渡辺亨チームが医療サポートする:急性前骨髄球性白血病編
度重なる難関にもめげず、新薬「三酸化ヒ素」にトライして成功
大宮栄一さんの経過 | |
2002年 4月9日 | 「急性前骨髄球性白血病」と診断。入院、完全寛解導入療法(ATRA療法)へ |
5月26日 | 完全寛解。地固め療法の全身化学療法を開始 |
8月20日 | 地固め療法計3コース終了。退院、外来通院 |
2003年 9月4日 | 再発で再入院、ATRA療法を再開 |
11月15日 | ATRA療法では完全寛解に至らず、ATRA+アントラサイクリン系抗がん剤併用で完全寛解へ。 |
11月22日 | 弟から骨髄提供を受け、同種骨髄移植を実施 |
12月20日 | 骨髄の生着を確認 |
2004年 2月28日 | 退院 |
11月19日 | 再び再発 |
11月22日 | 三酸化ヒ素療法を開始 |
2005年 1月24日 | 3度目の寛解 |
3月30日 | 三酸化ヒ素療法による地固め療法を終了 |
急性前骨髄球性白血病を再発した大宮栄一さんは、弟から提供を受けた骨髄の移植に成功した。
が、その1年9カ月後またも再発を来たし、今度は新薬による治療にトライすることになる。
度重なる難関を、大宮さんはどう克服していくのだろうか。
半年ぶりに入院生活から解放
ATRA療法とアントラサイクリン系の抗がん剤の併用で「第2寛解」を告げられた大宮さんは、弟から骨髄の提供を受けて骨髄移植を受けた(*1第2寛解)。植野医師から新しい骨髄の生着を告げられた時点で、大宮さんの頭は、抗がん剤の副作用で、髪の毛がすっかり抜けてツルツルの状態である。体重も入院前より8キロ減り、67キロになっていた。
クリスマスも2003年の正月も病院の中で過ごし、2月に入ると自分でもかなり体力が回復しているのを確認できるようになっている。体重も70キロに戻っている。
そして2月15日の夜、鏡をのぞくと、大宮さんは髪の毛がかなり生えてきたことに気づいた。まだ赤ちゃんの髪のように細くてフワフワだが、そのためになんだか自分が生まれ変わったような気がする。植野医師からは診察の度に「もうすぐ退院できるでしょう」と聞かされており、大宮さんは「俺もいよいよ出直しだな」と考えていた。
こうして2月28日の金曜日、大宮さんは骨髄移植から3カ月ぶりにエビデンス病院を退院できた(*2骨髄移植後の退院)。白血病の再発がわかりATRA療法を再開するために入院してからは6カ月近く経っている。じつに半年もの間を、ほとんど病院で過ごしていたことになるのだ。
「いろいろ苦労をかけたな」
大宮さんは、自宅に帰るとまず妻の恭子さんをねぎらった。家のことを心配せずに入院していられたのも、妻がいろいろやりくりをしてくれたおかげである。
「でも、本当によかったわ。骨髄移植に成功し遺伝子レベルでも白血病細胞が見つからないというのだから、体中の血液を入れ替えたのと同じことでしょう。もう心配はいらないわね」
「俺もそう思いたいけどね。でも、植野先生は再発の可能性があるとおっしゃっているからね。油断はできないよ。2週間に1度通院して経過を観察することになっているんだ(*3骨髄移植後の外来診察)」
「それじゃ、役所に戻るのはまだ先ね?」「うん、なるべく早く仕事に戻りたいけどな。植野先生が判断してくださるだろう。気長に待つしかないな」
結局、大宮さんの職場復帰は新年度を過ぎた5月の連休明けになった。白血病を発病したとき、小学5年生だった長男の雄介君は、中学校に通い始めている。

骨髄移植後の再発に三酸化ヒ素をトライ
骨髄移植後の退院から1年8カ月過ぎた2004年10月、大宮さんは月に1度エビデンス病院へ診察を受けに出かける以外はまったく白血病を発症する前の生活に戻っていた。食欲も旺盛で、体重も75キロを回復し、体調のよさを実感できる日々であった。
が、11月19日に定期検査でエビデンス病院を訪れるとき、大宮さんは1つ不安を抱えていた。何日か鼻血が続いていたのである。「まさか再発ではないだろう」と大宮さんはなんとかいいほうに考えようとしていた。
