渡辺亨チームが医療サポートする:悪性リンパ腫編

取材・文:林義人
発行:2005年2月
更新:2013年6月

再発には拒絶反応のない自己末梢血幹細胞移植治療を

 内田清二さんの経過
2002年
9月14日
首筋にグリグリができた
10月20日 かかりつけの内科クリニックを受診。「風邪ではないか」
10月26日 内科で「扁桃腺が腫れている。耳鼻科受診を」
11月01日 P病院の血液内科を受診。血液検査、画像検査、生検を受ける
11月17日 「非ホジキンリンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫」との診断
11月25日 入院。治療法の説明
11月26日 R-CHOP療法8コースを開始
12月2日 R-CHOP療法1コースを終えて退院。通院治療に
12月10日 白血球数、好中球数が著しく減少
12月11日 G-CSF(300μg)皮下投与
12月15日 好中球が回復
2003年
4月15日
R-CHOP療法8コースを終了
2004年
8月4日
再び首のつけ根に再発
8月15日 救援療法としてR-EPOCH療法を開始。
9月15日 抗がん剤の大量投与開始
9月22日 1コース終了後に自己末梢血幹細胞移植を採取。
10月15日 完全寛解を得て退院

悪性リンパ腫が再発してきたら、どうしたらいいのだろうか。

非ホジキンリンパ腫のびまん性大細胞型B細胞リンパ腫に対する治療としてR-CHOP療法を受けて一時寛解した内田清二さんに、1年数カ月後、はたして再発が現れた。

そこで、受けることになったのは幹細胞移植治療であった。

R-CHOP療法が効かなくなったら?

CT写真
悪性リンパ腫の治療を施す前(左)と後のCT写真

2002年秋に悪性リンパ腫が見つかり、8コースのR-CHOP療法を受けた内田清二さん(54)は、翌年4月に医師から寛解を告げられた。その後は、とくに体調を崩すこともなく病気前とまったく変わらず会社通勤を続けている。ただ建設関連会社の営業部長という立場上、どうしても��に何回かは付き合いの酒席が欠かせない。もともと嫌いではないほうなので、以前より酒量は減らすようにはしているが、ほろ酔いで帰ることも多かった。

2004年8月3日、内田さんは帰宅したとき、ちょっと疲れと熱っぽさを覚えていた。妻の美智子さんに体温計を出してもらって計ると37.8度あった。

「飲んだからかな、それともこの猛暑で夏バテしたのかな」

こう言うと、妻が返す。

「夏風邪じゃないの。きっと会社でエアコンを効かせすぎなのよ」

「そうか。じゃ、シャワーで汗を流したら、今日はすぐ寝ることにするよ」

浴室で汗を流そうと、石鹸を首のまわりに塗ろうとしているときだった。内田さんの指先に、こりっとしこりが当たった。「あれっ?」と思って押してみると、鈍い痛みがある。ちょうど2年ほど前に病気が見つかったときのことを思い出し、いやな予感がした。

「ここにしこりがあるよな」

ガリウムシンチグラム

前向き(左側)と後ろ向きに撮ったガリウムシンチグラム。首のリンパ節が腫れた様子が見れる

シャワーから出ると、すぐに内田さんは再確認しようと妻に尋ねてみる。ちょっとさわって、美智子さん「本当だわ。お父さん、明日すぐ病院に行ったほうがいいわね」と少し暗い声で反応した。

翌日、P病院血液内科を訪れた内田さんは、主治医の大崎医師からまず触診を受けた。医師は「確かにしこりが感じられますね」と言い、続いて血液検査、CT、ガリウムシンチグラフィなどの検査を受けるよう指示した。

翌日検査の結果を聞きに行くと、大崎医師は改めて内田さんに告げた。

「再発でした。ただし、他の臓器に病変はうかがえません。この段階では抗がん剤はR-CHOPは有効でなくなった可能性があるので、これにエトポシド(ベプシド)という抗がん剤を加えたR-EPOCHという組み合わせで、サルベージ(救援)療法*1)を受けてもらうのがいいでしょう。そのあと自己幹細胞移植*2)と併せて大量の抗がん剤治療を受けていただくのがベストの選択だと思います」

内田さんは再発の告知に続いて、いきなり聞いたことのない言葉を次々並べられてすっかり戸惑ってしまった。

無菌室での孤独な戦い

8月15日に内田さんはP病院に入院した。最低でも2カ月間くらいの入院治療が必要とのことである。まずR-EPOCHによるサルベージ療法1コースが開始された。R-CHOPと同様、2週間ほどのうちに内田さんの首のしこりは寛解している。大崎医師は、「しこりが小さくなっていますから、自己末梢幹細胞移植を始めるタイミングですね」と内田さんに話す。

