肺がん治療の最前線で20年 常に患者本位の医療を実践してきた

チーム一丸となって 肺がんの攻略に取り組む

取材・文●伊波達也
撮影●「がんサポート」編集部
(2015年12月)

鈴木健司 順天堂大学医学部呼吸器外科学講座主任教授

順天堂大学医学部呼吸器外科学講座主任教授の鈴木健司さん

肺がん治療の最前線で20年。幾多の研鑽を重ねながら、数々の患者と出会い、早期肺がんの縮小手術から、根治が見込めずとも、人生の総決算を穏やかに過ごしてもらうための救済手術まで、常に患者本位の医療を実践してきた。そして、臨床、研究、教育にわたり、肺がんを攻略するためにチーム一丸となって取り組み続ける、順天堂大学医学部呼吸器外科教授の鈴木健司さんに、治療に対する信念、率いるチームのポリシーなどについて聞いた。

すずき けんじ 1965年東京都生まれ。90年防衛医科大学校卒業。91年同大学校臨床研修医。93年米国海軍潜水医学課程修了。97年国立がんセンター東病院がん専門修練医、99年国立がんセンター中央病院呼吸器外科医員、2007年同呼吸器外科医長。08年順天堂大学医学部呼吸器外科教授、現在に至る

教授着任時に年間手術数 1,000例を目指すことを表明

「2008年の2月に、当院に着任した時、最初のカンファレンスで、所信表明のような形で、年間手術数1,000例を目指そうと医局員に話しました」

教授就任以来7年を経た、順天堂大学附属順天堂医院呼吸器外科教授の鈴木健司さんはそう振り返る。

鈴木さんが着任する前は年間約80例だった肺がんの手術は、スタッフの手技とチームの充実度に比例して年々増え、今や330例。総手術件数は540例にまで増加し、全国でも3番目の症例数にまで登りつめてきた。来年(2016年)からは手術室の枠が倍増するため、目標の1,000例を見据えながら、一歩一歩着実に実績を重ねていきたいと話す。

「もちろん、数は1つの指標に過ぎません。安全性を担保できて、クオリティを落とさないように、チームとしての臨界点を常に見極めながら、目標に近づけていきたいと考えています。症例を蓄積していくことで、さらに我々の技術を向上させることが、患者さんのためになりますから」

クオリティの悪い手術を提供することは、患者に対する背信行為だと鈴木さん。

がん患者を総合的に診療できることの大切さを痛感

肺がんは死亡率第1位のがんで、年間の患者数も増加の一途をたどってきた。その一方で、手術適応できるのは全体の3割程度で、胃がんや大腸がんに比べると手術のできる数はかなり少ない。とはいうものの、現在も根治を望むための根幹治療は手術だ。

肺がんは、放射線治療や化学療法も大きく進歩を遂げてきたが、手術による局所制御ができて初めて根治へ導ける。

「それならば、手術経験が豊富な安心できる病院に症例を集約化していくことが患者さんのためになる」と鈴木さんは話す。

鈴木さんが同院に着任する前年の2007年、前任地の国立がんセンター中央病院(当時)では、日本の呼吸器外科史上最多の550例の肺がん手術(総手術件数730例)を実施した。鈴木さんもその一角を担い貢献した。

「欧米では、特定の施設に集約化して、そこで数多くの手術をするのが当たり前ですが、日本でこれを唯一体現できていたのが国立がんセンター中央病院でした」

そんながんセンターにも欠点があった。各がんを専門に診る診療科しかなかったため、心臓病や脳卒中、生活習慣病など併存症を持つ全身状態(PS)の悪い高齢者などの手術は引き受けられなかったことだ。

「順天堂に来て驚いたのはそうした患者さんをきわめて安全に治療できるということでした。むしろリスクの高い患者さんを積極的に受け入れる側でした。当院に来てから、患者さんを総合的に診ることのできることの大切さを痛感しています」

同院は総合力があるため、併存症を持つ患者の難症例でも手術が可能だ。とくに、心臓の悪い人の肺がんの手術は全国で一番手掛けている。しかも死亡率は0%だ。

短時間の施術が何よりも低侵襲となる

取材当日の手術は、68歳の女性で、非小細胞肺がんのステージⅠ(I)で、右下葉の区域切除だった。

胸腔鏡下でモニタリングしながら、右胸部を、4本の指が入る程度の10㎝強切開した。その部位から右下葉を取り出す術式だった。手術は、出血はほとんどなしで、わずか1時間強で無事終了した。

「鏡視下による手術は、患部を拡大視できるなどメリットはありますが、一方で開胸といっても傷の大きさは今や7~10㎝程度です。安全、確実で、短時間に出血量を少なく手術を行うことのほうが患者さんにとっては何よりの低侵襲です」

施術中のようす

右胸部を切開し、右下葉を取り出す

切除摘出された右下葉(上)と腫瘍(右)

実は、5年前、当時78歳の母親が肺がんになり、鈴木さん自らが執刀した。

「そのときは、いつもの1.5倍くらい開胸して、1時間ちょっとで行いました。手術後4日で退院して、母は今も元気です」

自分の肉親に対しても自信をもってできる術式を患者にも行うべきだと鈴木さんは言う。

術中、鈴木さんは執刀しながら、スタッフへ解剖学的なことから、心臓の脈拍の読み方、切除方法まで懇切丁寧に説明していたのが印象的だった。鈴木さん自身、教育そして学ぶことの大切さを痛感しているからだという。

偶然のきっかけで医師の道へ

鈴木さんが医師を目指したきっかけは、ほんの偶然だった。

「高校のとき、砂漠の熱を有効なエネルギーに転換できないかなんて夢を抱いて、京都大学の理学部を目指していました。それが、宅浪していたある日、模試のときに、隣の席の人が、防衛医科大学校のパンフレットを見ていた。〝受験料も学費もタダらしいぞ〟という言葉を耳にしてそのときに初めてその存在を知りました。

競争倍率を調べたら20倍くらいで、とても自分が受かるわけはないやって思ったんです。でも受験したらギリギリ引っかかりました(笑)。それまで医師になるという発想はなかったので、他の医学部は一切受けてないんですよ」

第1線で活躍する医師にしては珍しいエピソードだ。

その後、鈴木さんは外科医を志し、卒業後、同校の第2外科へ在籍した。

ところが大学病院での研修後、自衛隊中央病院へ赴任すると、肺がん患者はゼロで、とても呼吸器外科の修行をする環境ではなかった。卒後5年目で、たった5例しか手術を経験することができず、一念発起飛び出して、国立がんセンターの門を叩いた。

「当時部長だった、土屋了介先生(後の国立がんセンター中央病院院長)が面会してくれたんですが、〝無給でいいから入れてください〟と頼むと、無給で長期の研修というわけにはいかないと断られました」