渡辺亨チームが医療サポートする:多発性骨髄腫編
2年間の無症状期のあと、再発。医師からサリドマイドの提案
関根秀雄さんの経過 | |
2004年 8月20日 | 激しい腰痛で近くの整形外科を受診 |
8月21日 | 市民病院を受診。血液検査の結果、多発性骨髄腫の疑い |
8月24日 | がんセンターの血液内科を受診。多発性骨髄腫と確定診断 |
8月25日 | VAD療法と骨病変の治療を開始 |
10月30日 | VAD療法を終了 |
11月17日 | 自家末梢血幹細胞採取のためのエンドキサン大量療法を開始 |
12月5日 | 末梢血幹細胞を採取 |
12月14日 | メルファラン大量療法を開始 |
12月17日 | 自家末梢血幹細胞移植を施行 |
2005年 1月18日 | 免疫固定法にて「完全奏効」と判定 |
2006年 9月5日 | 大腿骨の痛みから再発が発覚 |
3期の多発性骨髄腫の初期治療としてVAD療法、エンドキサン大量療法、メルファラン大量療法、自家末梢血幹細胞移植を受けた関根秀雄さん(62歳)は、約2年間症状の現れないプラトー期が続いたが、大腿骨の痛みから再発が発覚。
ここで医師からサリドマイドを提案された。
関根さんはこれを受け入れた。さいわい顕著な効果が現れ、再び寛解となった関根さんは、さらに新しい骨髄腫の治療法に希望をつなごうとしている。
自家移植の成功でプラトー期に
2004年12月12日の水曜日、関根秀雄さんはHがんセンター血液内科に、この年6度目の入院をした。すでに寛解導入のための化学療法=*VAD療法は成功している。エンドキサン(一般名シクロフォスファミド)大量療法および自家末梢血幹細胞採取は5度目の入院の際に実施し、十分量の造血幹細胞が確保され、Hがんセンター輸血部で凍結保存してある。いよいよ自家末梢血幹細胞移植を前にして骨髄腫細胞を徹底的に叩くためのアルケラン(一般名メルファラン)大量療法が行われることになるのだ(*1自家末梢血幹細胞移植の手順)。
この治療で関根さんは初めて無菌室に入ることになった。免疫を担当する白血球がゼロに近くなるので、細菌やウイルスを遮断するためだ。食べ物も当分の間は果物や刺身などの生ものを摂ることを禁じられている。
「今度の治療が終わったら、うまいすし屋にでも行こうよ」
病室に付き添う妻の峰子さんに、関根さんは努めて明るい声でこう言った。
「あら、うれしい。��待しているわね」
関根さんが骨の激痛に見舞われ、「多発性骨髄腫」と診断されたときは目の前が真っ暗になったが、現在では前向きに闘病しようという心構えができている。支持療法により骨の痛みもあまり感じなくなったし、*Mタンパクの値も正常になっている。「三木先生はベストの指示をしてくれる」と、主治医を信頼する気持ちも強くなっていた。
その翌日から始まった大量の抗がん剤治療は、三木医師から告げられていた通り、かなり厳しいものだった。白血球数は500まで下がり、白血球の中で細菌を貪食する好中球数は100になった。40℃近い高熱が出る。関根さんは意識が朦朧とし、ウンウンとうなってしまうこともあった。
好中球を上げるためのG-CSFを注射し始めると、今度は白血球が増えたため、ズキンズキンと腰の痛みが2日ぐらい続くことになった。トイレは尿瓶が用意されていたが、排尿のために起き上がるのもつらいほどだった。
好中球数が回復してようやく無菌室を出られるようになると、医師は「体力をつけるためにしっかりと食事をとり、できるだけ歩くようにしてくださいね」と話す。
退院すると、関根さんは妻を念願のすし屋に連れて行くことができた。その後、しばらくは安定したプラトー期(*2)を迎えることができたのである。
*VAD療法=オンコビン(一般名ビンクリスチン)、アドリアシン(一般名ドキソルビシン)、デカドロン(一般名デキサメタゾン)の3剤併用療法
*Mタンパク=モノクローナル・タンパク。腫瘍が原因となって特定の免疫グロブリン(抗体の1種)だけが増加したもの
再発。サリドマイドの治療
2006年9月、64歳になった関根さんはすでに会社の仕事は完全にリタイアし、日ごろは小学生の通学路で“みどりのおじさん”を務めたり、町内会の清掃や防犯活動を手伝うなどのボランティアに精を出すようになっている。
自家末梢血幹細胞移植以降、2年近く経過しながら、心配していた多発性骨髄腫の再発については「もうないかもしれない」と思うほど快調な日々が続いていたのである。
9月5日、関根さんはいつものように愛犬を連れて朝の散歩に出かけた。が、この日は何か右の大腿骨にズキズキと痛みを覚える。そして、なんとなく息切れ感があった。ちょっといやな予感がしたが、関根さんは「たいしたことはないだろう」と思い込もうとした。
9月7日、定期検査のため、Hがんセンターの血液内科を訪れるとき、関根さんの大腿部の痛みは左側にも広がっている。歩くと明らかに息切れとめまいを感じる。「やはりこれは再発だな」と覚悟しなければならなかった。
三木医師に会って関根さんが症状を訴えると、すぐに検査が行われる。血液検査でMタンパク値が上昇傾向を示しており、単純X線写真およびCTで骨破壊像が確認された。
「残念ですが、再発ですね。サルベージ療法が必要です(*3再発とサルベージ療法)」
医師からこう聞かされて、関根さんは「やっぱり」とショックだった。が、来るべき日のために、多発性骨髄腫の患者会に出たり、インターネットを利用するなど、いろいろ勉強していたのだ。
「こうなると次はミニ移植(*4)でしょうかね?」
自ら三木医師に確かめた。医師はちょっと考えて答える。
「確かに、なんらかの薬物療法に引き続きミニ移植を行うのも選択肢の1つですね。それから、もう1度大量化学療法をやることも考えられます。ただ、両方ともそれなりのリスクを伴う治療法ですから、十分考える必要があります。最近ではサリドマイド(*5)も有力な選択肢の1つですね」
「でも、あれはまだ日本では承認されていないのでは?」
「もし関根さんが選択なさるのであれば、私がサリドマイドを個人輸入して使うことになります。私は個人的には、現時点で使える治療法の中ではサリドマイド治療がよいと思います。もしそれがうまく効かなかったときは、2回目の大量化学療法を検討することにしてはどうでしょうか。大量化学療法は治療関連死の危険性が5パーセントほどありますが、ミニ移植よりは安全だと思います。ただし、ミニ移植は一部の患者さんで治癒が見込めますが、大量化学療法だと治癒を望むのは難しいと思います」
「わかりました。サリドマイドの治療を受けたいと思います」