乳がん長期生存の秘密 なぜ彼女たちは転移・再発してもがんに負けないのか、その原因を探る
再発10年
がんについて学び、知り、行動する
緒方知子さん(65歳)
91年に全摘手術を受ける。8年後に右乳房に転移。全摘し、術後に放射線治療を受けるが、1年後に脳への転移が見つかる。再発後、あけぼの会に入会、がんを学び続ける
91年に左乳房の全摘手術を行ってから99年に、右側の乳房に再び、がんが見つかったときに実感したことがありました。それは、いかに私自身が自分の病気について無知であったかということです。
これをきっかけに、何冊もの乳がんについての本を読み、また乳がんの患者会であるあけぼの会にも入会し、乳がんについて勉強を始めることにしたのです。00年には、転移性の脳腫瘍が判明。医師から放射線治療と抗がん剤による治療を提案されましたが、勉強の結果、抗がん剤は脳には効かないことを知り、抗がん剤治療は辞退させてもらうことにしました。
結果的に、それが私のがんにどう影響したかはわかりません。その判断がよかったのか、悩んだこともありますが、今はそれでよかったと思っています。
また、がんについて勉強したことで、がんを抑えるためには、治療もさることながら、生活を変えることも大切だと考えるようになりました。そうして、たとえば食生活の面では玄米食を取り入れたり、野菜を多く食べるようにしています。
もっとも、あまり細かなことへのこだわりは持たないようにもしています。「野菜をたくさん食べなくては」「お酒は飲んではいけない」と、自分を規制することは結局、ストレスにつながります。それが逆に進行を早めることにもなりかねません。だから「なのはなサロン」の皆と会ったときには、美味しいものも食べるし、お酒だって楽しむようにしています。
再発後も、元気な状態を維持できているのは、前述のような生き方が幸いしているのかもしれません。がんのことばかりを考えるよりも、イキイキと日々を送ることを優先するほうがずっといい。
がんについて勉強した結果、私がたどり着いた結論です。
再発4年
しっかりと命を見つめて生きる
中村寿子さん(69歳)
02年に乳がん初発。術後に抗がん剤治療を受けるが05年に局所再発、07年に右のリンパ節に転移。再発後、ホルモンレセプター(受容体)反応が陽性に変化。ハーセプチン、ホルモン治療を受ける
私は毎年、お正月になると、夫とともに預金や保険などの大切な書類を整理して覚え書きをつくります。これは、左乳房にがんが局所再発してから、1年1年をしっかり生きようという決意表明ともいうべき習慣です。
02年に初めて左乳房にがんが見つかり、術前治療としてタキソールによる抗がん剤治療を受けた後、03年1月に全摘手術を受けましたが、その2年後には、局所再発が起こりました。
再発時には、局所手術を受けた後、アリミデックスというホルモン剤の治療を受けることになりました。
しかし、残念ながら、2年前に今度は右のリンパ節に転移が起こり、ホルモン剤のフェマーラ(一般名レトロゾール)による治療が始まりましたが、08年、リンパ節への転移がんが大きくなってきたため、ハーセプチン(一般名トラスツズマブ)による治療を7カ月受けました。検査を受けた結果、がんが消えていたので、再度フェマーラによる治療に切り替えて、現在に至っています。
がんが見つかるまで、私は生活のすべてを夫まかせで、2人でどこかに出かけるときも、私は切符を買ったことさえなかったほどでした。そんな日々の暮らし方が、がんが見つかり、さらに再発してからは、大きく変わっています。自分でしっかりものごとを見つめ、自分で考えて判断するようになってきたのです。再発後の治療も、変わりました。仲間の話も聞いたうえでじっくり吟味して、治療法を決定するようになったのです。
生活面では夫との関係も変わり、今では私が夫をサポートしています。夫婦の日課になっているスイミングやウォーキングは、私が言い出して始めています。今はホルモン剤の効果が持続していますが、1日1日を大切に噛みしめて生きていきたいと思っています。
再発6年
再発後も普通に仕事を続けた
渡辺弘美さん(49歳)
02年1月、乳がんの温存手術を受ける。術後に放射線治療を受けるが、1年半後に骨転移が見つかる。防衛医大病院との病診連携で、くにとみ内科外科クリニックでハーセプチン、タキソールの併用治療を受けている
7年前に初めて左乳房にがんが見つかり、その1年後に股関節や仙骨、腸骨への転移が見つかりました。治療はハーセプチンとタキソールの併用治療。今は歯の治療のために中断していますが、他にも骨転移対策としてゾメタという薬の治療も続けています。がんが見つかってからも、ほとんど休むことなく、保育士の仕事を続けています。
月曜から金曜までは保育園で仕事をして、土日に集中的に治療を受けるようにしています。骨転移の影響で以前のように子どもたちと走り回ることはできませんが、本の読み聞かせなど、やれることはいくらでもありますからね。
私は、がんを特別な病気だと思っていないし、家族も職場の人たちも私を特別扱いすることはありません。それが私にはとてもありがたいです。自宅にいるときは、抗がん剤の副作用で疲れが出ると、率直にそう伝えてベッドに横になっています。家族たちはそんな私を慰めるでも励ますでもなく、淡々と自然に受け止めてくれているのです。
職場でも無理をすることなく、自分にできる範囲でがんばっています。そんな私に対して同僚たちは家族と同じように、ごく自然に振舞ってくれています。
保育園の子どもたちに、癒やされることも少なくありません。
最近になってタキソールの副作用でリンパ浮腫が起こっていますが、むくんだ足を見て、子どもたちは「太くなっちゃったね、たいへんだね」と、小さな手でそっとなで上げてくれます。そんな子どもたちの振る舞いが、私には癒やしになっているのです。子どもたちとの交流があるからこそ、がんと向かい合っていられるのかもしれません。
