渡辺亨チームが医療サポートする:再発乳がん編

取材・文:林義人
発行:2004年10月
更新:2019年7月

がんをコントロールすれば十分に長生きできる

 前田久美子さん(56)の経過
2001年
4月1日
入浴中にしこりを発見
4月2日 かかりつけの内科医で「乳がんの疑い濃厚」といわれ、T医大付属病院乳腺外科を紹介
4月18日 T医大付属病院乳腺外科で2期の乳がんと確定診断
5月10日 手術でがん摘出
5月17日 腋窩リンパ節転移陰性、ホルモン受容体ER陽性・PGR陽性と診断(HER-2は未検査)。タモキシフェン療法を開始
2002年
5月20日
鎖骨上リンパ節転移を発見、医師から抗がん剤治療(CAF)を勧められる
6月1日 T医大付属病院でアロマシンの治療を開始
8月10日 咳が出るためT医大付属病院を受診。肺に広範囲の転移が判明、アロマシンが無効と判明
8月17日 再び第一がんセンターでセカンドオピニオンを受ける。HER2検査の結果、強陽性と判明
8月20日 第一がんセンターでハーセプチン治療を開始
9月20日 肺症状が改善
2003年
4月10日
肝転移発見。タキソール治療を追加。肝機能改善
10月25日 MRI検査で右大脳への転移を発見
11月10日 ガンマナイフ治療
2004年
4月
肝転移の消失を確認
8月 左半身のマヒも解消。ハーセプチン治療を続行

東京・山の手に住む主婦・山下久美子さん(仮名・56歳)は、2001年5月、T医大付属病院乳腺外科で2期の乳がんのため左側乳房を全摘、術後タモキシフェンによるホルモン療法を受けた。

しかし、1年後、鎖骨上リンパ節への転移が見つかり、アロマシンに切り替えた。

さらにセカンドオピニオンを受け、HER2が陽性であることがわかったため、ハーセプチン治療を受けることになった。果たしてその結果は?

ハーセプチン単独の治療から

8月17日、久美子さんは診察室でS医師から治療の説明を受けている最中も「コホン、コホン」と咳が出るのを抑えられなかった。「このつらい症状が、注射で簡単に治るのだろうか」と、不安が募ってくる。S医師はいたわるような視線を久美子さんに向けながら話す。

[ハーセプチンとタキソールの併用療法の生存率]
図:ハーセプチンとタキソー��の併用療法の生存率

「ハーセプチンは単独で使った場合、4人に1人くらいがんを小さくできます。これにタキソールという抗がん剤を一緒に使うと、有効率は1.5倍以上高くなることがわかっているので、山下さんの今の病状ではこの併用を第一選択とすべきでしょう(*1ハーセプチンとタキソールの併用)。しかし、タキソールは副作用の強いお薬で、脱毛はほぼ必発です。もし近々何かご予定がありましたら、おっしゃってください。第二選択であるハーセプチン単独の治療でも、効果は結果的にそれほど変わらない可能性もありますので」

久美子さんはすぐに長女の薫さんの結婚式が近づいていることが頭に浮かんだ。

「じつはもうすぐ長女が結婚します。式の日までは脱毛は避けたいのですが」

「わかりました。最初はハーセプチン単独の治療をしていきましょう」

「先生、ハーセプチンというのは、効けば、どのくらい生きられるのでしょうか?」

このような質問にもS医師は、目をそらさず答える。

「乳がんに限らず、がんの予後を予想することはなかなか難しいですね。再発乳がんの予後も、個人によってかなり差がでます。逆に言えば必ずしも悲観的になることもないはずです。たとえば糖尿病も治らない病気で、ときには致命的な合併症が起きることもあります。しかし、血糖値をうまくコントロールしていけば、QOLも維持でき、長生きすることもできます。再発乳がんも糖尿病に似たところがあって、いろいろなお薬を使ってある程度がんをコントロールできるようになっています。病気を抱えながら長く生きる方も珍しくありません。ぜひ前向きに考えるようになさってください」

久美子さんは、「この先生が私のがんをコントロールしてくれるんだ」という信頼感を改めて強く持つことができた。

肺転移の症状が消えた

ハーセプチンを初めて点滴した2002年8月20日、帰宅してまもなく久美子さんは真夏にもかかわらず強い寒気を感じた。検温してみると、39.6度もある(*2ハーセプチンの副作用)。肺転移のための空咳も続いていた。夫も2人の娘たちもまだ仕事から帰ってきていない。途方もなく心細くなっていた。

「そうだ。先生が解熱剤を出してくださったんだわ」

久美子さんが薬を飲むと、体がだんだん楽になった。が、ふとんの中でも咳が続く。

よく眠れない夜だったが、翌朝目が覚めると、久美子さんは「おやっ?」と思う。あれほど続いていた咳がすっかり減り、胸の苦しさが後退している。

「薬が効いてきたのかしら? まさかこんなに早く?」

気分は回復していた。食欲も出てきた。

2、3日経つと、少し残っていた咳もぴたりと収まった。今度こそハーセプチンの効果が明らかに自覚できた。

「全然咳をしなくなったな。食欲もすごいね」

夫の稔さんが、いかにもうれしそうに言う。

翌週、ハーセプチンの注射を受けに行くと、S医師が体の様子を聞いてきた。

「ウソみたいに楽になっています。やはり薬が効いたのでしょうか?」

「間違いないでしょう。ハーセプチンの効果は、早く出ることがあるんですよ」

S医師の言葉に久美子さんはパッと気分が明るくなった。「再発乳がん治療の目指すものはQOLの改善です」とS医師が言っていたことが実感できたのである。

4回目のハーセプチン点滴のとき、レントゲン撮影を行った。その結果の映像を見せながらS医師は、「明らかに前回と比べて肺の影も少なくなっていますね」と説明する。症状も感じなくなっていることから、久美子さんは「もうがんも治るかもしれない」とさえ感じることができた。

