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誤解だらけのがんの痛み治療 「痛み治療」に対する正しい理解が治療効果、延命効果にも影響を及ぼす

監修●鈴木 勉 星薬科大学薬品毒性学教室教授
取材・文●黒木 要
(2007年5月)

星薬科大学薬品毒性学教室教授の鈴木 勉さん

がんによる痛みは全患者の3分の1に発生し、半数は強い痛みを感ずる、という調査結果がある。この痛みを取り除く治療法は確立されており、WHO(世界保健機関)によって推奨されている。ところが日本においては、往々にしてその治療が十分になされていない。その背景には、痛み治療で使用される医療用麻薬に対する医師・患者双方の誤解、偏見、無理解がある。そのどこに間違いがあり、正しくはどうなのか。

「医療用麻薬」という言葉が誤解の基となる

わが国で、がんの痛みの治療によく使われる薬としてはモルヒネがよく知られている。その他にオキシコドン(商品名オキシコンチン)、フェンタニル(商品名デュロテップ)があるが、それらは薬の区分として「医療用麻薬」と呼ばれる。

「この用語のせいもあって、医療用麻薬は覚醒剤や大麻など、快楽を得るために乱用されがちな麻薬とよく混同されます。そこに誤解や偏見が生じ、医療用麻薬の使用をためらう誘因となっているのは間違いないでしょう」

こう語るのは、薬品の毒性・副作用に詳しい星薬科大学薬品毒性学教室教授の鈴木勉さんだ。WHOの薬物依存の専門家委員でもあり、この3月には、がん患者の苦痛をやわらげる緩和ケア専門の薬剤師を育成することを主な目的とした「日本緩和医療薬学会」を立ち上げた。

鈴木さんが心配する医療用麻薬に対する誤解とは、以下のようなものだ。

(1)医療用麻薬は依存性があって、1度使い始めると止められなくなる。

(2)医療用麻薬を使っていると、やがて錯乱や幻覚・幻聴などが起こる。

(3)医療用麻薬は次第に効かなくなって、結局は痛みがぶりかえす。

(4)医療用麻薬には強い副作用があり、防ぐことができない。

(5)医療用麻薬を使うと死期が早まる。

このいずれかを聞いて、そのまま信じ込んでしまっている人は多いのではないか。もちろん、どれもが誤りである。では、どこが間違っているのか、鈴木さんにわかりやすく解説してもらった。

覚醒剤のような依存性は起こらない

まず、(1)の依存性についてである。

テレビのドラマのなかで、よく覚醒剤常用者が「薬が欲しくてたまらない」と、悪者の麻薬仲買人にすがる光景があるが、そういった依存が少なからず起こると思っている人は多いようだ。がんの治療医295名に対するアンケートでも4人に1人が、医療用麻薬の使用により10パーセントぐらいの確率で精神依存が起こる、と答えている。医師ですらそうなのだから、一般患者がそういった誤解をするのも無理はない。

これに対し、鈴木さんは次のように言う。

「がん患者さんの痛みをやわらげるためにモルヒネなどの医療用麻薬を適切に使用した場合、その精神依存はほとんど問題にならないレベルです。そのことは、痛みの治療についてトレーニングされた医師の間では、よく知られていることです。しかし、医療用麻薬を適正に使用すれば、なぜ依存が起こらないかについては、これまで経験上はわかっていても科学的・医学的に理由が説明されていませんでした」

このため、誤解を積極的に正すまでには至っていなかったのである。そこで鈴木さんらは動物実験による研究を行った。

薬物による依存は、快楽ホルモンとも呼ばれるドーパミン(神経伝達物質)が脳内に過剰に放出されたり、ドーパミンを感受する脳の神経系が通常より活発になって、多幸感を繰り返しの投与で幾度も感ずることによって起こるとされている。

一方で、医療用麻薬の成分を感知する数種類の神経細胞の1つが、脳のある部分に密集しており、この細胞が活発化するとドーパミンの分泌が抑制されるため、嫌悪効果が現れることもわかっている(図1)。

このことを前提にして、鈴木さんらは足裏に炎症を起こしたラットに、炎症を起こしていないラットでは「明らかな精神依存」を起こした用量のモルヒネを投与する実験を行った。その結果、足裏に炎症を抱えているラットでは、モルヒネによる精神依存は起こらないことがわかったという。

「この動物実験の結果は、臨床における医療用麻薬の適正な使用例では、精神的な依存は生じないという事実と一致します。このことから、痛みのない人にモルヒネを繰り返し投与すると、ドーパミンが過剰に放出され、結果的に依存症になります。反対に、がんなどの痛みがある人に対してモルヒネを適正に使用した場合は、ドーパミンの過剰放出は起こらずに依存症にはならないことを示唆しています」

[図1 モルヒネでの精神依存が起こる機構および疼痛下では精神依存が起こらない機構の模式図]
図1:モルヒネでの精神依存が起こる機構および疼痛下では精神依存が起こらない機構の模式図

腹側被蓋野の抑制性GABAが介在する神経上にはμオピオイド受容体が局在しており、モルヒネによりGABA神経が抑制され(脱抑制)、中脳辺縁ドーパミン神経系が活性化される。その結果、投射先である側坐核の神経終末から放出されたドーパミンは、ドーパミン受容体を刺激することで精神依存の形成を誘導するものと考えられている
出典:『ペインクリニック』Vol.25 No.4 2004.4

強度の精神異常はめったに起こらない

(2)の、錯乱・幻聴についてはどうであろうか。医療用麻薬の使用に限らず、がんの治療中に幻覚や幻聴が、ごく少ない頻度ながら起こることは知られている。

国立がん研究センターの調査によると、987例中7例に見られたという報告がある。

「それが、抗がん剤や放射線治療の副作用によるものか、あるいは患者さんの全身状態や精神的なストレスも含めて、がんに罹患していることと治療との相互作用によるものか、詳細はわかっておりません。医療用麻薬によるがんの疼痛治療中においても、幻覚や幻聴はまったくないわけではありません。出るとすれば、患者さんの健康状態や精神状態など、一定の条件が重なったときではないかと思われます。錯乱などの重度の精神異常は、まず起こらないといってよいかと思います」

仮に幻覚や幻聴が起こっても、医療用麻薬の投与を中止すれば、症状は消失することがわかっている。ただし医療用麻薬による痛みの治療は急に中止しないで、徐々に投与量を減少していくのが鉄則であるという。