再発10年
こどもの成長を糧に定年まで働き続ける
高柳清子さん(62歳)
85年に左乳房にがんが見つかり、全摘。14年後の99年、卵巣、さらに肝臓への転移。06年には肝臓に再々発が見つかり、タキソテール(一般名ドセタキセル)による治療を受け、現在に至る
私の家庭は母子家庭で、女手1つで息子と娘を育ててきました。
85年に乳がんが見つかり、全摘手術を受けました。しかし、その14年後に、卵巣、肝臓に転移が見つかり、手術と抗がん剤治療を行いましたが、06年には肝臓に再々発。ホルモン剤による治療を始めましたが、ホルモン剤の効果が出ず、代わって抗がん剤治療を受けることになりました。
「小学生の息子と娘が1人前になるまでは」と、私はずっと仕事を続けてきました。
今思うと、私にとっては日々の生活それ自体が、がんに立ち向かうモチベーションとして作用していたのかもしれません。
そんな私を職場の人たちは、とても温かく見守ってくれました。
周囲に恵まれたことも、病気に負けず、がんばり続けられた要因の1つといえるでしょうね。
もっとも、がんという病気には絶えずさまざまな不安がつきまといます。
2年前に無事定年退職し、息子も成人してからは目標がなくなったこともあるのかもしれません。漠然とした不安が高まり、うつ的な気分に苛まれるようにもなりました。そんなときに私を救ってくれたのが「なのはなサロン」でした。仲間とともに生きる喜びを知ったことで、再び元気を取り戻すことができたのです。
おかげさまで息子も外科医に成長し、今は長野県の病院で働いています。
近々、私は抗がん剤を注入するためのポート設置のために、息子の手術を受ける予定です。
私の乳がんを機に、外科医になった息子の将来に期待したいと思っています。
再発10年
子どもの病との闘いががんを忘れさせてくれた
西川はるみさん(仮名 54歳)
14年前に左乳房のがんを切除した後、4年後に局所再発、さらに3年後には骨にも転移が見つかりました。骨の痛みもきつかったし、治療に用いた抗がん剤の副作用もつらかった。
それでも何とかがんを乗り越えられたのは、子どものことばかり考えていたのが逆に幸いしたのかもしれません。長女が中学生のときに、「心の病」に陥りました。その病を克服するために、二人三脚で必死にがんばってきたのです。幸い、長女は大検に合格し、未来が見えてきました。私もこれからはゆっくり生きていければと思っています。
再発6年
夫とともにゆったりとわがままに生きる
稲垣ノブ子さん(66歳)
自分でいうのもおかしな話かもしれませんが、がんが再発してからは夫に甘え、わがままに暮らさせてもらっています。年2回は夫と海外旅行に出かけ、がんの効用で知られる秋田県の玉川温泉にも、しばしば足を運んでいます。
それまで懸命に暮らしてきたのだから、誰に迷惑をかけるでもなし、そろそろ好きに暮らしてもいいんじゃないかと思っているんです。そうしたゆったりとした暮らしぶりが、がんを遠ざけてくれているのかもしれません。
再発7年
治療をやめたら体調がよくなり、仕事も始めた
澤井幸子さん(61歳)
治療がまったくない状態で、がんとの共存を続けて今年で5年目を迎えています。9年前に左乳房を全摘した後、左右両側の首のリンパ節への転移をくり返し、5-FU(一般名フルオロウラシル)やタキソテール(一般名ドセタキセル)による抗がん剤治療を受けてきました。でも、ある段階で効果が止まってしまったのです。治療を中断してからは、体調もずっといい。それで今は、日本料理店でのパートの仕事も始めています。職場で仲間と話をしていると、自分ががんであることを忘れます。こんな張りのある日々を少しでも長く続けたいと願っています。
再発13年
再発後13年、趣味に熱中し、がんを忘れる
藤田邦子さん(仮名 69歳)
ずっと前に夫がパーキンソン病を患ってからは、夫の面倒を見ながら家事と家業の機械部品工場を支えてきました。
18年前に乳がんが見つかり、その5年後に骨とリンパ節に転移が見つかってからもそれは変わりませんでした。
6年前に夫が亡くなってからは肩の力がすっと抜けたようで工場の仕事もやめました。今は、趣味のグランドゴルフに興じる毎日。その後は、犬の散歩に孫の世話。ストレスがないからか、病気もずっと落ち着いてくれています。
再発10年
がんと正面から向き合い、患者仲間から学ぶ
山本恭子さん(仮名 65歳)
10数年前、乳房に湿疹を見つけたときは、心の中ではがんかもしれないと思いながらも、病院に行かず、塗り薬をつけて自分をごまかしていました。 でも、乳房を切除。ほどなくして肝臓への転移を経験してからは、これではいけないと思うようになりました。患者会に入会し、野菜中心の食生活に切り替え、毎日1万歩歩くようにしています。ひまがあれば、がんに効くといわれる秋田県の玉川温泉にも出かけます。岩盤浴で汗を流すと、体内の悪いものがサッと流れていく思いを感じます。
再発21年
医師を信頼し、忙しくする
高橋ヨシエさん(77歳)
19歳で富山県から上京し、ずっと1人で生きてきました。21年前に乳がんを患い、肝臓、骨、肺に転移した後もそのことは変わりません。
6年前にそれまで経営していた小料理屋を手放してからも、毎朝6時半に起きだしてパートの仕事に出かけています。仕事以外にも掃除、洗濯、それに親しい友達とのおしゃべりと、やることはいくらでもあります。
主治医を信頼することと、そうして毎日、忙しくしていることが、がんに負けない秘訣だと思っています。
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