慢性骨髄性白血病の患者座談会「ずっと笑顔で」 患者同士の支えあいで長期にわたる不安や苦痛を乗り越える

参加者:東條有伸 東京大学医科学研究所先端医療研究センター分子療法分野教授
網 外志明 富山県在住
伊藤優子 会社員
葉山信幸 会社員
阿部 望 会社員
撮影:向井 渉
発行:2007年3月
更新:2013年9月

慢性骨髄性白血病と闘いながら妊娠・出産に挑戦する

写真:座談会の様子

厳しい闘病体験が語られた。しかし、患者さんの皆さんはそれを敢然と立ち向かい、前向きに歩んでいる様子がうかがえた

編集長 この病気は男女とも「子どもを授かる」という点では、非常にむずかしい病気です。伊藤さんもそこがいちばんの関心事だと。

伊藤 私の場合、流産後のショックから立ち直れないままにCMLの告知がなされましたので、白血病を受け止めるというより、薬を一生飲み続けると言われ妊娠・出産の機会が奪われることが悔しかったです。主治医の先生にも、「次の子は?」という質問をするほどでしたが、そのときは、何も答えていただけませんでした。
私自身はどうしても、妊娠・出産を視野に入れて治療を進めたかったので、ネットで情報を探しました。そうしたら、あるとき、「アメリカでは医師のもとで、慢性骨髄性白血病の治療を中止して、子どもを生んだケースがある」という情報を見つけました。そこで、何人かの専門医に当たりましたが、答えは否定的でがっかりしました。
治療を開始する前に採卵し、受精卵の凍結保存も考えトライしましたが、失敗に終わりました。結局、さらに数人の専門医に当たり、その後ご相談した先生に、「夫婦の合意があり、リスクも承知した上で、将来的に機会があったら協力しましょう」というお約束をいただくことができました。将来、どのような方向に行くかはわかりませんが、気持ちを受け止めて頂けたことが嬉しかったです。子どもは私の唯一の夢です。それを希望に、治療を続けています。

阿部 医師が患者の希望を聞き、その上で治療を考えてくれるかどうかは、大きいですよね。

伊藤 そうですね。難しい問題ですが、そういう先生の姿勢に自分の気持ちが前向きになりましたね。 また、同じように慢性骨髄性白血病の治療を続けている女性の友だちがいますが、やはり将来の妊娠は可能か、というのがいちばんの関心事ですね。

病気を非常にいい状態にした上で、妊娠を検討するのが現実的

編集長 男性も移植を受けると、基本的に子どもはもうけられなくなりますね。ですから、移植前の精子凍結保存などについても、相談に乗ってくれる医師が必要だと思います。

 私の場合、第2子の妊娠がわかった直後に病気が発覚しました。そのあと移植という話になり、移植と子どもの誕生がほぼ同時でした。ですから、精子保存の話も聞きましたが、まあいいかということになりました。

阿部 私もまだ1歳前の娘がいる段階で、病気になりました。すぐ入院して抗がん剤を、という状態だったので、自分では考える時間もありませんでした。ただ、1日だけ時間があったとき、主治医から「別な病院で精子の凍結保存ができる」と教えられ、将来の選択肢を増やしておこうと保存しました。先生には誠実に情報提供をしていただき、感謝しています。十分な情報を得て、患者が自分で決断できるのは大切なことです。ただ、それを使えるかどうかはわかりませんから、娘は私のいちばんの宝です。

東條 分子標的薬が作用する酵素は生殖器にも発現するので、妊娠自体むずかしくなる可能性があります。男性の場合は、非常に経過がよければ、ある時期に投薬をやめて子どもを作ることも考えられます。が、女性の場合は妊娠までの期間、妊娠期間、出産後と、どうしても薬の中断が長くなりますし、妊娠そのものが病気に与える影響も無視できません。したがって、休薬して妊娠・出産することは、不可能ではないかもしれませんが、細心の注意が必要だと思います。
インターフェロンの場合、妊娠・出産時に使い続けることは可能です。が、その間に病気がコントロールできる、というエビデンス(根拠)がありません。 また、副作用が強く、全身の倦怠感、食欲不振などに加え、うつ病などの精神症状が出ることも少なくありませんので、体にとって負担は重いでしょう。私個人としては、やはり病気を非常にいい状態にしてから、妊娠・出産について検討するのが現実的だろうと思います。

