。人によって不妊に対する思いはさまざまですが、妊娠・出産は、「人生どう生きるべきか」を考える上で無視できないテーマであることはたしかです。
今回はがんと不妊の関係について考えたいと思います。
なぜ抗がん剤治療で不妊になる?
まずは、妊娠の基本的なメカニズムについておさらいしておきましょう。
脳の下垂体が出した指令によってホルモンが分泌され、卵巣から卵管に成熟した卵子が取り込まれます。そこへ、性交によって数億個もの精子がいっせいになだれ込み、たったひとつの精子が卵子と結合(受精)します。受精卵は細胞分裂を繰り返しながら卵管の中を移動し、子宮の内膜に着床します。これで妊娠完了です。
卵巣や子宮、精巣など生殖に必要な臓器を手術で切除してしまえば、妊娠することはできません。それだけでなく、抗がん剤やホルモン療法、放射線治療も生殖機能にダメージを与え、不妊を引き起こしてしまうのです。これは一体なぜでしょうか。
まず、抗がん剤について考えてみましょう。抗がん剤には細胞分裂のスピードが速い細胞をめがけて攻撃する性質があります。さらに、卵巣や精巣は細胞分裂が速く、抗がん剤にたいして敏感に反応する性質があります。それで、抗がん剤は卵子や精子の杯細胞にまで効いてしまう。抗がん剤はきわめて強い毒性を持っていますから、一定量以上を投与すると、卵巣や精巣の胚細胞までもがやられてしまうわけです。
たとえば卵巣がんでは、現在パラプラチン(一般名カルボプラチン)とタキソール(一般名パクリタキセル)を併用するTJ療法を6サイクル行うのが標準化学療法となっています。しかし、胚細胞の機能も同時に失われ、不妊になるケースがきわめて高いといわれています。
では、放射線治療の場合はどうか。現在、前立腺がんや子宮頸がんなどでは放射線治療が広く行われています。しかし、患部めがけて放射線を当てると、どうしても精巣や卵巣が放射線の照射圏内に入ってしまう。このため、50~60グレイの標準的な照射量でも、妊娠できる可能性はきわめて低くなるといわれています。
不妊の原因となる治療法としては、この他にホルモン療法があります。ホルモン療法とは、特定のホルモン剤を投与することで、がん細胞に栄養を与えているホルモンの働きを邪魔し、がん細胞の発育を抑えるというもの。たとえば初期の子宮体がんでは、黄体ホルモン剤のヒスロンH、プロベラ(一般名メドロキシプロゲステロン酢酸エステル)を抗がん剤と併用することがありますが、これは長期間使うと不妊になることがわかっています。
また、前立腺がんの治療に使われるLH-RHアナログ(アゴニスト)というホルモン剤には、男性ホルモンを著しく低下させる作用があり、「去勢」したのと同じぐらい強力な不妊効果を発揮するとか。
妊娠・出産の可能性もある
……うーん、こうしてみると、がんの治療って、「不妊」というハードルが何本も置いてある障害物競走みたいなもの。たえず「命をとるか子供をとるか」という究極の選択を突きつけられているようなものです。
しかし、妊娠の可能性がゼロというわけでもありません。(1)卵巣や子宮の温存手術を行うことができて、なおかつ、(2)抗がん剤治療や放射線治療などを行わずにすむのであれば、妊娠できる可能性は高くなります。たとえば初期の卵巣がんの場合、がんに侵された卵巣だけを切除して、もう片方の卵巣と子宮を残すことができれば、手術後に妊娠することは十分に可能です。
実際、初期のがん患者さんが治療後に妊娠・出産したケースは少なくないのです。しかし、がんが進行すればするほど救命治療が優先され、治療後に妊娠できる可能性も低くなる。その意味でも「早期発見・早期治療が大事!」なんですね。とはいうものの……不妊にまつわるがん患者さんの悩みは尽きないようです。