「この治療は全身麻酔をかける必要もなく、危険を伴うことはありません。“移植”とはいっても自分の血液を使うので、一般の臓器移植などのように拒絶反応も起こらず、見た目は輸血と同じです。

ただ、抗がん剤をたくさん使うので白血球がとても少なくなって感染症にかかりやすくなるため、無菌室の中で治療を受けていただく必要があります。まず造血幹細胞を増やすG-CSFの投与が5日間、採血のために数日かかります。その後、1週間ほどかけて大量の抗がん剤を入れます。

そのあと幹細胞を移植しますが、白血球と血小板が回復して退院までさらに2週間ほどかかるのが普通です」

9月5日、自己抹消血幹細胞移植の準備が始まった。まず造血幹細胞を増やすG-CSFの投与が行われる。同時に移植療法中に重篤な感染の原因となりうるものがないか、全身の検査が行われている。この時点で白血球数は1500だった。

こうして9月11日自己末梢血幹細胞の採取*4)が始まる。病院内の輸血センターにある採取室まで足を運び、1日に数時間、腕からのパイプが血球成分分離装置という機械につながれるが、それほど苦痛感もない。閉ざされたスペースの中で退屈な日が続いた。

こうして内田さんは無菌室に移ることになった。「中では生の果物・野菜や肉・魚などは絶対に摂ってはいけない」と指示されている。また、体内無菌化*5)のために、うがい薬や腸内細菌の駆除薬を渡された。

続いて9月15日抗がん剤の超大量投与が始まった。(*6自己末梢血幹細胞で用いる抗がん剤)胸のチューブからは、見た目にも大量の薬剤が連日注ぎ込まれる。ここではさすがに薬の強烈な副作用にさらされることになった。制吐剤が出されているが、吐き気が強く、また胃が荒れているためか食欲がなく、病院食は半分くらいのどに押し込むのがせいぜいである。そして、脱毛が始まり、1週間の間に内田さんの頭はバサッと抜け始めたのである。37度前後の微熱が続き、体がだるく、見舞いに訪れる家族ともあまりしゃべる気にならなかった。

刺身などの生ものは我慢してください

9月22日、自己幹細胞の輸血(移植)*7)が始まった。この時点で白血球は200に落ちている。移植した幹細胞が定着し、白血球が回復するのを待つばかりである。(*8白血球の回復

しかし、その後1週間のうちに内田さんの白血球は7000くらいまでに回復している。内田さんの骨髄が、新しく白血球を作り始めたわけだ。そして内田さんはだんだん体のだるさを感じることがなくなっていった。

9月30日には、内田さんは大崎医師から「腎臓も肝臓もほぼ正常に戻っています」と伝えられている。少しずつ食欲も出てきて、付き添いの妻に「パイナップルが食べたいな」、「刺身で一杯やりたいな」とわがままを言ったりするようになった。もちろん無菌室にいる間はそんなことは厳禁である。

ところが、翌日には内田さんは無菌室を解除されて、一般病室に入ることができた。さっそく大崎医師に、食べたいと思っていたものについて相談すると、「パイナップルは缶詰にしてください。お酒は当分我慢してもらわなければいけません」と言われる。美智子さんは、パイナップルの缶詰を買いに走った。

10月10日にガリウムシンチ検査があり、その結果から大崎医師は「完全寛解のようですね。15日に退院してください」と告げた。久しぶりに体重計に乗ってみると62キロで、ピーク時より7~8キロ減量している。

「比較的ラクな闘病だと思ったんだけど、やっぱり体はつらい目にあっていたんだな」

内田さんは自分の入院生活をこんなふうに振り返っていた。

10月15日、大崎医師が最初に告げていた通り、ちょうど2カ月目に内田さんはP病院の退院の日を迎えた。退院後の生活上の注意として、まだ白血球の機能が十分ではなく、感染に弱いために、風邪などを引かないように十分気をつけ、また生ものを食べるときは鮮度のいいものを選ぶようにするということなどである。

それでも、2カ月間の入院から解放された喜びは格別だった。会社からも、「早く職場に戻ってほしい」と言われている。「来週から、マスクをして通勤だ」と、社会復帰が求められている幸福感をかみ締めていた。


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