社会復帰は無理をせず。上司同僚の理解も必要

写真:阿部望さんと網外志明さん

編集長 皆さんはまだお若い。それだけに、社会復帰の問題にも直面しておられると思います。

阿部 私は2年8カ月、会社の制度ぎりぎりまで休職し、3カ月前に復職しました。本当は免疫抑制剤を飲まない状態で復帰したかったのですがかなわず、最低量の服用で復職しました。
とにかく、会社の理解があり助かっています。長期間休めたこと、会社の勤務医や上司と相談のうえ、残業なしにしてもらっていること、感染症対策のマスク着用を社内でも認めてもらっていることなど、本当に感謝をしています。

編集長 会社全体に説明されたのですか。

阿部 約30人の同僚に説明しただけですが、だいたいわかってもらっている状況です。

葉山 最初から通院治療だけで会社を休んでいないので、上司と人事にしか話していません。ただ、自分でも疲れを感じますし、上司も残業するなと言ってくれますので、7時には会社を出るようにしています。仕事に必要な勉強ができず、中途半端な気持ちがするのはつらいですが、ともかく働けていることで、よしとしている状態です。

伊藤 私は、こんなに元気になりましたので、できれば会社には言いたくありませんでした。でも、流産後、そのまま慢性骨髄性白血病と診断されたので、言わざるを得ず、人事と上司と同じ部署の方に言いました。結果として、働きにくい感じはあります。

腫れ物にさわる感じは困る。白血病に対する正しい認識を

編集長 どう働きにくいですか。

伊藤 やはり「白血病」という病名が、恐怖を与えますね。今はいい治療法があります、と説明してみましたが、なかなか信じてもらえません。

編集長 テレビでも白血病というと、「不治の病」というイメージがありますからね。白血病の本当の姿が、社会に知られていないんですね。

伊藤 私自身、病気以前はそう思っていました。でも、今は長い風邪をひいているくらいの気持ちなので、腫れ物にさわるように接してもらうと、何かとやりづらいです。

葉山 私もそれを心配して、病名を特定の人以外には言いませんでした。だから、普通に働けているのだと思います。

編集長 移植の場合とは、ずいぶん違いますか。

阿部 違うと思います。特別扱いをしてほしいとは言いませんが、私自身は前と同じ働き方はしたくありません。病気になる前は無茶な働き方をしていましたし、それが病気の進行を早めたかも、という思いがあります。まわりは残業したりたいへんな仕事をしていますが、今はとても同じレベルにはできません。それをまわりにも認めてほしいし、無理だったら仕事をあきらめるしかない、くらいまで思っています。

 私はもともと、「体を動かしてなんぼ」という仕事でしたから、前の仕事にはもう戻れません。体のことを考え、パソコンを操作するような仕事がしたいと、今年初頭にはコンピュータ上に図面を描く勉強をしましたが、なかなか就職には結びつきませんね。面接では何年も仕事をしていない点を聞かれますし、病気のことを正直に答えたらまず不採用です。加えて、仕事の内容が折り合わなかったり、勤めても通院があったりで、今なお働けていない状態です。
私も「世の中みんな、白血病に名前負け」と思います。病名を聞いて引かれてしまうのは困る。でも、「移植した」と聞いて、「完治したのか」と思われても困るんですよ。

おそれることはない、人生を前向きに考えて

写真:東條有伸さん

「白血病はこの30年で最も治療が進んだ病気。希望を持って、前向きに取り組めば道は拓ける」

編集長 同じ白血病でも人によって違うのに、病名でひとくくりにされてしまうのは誤解ですね。その人の状態を正しく認識し、きちんと対応することは、白血病に限らず重要だと思います。最後に、読者の皆さんにひと言ずつお願いできますか。

葉山 今は、いい治療法があります、おそれることはありません、と言いたいです。

伊藤 私が告知されたとき、患者さんのナマの声が聞きたかったのです。しかし、新しい治療法は、ネット上でもなかなか見つからず苦労しました。その点、患者会は実際に患者同士が同じ立場で話し合える場として大きな助けになりました。

阿部 白血病はたいへんな病気ですが、治療を乗り越え、元気に社会復帰している人もたくさんいます。どうしても気持ちが沈みがちだと思いますが、「元気になれるんだ」というイメージを強く持てば、前向きになれると思います。

 私の場合は移植もしましたが、薬での治療だけでいける人はラッキーだと思いますね。病気になったことは残念ですが、普通に近い状態で生活できるのですから、希望を持って生きてほしいです。

編集長 先生からも、患者さんのナマの声を聞いてお感じになった感想をぜひ。

東條 白血病はこの30年で最も治療が進んだ病気です。分子標的薬という最先端治療が最初に導入された病気で、がん治療のモデルにもなっています。前向きに治療を続ければ、さらに新たな展開が期待できます。どうか、十分に情報を集め、希望を持って治療に取り組んでください。

編集長 今日は皆さん、どうもありがとうございました。


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