乳がん長期生存の秘密 なぜ彼女たちは転移・再発してもがんに負けないのか、その原因を探る
再発3年
2度の転院で「納得できる治療」にめぐり合えた
新川眞由美さん(仮名 55歳)
03年左乳房にがんが見つかり、全摘手術を受ける。06年にリンパ節に転移が見つかるが担当医の対応に納得できず、聖路加国際病院に自ら転院。ハーセプチンを中心とした化学療法で現在に至る
骨の検査もできる病院を
がん患者なら誰しも信頼できる医師から、納得のいく治療を受けたいと願っているのではないでしょうか。私が2度、病院を変わったのもまさに納得のできる治療を求めたからです。
私の左乳房に初めてがんが見つかったのは、03年12月のことでした。以前から左胸の鎖骨近くにしこりができており、近所の横浜市の総合病院を訪ねました。でも、たまたま受付にいた看護師さんに触診してもらったところ、「これなら皮膚科ですね」と言われ、安心してしまい、検査を受けなかったのです。
しかし、しこりは、仕事に忙殺されている間にどんどん大きくなり、次に総合病院で検査を受けたところ、ステージ(病期)2の乳がんと判明したのです。 手術は別の病院で受けました。検査を受けた病院ではリンパ節や骨への転移を調べるセンチネルリンパ節生検(※1)や骨シンチグラフィ検査(※2)が行われておらず、これらの検査のために他病院に足を運ばねばならなかったためです。
もう1つ付け加えると、院内の雰囲気が暗く、気が滅入ることもマイナス要因でした。私はあるエンジニアリング会社で、病院設計の意匠(デザイン)を担当していて、自分ならもっと明るく開かれた病院をつくるのに、と感じていたからです。
こうして私は同じ神奈川の別の総合病院で、乳房の全摘手術を受けました。術後には再発予防のためにUFT(一般名テガフール・ウラシル)という経口の抗がん剤による治療を受けました。幸い、予後は順調で私はすぐに仕事に復帰でき、1年もたたないうちに趣味のゴルフも楽しめるようになりました。しかし、再発時には、その病院にもやはり不信感が芽生えます。
※1 センチネルリンパ節生検=乳房のがん細胞が、リンパ管を通って最初に流れ着くセンチネルリンパ節を検査し、ここに転移がなければ、その先のリンパ節にも転移がないと判断される
※2 骨シンチグラフィ検査=放射線同位元素を体内に投与し、体内から放出される放射線から骨の画像を撮影する検査。骨転移を調べるときに行う
医師の対応に転院を決意
手術後2年が経過し、抗がん剤治療が終わったばかりの頃でした。ゴルフを楽しんでいるとき、ふと左のわきの下にグリグリとしたしこりができていることに気がつきました。病院を訪ねると、主治医からは「脂肪の塊では?」と言われたのですが、それに疑問を抱きながらも何となく過ごしていたところ、今度は右側のわきの下に小さなしこりを見つけました。
あわてて病院を訪ねて細胞診(生体から採取した細胞を顕微鏡で検査・診断する方法)を受けますが、「がんともそうでないとも言えない」というあい��いな答えしか返ってきません。にもかかわらず、担当医は摘出手術が必要として、その場で手術日を決めたいと言うのです。その時点で、少し前には「脂肪の塊」と診断されていた左わきのしこりも、転移がんと判断されていました。
私はそれまでにも、自分なりに勉強して、乳がんが再発した場合は、薬物治療が基本になることを理解していました。
しかし、主治医は治療について何の説明をするでもなく、また精密検査の結果がまだ完全には出ていないにもかかわらず、手術が必要というのです。私にはその言葉はとても納得できるものではありませんでした。
そのとき、主治医の言葉が蘇ってきました。「術後の抗がん剤治療はどうなるのですか」と私が問うたときです。医師はなんと「やりたいのであればやりましょう」と答えたのです。私はこの答えに唖然としました。
それまでの私は、その医師を信頼しきっていました。日ごろの対応が非の打ちどころがないほどよかったからです。しかし、この1件があってからは、信頼感は急激にしぼみ、逆に不信感が頭をもたげ始めたのです。
同じ乳がんでも、再発の場合は初発の場合と違って、治療の是非が生命の危険にもかかわります。信頼のおけない病院や、医師には診てもらえません。
「この病院は頼りにならない」
そう思った私は、知人のつてを頼って、別の病院でセカンドオピニオン(第2の意見)を受けることにしたのです。
同じ治療を受けるなら、信頼のできる病院、医師から納得できる治療を受けたいと強く願った結果です。そのときには肝臓への転移も判明しており、いい病院を見つけたいという思いは強まる一方でした。こうして訪ねたのが、聖路加国際病院の乳腺外科でした。
この病院なら命を預けられる

前の病院での治療データを携えて聖路加国際病院の中村清吾医師を訪ね、自分が置かれている状況を説明すると、中村医師は画像データを取り出しながら、私のがんにはハーセプチンという新しい分子標的薬による治療が期待を持てること、同病院では、乳がん治療に中村医師を中心にチーム医療が導入されていることを話してくれました。説明を聞きながら、私はこの病院で治療を受けたいという思いがこみ上げてきました。
「この病院なら、安心して命を預けることができる」と、感じることができたのです。
新たに検査を受けるとハーセプチンによる治療の是非を決めるHER2検査も前の病院では2プラスだったのが、3プラスの陽性であることが判明しました(※3)。その結果を聞いて私は小躍りしたものです。
数カ月後、ハーセプチンとタキソール(一般名パクリタキセル)の併用治療が始まりました。効果は驚くばかりで、第1回目の投与を終えた数日後には、腫瘍が縮小している感触を自分で感じることができました。
それまでパンパンに張っていた左わきのしこりの皮がゆるみ、しこりそのものを指でつまめるようになっていたのです。そしてついに、07年5月、リンパ節、さらには肝臓に転移していたがんも画像上で消滅していたのです。
ただ、副作用による悩みはありました。私の場合は治療中もずっと仕事を続けていたこともあって脱毛、ことにまつ毛がなくなったことがとてもつらかったです。私は日ごろから、化粧が薄いので、つけまつ毛を使うと、どうしても違和感があり、自分自身でも自分の顔になじむことができなかったのです。

乳腺専門医の濱岡剛さん
そんなこともあって、がんが消滅してしばらく経った頃、中村医師にタキソール治療の中断をお願いし、今はハーセプチン単剤での治療を続けています。
こうして、今も私が元気に日々を送っていられるのは、ハーセプチンが私のがんに合っていたことはもちろんでしょう。
でも私には、それとともに病院や医師との信頼関係が築けたことも、予後が順調に進んだ要因の1つのように感じています。中村医師だけでなく、チームの中では腫瘍内科医としての役割をしている濱岡剛医師が、きめ細かに私たちをフォローしてくれています。このようなチーム医療に安心感を抱くことができる点も、治療の成果につながっているように思えてなりません。
※3 HER2タンパクが3プラスなど強陽性の人やHER2遺伝子の量が多い人はハーセプチンの治療対象となる
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