乳がん長期生存の秘密 なぜ彼女たちは転移・再発してもがんに負けないのか、その原因を探る

取材・文:常蔭純一
発行:2009年6月
更新:2013年8月

転移5年
喜び、悲しみを分かち合いながら仲間から力をもらう

橋本道子さん(仮名 59歳)
04年、乳房の張りを感じ、がん専門病院を受診したときはすでにがんはステージ4に達していた。その後すぐに聖路加国際病院に転院。現在はハーセプチン中心の治療で、画像上がんは消滅している

初診の翌日、墓探しに出かけた

私はとても幸運な乳がん患者です。

私の周りには、早期にがんが発見できたのに、折悪く再発し、命を落とす人が少なくありません。それにひきかえ私は最悪の状態でがんが見つかったにもかかわらず、元気に日々を送れているのですから……。

私が右の乳房に異変を感じたのは04年6月のことでした。

それまで、自覚症状など1度も感じたことはありません。

ある朝、目覚めると、乳房がずっしりと重くなっており、乳房全体にすっぽりとサンゴ礁が張りついているような違和感がありました。あわててかかりつけの内科医に診てもらい、1カ月ほど様子を見ることになりました。すると、その間に右鎖骨のリンパ節、さらに右側のわきの奥や横にいくつものしこりができていたのです。

右鎖骨リンパ節のしこりはゴルフボールほどの大きさがありました。あわててがん専門病院を訪ねて診察を受けると、最終段階のステージ4であることがわかりました。

担当医は、検査も受けないうちから「なぜここまで放っておいたのか」と私を責め、「残念ですが」と突き放します。私が病気や治療について質問しようと思っても、時間をとってもらうこともできませんでした。

マンモグラフィ(乳房レントゲン撮影)やエコー(超音波検査)などの検査を受け、一応治療は始まりました。しかし、医師の心ない言葉に私は落胆し、死が脳裏を過りました。

「3カ月ももてばいいほうかしら」。翌日、夫と1人娘と3人で自分のお墓探しに出かけました。親しい友人たちには、今まで趣味で集めてきた焼き物などを、形見分けしていました。

いい意味でも悪い意味でも私は諦観し、開き直っていました。

テレビで見つけた最良の医師

ところが数日後、状況が一変します。その日、テレビをつけると、聖路加国際病院の中村清吾医師と、私と同じ再発乳がんを患っていた故・田原節子さんが再発乳がん治療について話し合っていました。田原さんは、それまで治療のめどがまったくなかったのに、中村医師に出会って救われたと話していました。

その話を聞いて、私もぜひこの先生に治療してもらいたいと、すぐに連絡をとりました。

数日後、私は前の病院の担当医が殴り書きした紹介状を携えて中村医師を訪ねました。ちなみに私の病気に関する書類は、その担当医によってすべて破棄されていました。

初めて会った中村医師の言葉に、私は驚きました。最悪の状態にあることは自分でよく分かっています。しかし中村医師は、「通院治療で大丈夫ですよ」とおっしゃったのです。他の患者さんの画像データを示して、「後藤さんと同じような状態でよくなっている人もいますからね」と私を力づけてくれました。

そしてその場で細胞診を行い、その翌週から週に1度のハーセプチンとタキソールによる治療を始めることになったのです。この効果は、目を見張るものでした。3度目の治療を終えて数日後、胸やわきの下を触ってみたところ、しこりがなくなっていることに気づきました。あんなにいくつもあったしこりが、なんとすべて消え去っているではないですか。そのとき、中村医師はアメリカに出張されていたのですが帰国後に診察して「こんなこともあるんだねぇ」と、驚嘆したほどでした。

もっとも、タキソールによる治療の副作用は私にとっては比較的強いものでした。

治療を受けて3日後になると、薬が全身に回ってくるのでしょうか。体の節々がミシミシと痛み、足の裏がジンジンとしびれます。手足の爪は真っ黒に変色し、紙に触っただけで出血することもありました。

そんなことから1年半経過した05年11月、わがままを言って治療をハーセプチンの単独投与に切り替えてもらいました。

この薬だけなら、副作用で気になることはありません。経過はその後も順調で、昨年春の検査では、CT(コンピュータ断層撮影)の検査でも、画像ですべてのがんが消失していることが確認されています。

こうして、再び元気な日々を取り戻すと、「本当に自分はがんだったのだろうか」と、過去の日々が嘘だったように思えることもあります。

患者仲間から力をもらう

写真:聖路加国際病院の外来化学療法室

2009年4月に新しくできた聖路加国際病院の外来化学療法室(オンコロジーセンター)

私の命は1度あきらめたものです。それを永らえています。

でも私よりずっと若く、症状も軽かった人たちが病気を再発し、命を落としていくのを見ると「私だけが元気になっていいのだろうか」と忸怩たる思いが胸にのしかかってくることもよくあります。

「何とか、他の患者さんの力になれないか」。そう考えた私は、彼女たちから話を聞かせてもらうことにしました。再発乳がんや私のような転移が進んだ乳がんは予後がよくありません。でも、そのことが逆に作用するのでしょう。点滴時などに患者仲間が集まると、明るい笑い声が途絶えることがありません。皆で輪になって、点滴を受けながら家族や趣味のことについて笑顔でお話することも度々です。

おそらく不安が強いからこそ、その不安を打ち消そうと皆が明るく振舞っているのでしょう。

その点、私は覚悟を決め、腹が座っているところがあるのかもしれません。そうした治療中にとりとめのない話を交わしているうちに、患者仲間の多くが私にいろんな不安や悩みを打ち明けてくれるようになりました。

治療を受けに病院を訪ねると、担当の看護師さんから、「みんなお待ちかねですよ」と言われるようになり、治療後には皆でお茶を飲んだり、また個別に相談を持ちかけられるようにもなりました。

また、家族が寝静まった深夜、病院では元気に振舞っていた人から「どうして私だけが……」と、電話やメールで不安な思いを打ち明けられることもしばしばあります。もちろん私にできることは、精一杯、話を聞くことだけです。

どんな話でも、親身になって懸命に耳を傾けます。それ以外に私にできることはありません。

でも、そうして喜びや悲しみ、不安を分かち合うことで、仲間たちも私自身も、1人の患者として、そして、1人の人間として強くなっているような気がします。治療の効果はもちろんですが、素晴らしい仲間にめぐり会えたことも、私に目に見えない力をもたらしてくれているのかもしれません。

これからも大切な仲間との関係を育みながら、人生を噛みしめていきたいと思います。

がんになったからこそ、私は生きることの素晴らしさを確認できているのかもしれません。

同じカテゴリーの最新記事