しかし、血液検査を受けたあと植野医師の診察室に呼ばれると、大宮さんはつらい知らせを聞かなければならなかった。
「残念ですが、再発しています」
植野医師の表情も少しつらそうに見えた。まったく予想できないことではなかったが、大宮さんは健康に自信を持てるようになっていただけに、大ショックである。
「骨髄移植でもだめだったのですか? もう治る見込みはないでしょうか?」
大宮さんの質問に、植野医師は間を置かずに答えた。
「確かにこの段階では根治を期待するのは無理かもしれません。でも、白血病の治療はものすごい進歩を遂げているし、とくに大宮さんの急性前骨髄球性白血病は、新しい治療法も出てきたので、いろいろ打つ手があります。まだまだ希望を持って病気と取り組んでいただけると思います」
「どんな手があるんでしょうか?」
「そうですね。従来なら同種骨髄移植後に再発したら、根治を目指す治療法には再移植しかありませんでした(*4再移植)。しかし、2度目の移植は初回移植よりさらに合併症などによる死亡率が高くなってしまいます。これに対して、最近三酸化ヒ素(商品名トリセノックス)という新しい薬が出ました。まだ長期間観察されたデータは乏しいですが、トライしてみる価値はあると思います(*5GVL効果)。もしかしたら再移植よりいい結果に結びつくかもしれません」
「ヒ素といえば劇薬ですね。また、GVHDみたいにきつい副作用があるのでしょうか?」
「三酸化ヒ素は心毒性があるので、心臓への影響を監視するために心電図をつけて点滴をします(*6三酸化ヒ素の副作用と支持療法)。でも、全般に骨髄移植の過程でいろいろ現れるほど副作用は強くないし、GVHDのようなことも起こりません。再移植のリスクを考えると、三酸化ヒ素は比較的安全で、高い効果を得ることができる治療法だと思います。もちろん、長期的な寛解を得ることは保証できませんが、一旦この治療法で十分な寛解を得た後に、地固め療法として再移植を検討しても良いと思います」
3度目の寛解に成功
こうして大宮さんは、11月22日にエビデンス病院へ入院する。またしてもクリスマスも正月も病院で迎えなければならなかった。
心配していた深刻な副作用はほとんど現れていない。むしろそのために、毎日を退屈に感じなければならないほどで、しばしば外泊することが可能であった。

再発または難治性の急性前骨髄球性白血病の新薬
2005年1月31日、大宮さんは三酸化ヒ素治療で3度目の寛解を告げられる(*7三酸化ヒ素による治療スケジュール)。退院をすると大宮さんは翌日から市役所に出勤した。
そして、3月に入ると地固め療法に入ったが、今度は竹内医師は「通院でも大丈夫だと思います」と判断してくれたのである。5週間、午前中はエビデンス病院で点滴、午後市役所に出勤というスケジュールをこなした。
こうして2005年4月25日、大宮さんは三酸化ヒ素の地固め療法も終わりを迎える。植野医師に感謝の気持ちを伝えた。
「骨髄移植でもだめだったのですから、私は今度こそ絶望的な状況かと思っていたのですが、またも助かりました。それに亜ヒ酸の治療は副作用も少なかったし、思っていたより早めに職場に戻ることもできました。本当にありがとうございます。でも、次にまた再発したらどうなるか心配ですが」
植野医師は、こう答えた。
「急性前骨髄球性白血病の分野は治療法が目覚しい進歩を遂げています。ですから、『再発したら』などと考えずに、つねに希望を持ち続けていただくことが大事ではないでしょうか。たとえば、大宮さんの病気でも、アムノレイク(一般名タミバロテン)という新しい分化誘導薬が近日中に使えるようになる予定です。まだまだ打つ手が用意されています。
そして、これら分化誘導薬投与で十分な寛解を得ることができていて、大宮さんのように若くて、全身状態が良ければ、再移植をしたとしても合併症などのリスクは少なくなります(*8急性前骨髄球性白血病の新しい治療)」
大宮さんはしきりにうなずいていた。
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