11月20日の長女の結婚式には、とっておきの着物を着て臨んだ。披露宴の中華料理を口に運びながら、「今日は自分の髪で出られて本当によかった。この調子ならきっと孫が小学校に上がるくらいまで大丈夫だわ」と、久美子さんは心から喜んだ。

タキソールの追加が必要

久美子さんは2003年を迎え、冬の間は風邪も引かず、快適に過ごしていた。定期的にCT撮影を行い、腫瘍マーカーなどの血液検査をしていたが、異常は現れていない。

ところが4月10日に、肝機能に異常が出た。

「GOT120、GPT35と高く、LDH(血清乳酸脱水素酵素)も上がっています。腫瘍マーカーCEAも132と高くなっています。エコーとCTで診ましょう(*3超音波検査とCT)」

S医師は超音波装置が備えられた治療台へ久美子さんをうながす。横になると、久美子さんの腹部にプローブが当てられた。転移病巣が5、6個見られる。

「影が見られますね。残念ながら、肝転移のようです」

いつも明快な口調のS医師の声もちょっと沈んでいるように聞こえた。

CTで確認すると腫瘍は大きいので3センチぐらいあることが確認できた。久美子さんは、「あまり自覚症状がなかったのに、また……」と思ったが、それでも肺転移が見つかったときほど、大きなショックはない。「再発乳がんは糖尿病みたいなもの」というS医師の話もまだしっかり頭に残っている。

「やはりタキソールを追加しましょう(*4肝転移への治療)。ハーセプチン治療で来院されたとき、一緒に受けていただくことになりますが、週1回3週連続で点滴し、1週休むというやり方で、計12回の点滴を行います(*5タキソールの毎週投与)」

S医師は、併せてタキソールの副作用や治療を受けるための生活上の注意についても話す。「脱毛は必ず起こるので、かつらを用意されるのがいいでしょう」

第一がんセンターでの毎週点滴は、まず約1時間かけてハーセプチン、続いて約1時間かけてタキソールである。タキソールを始めても、吐き気を覚えたり、食欲が衰えることはなかったが、指先にしびれを覚えたり、足の裏に玉砂利を踏むような感覚が現れている。そして、2回目の点滴のあとあたりから髪の毛が抜けはじめ、久美子さんはかつらをつけなければならなくなった。

2003年8月末、12回目のタキソールの点滴を終えた頃、前年嫁いだ長女の薫さんから電話があり、「年末に孫が誕生する」との知らせを聞いた。「もうすぐ孫の顔が見られるんだ」

「GOTは90、腫瘍マーカーCAEも88まで下がりました。すっかり肝機能は回復していますよ」

S医師はこう告げ、当初の予定通り、タキソールの点滴を終了、ハーセプチン単独の治療に戻った。

ついに脳にも転移した

2003年12月15日、久美子さんに初孫が誕生した。2500グラムもある女の子で、「目元がおばあちゃんそっくりじゃない」などと言って、周囲は久美子さんを喜ばせた。

が、この直後に第一がんセンターを訪れたとき、久美子さんはまたS医師から「肝機能値に異常が見られる」と聞かされた。CTで肝臓に数個の影が確認される。初めと同じく12回の点滴による2度目のタキソール治療が行われた。

2004年5月初めの夕食時、久美子さんは左手に持ったご飯茶碗をテーブルの上に落としてしまう。「あらあら、私ったらそそっかしいわね」と茶碗を拾おうとするが、このとき左手にまったく力が入らないことに気がついた。「変だわ」と立ち上がろうとすると、今度は左足にも力が入らず、床に崩れ落ちてしまった。

目の前で母の異常を目撃した次女の早苗さんは、「がんの合併症が現れたのかも」と直感。第一がんセンターに電話した。折りよく居合わせたS医師に、症状を詳しく話す。「脳転移の疑いがありますね」と口にしたS医師は、「けいれんはないですか?」「頭痛は?」とさらに詳細を電話口で聞き返す。「けいれんや頭痛はありません」と早苗さんが話すと、S医師は「今のところ脳圧亢進を示す症状はないようですね」と言い、「明日朝一番でお越しください」と落ち着いた口調で告げた。

写真:ガンマナイフ
転移性脳腫瘍に対して威力を発揮するガンマナイフ

翌日、早苗さんの車で第一がんセンターを訪れた久美子さんは、すぐにMRI検査を受けた。そして、右前頭葉に3センチ大の腫瘍が1個、左側頭葉に1センチ大の腫瘍が1個発見される。「これが運動障害の原因でしょうね」とS医師は、画像上の大きなほうの腫瘍を示しながら話した。

久美子さんは10月22日、第一がんセンターに入院し、脳の転移腫瘍への治療としてガンマナイフ術*6)が行われた。1泊2日の入院で両方の腫瘍が治療された。

2004年11月現在、山下久美子さんは左半身に軽いマヒは残っているが、健在である。1年間は、新しい転移も見つからなかった。もちろん毎週のハーセプチン点滴は受けているが、「私は現代医学の恩恵をこうむることができた」と実感できるほどに至っている。


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