渡辺亨チームが医療サポートする:乳がん編
乳房温存手術+リンパ節郭清で、病理的完全奏効を得た
乳がんの大きさが直径3センチを超え、リンパ節にも転移があった島田典子さん。
乳房全摘を勧める医師に対して、彼女はなんとか乳房を残せないかと思案した。
そして術前化学療法という治療法と巡り合い、その治療を受けた。
すると、なんと乳房にあったしこりが消えていたのである。
(ここに登場する患者さんの例は複数の患者さんの実例を織り交ぜた仮想のケースで、仮名にしています)
イレッサ服用で再発病巣が縮小
右乳房に2B期の乳がんが見つかり、乳房温存手術を希望した島田典子さん(仮名・46歳)は、2003年7月に術前化学療法を終えた。そして、ついに乳房のしこりが消えているのを自分の手で確認できたのである。
その夜典子さんは仙台の実家に電話した。約25年前、今の自分と同じくらいの年齢で乳がんのために乳房を全摘している母が電話口に出る。
「お母さん、私、がんがすっかり小さくなっちゃった。先生も、しこりが小さくなればお乳をとらなくていいって言ってたから、お乳を全部取らなくてもいいかもしれない」
「よかったね。母さんのときは、右のお乳を胸の筋肉ごとごっそりとる手術をしてね、あばら骨の上に皮1枚って感じで、温泉にも恥ずかしくていけやしない。何年かあとにはひどいむくみも出て、今でも不便なことが多くてね……。でも、ほんとにいい時代になったもんだね(*1ハルステッド手術)」
典子さんは、母の話を聞きながら、つくづく医療技術の進歩をありがたいと思った。
翌日、典子さんはK病院を訪れて、T医師の診察を受けた。
「がんが小さくなって、よかったですね。先日のMRI検査でもがんはほとんど残っておらず、完全寛解と呼ばれる状態です(*2術前化学療法による臨床的完全奏効)。手術の切除範囲も、直径2センチくらい丸くくり抜くくらいですみそうですね」
T医師は、このあと手術についてわかりやすく説明してくれた。
リンパ節郭清は必要か?

「この病院では、術前抗がん剤治療なしで乳房温存手術とリンパ節郭清をする場合、術後の入院はふつう7日間です。島田さんの場合も、それぐらいになると思います」
と、T医師は典子さんにコンピューター画面を見ながら、「今ですと、7月21日の月曜日入院、翌日手術で、27日の日曜日には退院という枠がとれます」。紀子さんは、子供たちも夏休みに入るしちょうどいいと、その時期の手術を決めた。
「ひとつ、うかがってもよろしいでしょうか、がんは消えていても腋窩郭清は必要なのでしょうか?」
典子さんは前夜の母の話が気になっていたので、T医師に聞いてみた。
「島田さんの場合、今は腫れていませんが、抗がん剤治療をする前には、わきの下のリンパ節がぐりぐりと腫れていたわけですから、転移があることは間違いありません。ですから、治療という意味で腋窩郭清(*3)はするほうがいいと思います」
「わかりました。今のお話で納得できました」
「では、次回は病棟でおめに掛かりましょうね。やることが決まっているのですから、それまで心配なさらず、ゆったりとした気持ちでお過ごしください」
典子さんは、何かが吹っ切れた様な気持ちで診察室を後にした。
月曜日の午後入院した典子さんは、火曜日の午前10時、手術台の上にいた。4カ月前、「がん」と告知されたときは、震え上がる思いだったのに、術前化学療法による闘病を経て、今はとても冷静に病気と向き合っているように思える。看護師の手で、全身麻酔のマスクで鼻と口を覆われた。
つつがなく手術は終了した
「無事終わりましたからね。うまくいったみたいですよ」
看護師からこう声を掛けられて意識が戻ったのは、病室のベッドの上だった。典子さんは「そうだ。手術を受けたんだ」と思い、右の胸を意識したが、痛みはまったく感じない。
メスが入った直後とは信じられないほどである。時計を見ると、病室を出てから2時間しか経過していなかった。
午後、回診に来たT医師は、こう話した。
「考えていた通り、がんのあった部分を小さくくり抜く手術で終わることができました。術中の迅速病理診断(*4)を行った結果切除断端がマイナスでしたから、切除範囲は十分だったと思われます。正式な病理診断は1週間くらいかかりますから、外来でご説明します」
食事は、夕食からおかゆがでた。とくにのどの違和感もなく、飲み込みにくいということもなかった。胸の傷口が少し引きつるような感じはするが、それほど気にはならない。
翌朝からは、普通の固さのご飯がついた食事が始まり、空腹を覚えていた典子さんは残さず食べている。そのあと、看護師が持続点滴を外していったので、もう病院の中を自由に歩けるようになった。
術前化学療法が乳房を守った

退院3日後、典子さんは外来を訪れた。乳房の傷の抜糸をしたあと、T医師はこの日も典子さんにうれしい報告をする。
「切除した細胞をくまなく調べても、がんは全部消えていました。病理的完全奏効(*5)という状態です。脇の下のリンパ節も、16個調べましたが、がんは全く見つかりませんでしたね。術前化学療法で期待できるいちばんいい効果を達成できました。再発の可能性はゼロとはいいきれませんが、完全寛解を得られない患者さんに比べれば数十倍も安全圏に入ったといえます。来週から放射線照射(*6術後放射線治療)をはじめましょう」
翌週から、典子さんはパート先のスーパーマーケットに復帰した。店長の特別なはからいで、5週間にわたる放射線照射のための通院中は午前中病院に行き、午後からの勤務ということにしてもらった。さらに術後リハビリテーション(*7)も行われている。
「家から近いところに設備がそろった病院があったし、職場の理解もあって、ほんとうによかった。自分の闘病は恵まれていたかもしれない」
がんを告知されたとき、「どうして自分だけが」と悲嘆にくれていた典子さんは、今ではこんな考え方ができるほど余裕も出てきた。パート仲間の主婦たちも、いろいろ気遣ってくれる。が、その中でやはり多いのは、「○○という健康食品がいいわよ」とか、「肉や卵は控えたほうがいいわよ」など、食べ物についてのアドバイスだった。T医師に聞いてみると、こんな答えだった。
「健康食品(*8)は、がんにいい、という証拠はなにもないんですよ。しかも、時に肝臓に悪い影響がでることもあるようです。全くお勧めできないですね。それと食事内容ですが、乳製品がいけない、肉がいけないなど、いろいろいわれていますが、全く根拠がないですね。バランスのとれた食事を、楽しむのが一番の薬ですよ」
半年後典子さんは、仙台の実家に帰省し、母を誘って近くの温泉に出かけた。一緒にお風呂に入ったとき、母の目が典子さんの胸に注がれる。
「おや、全然傷跡なんかわからないね。お乳をなくさずに本当によかったねぇ」
「術前化学療法のおかげよ。別の病院に行っていたら全部取られるところだったんだから」
典子さんは母の言葉をうれしくかみ締めていた。
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