小児がんの“心のサポーター”チャイルド・ライフ・スペシャリストの姿勢 「子どもたちを真ん中に置いた医療」黒子に徹して闘病生活を支える
スタッフの熱意をはかる子どもたち
このエピソードを裏づけるように石田さんもこう語る。
「子どもは大人とはまったく異なる価値基準で治療を捉えています。大人は病気を治すためには仕方ないと割り切って考えます。しかし、子どもは周囲の人間が、どれだけ自分のことを真剣に考えているかをシビアに見ています。そうして相手が信頼に足ると判断すると、まあ仕方ないかと治療を納得するようなところがあるんです」
いってみれば小児科医療の現場とは、治療を行うスタッフの素の人間性が問われる場ともいえる。考えようによっては、これほど厳しい仕事もそうはないだろう。その仕事を青木さんは、いとも涼しげにこなし続ける。

たとえば注射を渋る子どもには、「注射は痛いけれど、他のことを考えていたら我慢できるかもしれないね」と、検査中ずっと絵本を読み聞かせる。また検査や手術を恐れる子どもには、予行演習として、何度も何度も一緒にぬいぐるみを患者に見立てた「お医者さんごっこ」を繰り返す。そうして青木さんとともに時間を過ごすうちに、子どもたちは自然に心を開き、いつしか治療に順応していく。
さらに、そうした青木さんの仕事の対象は入院患者さんだけに限られているわけではない。
やはり石田さんが担当している外来から呼び出しがかかることも多いし、他の病棟から、父母や祖父母を見舞いに来た子どものサポート依頼を受けることも少なくない。また概ね2カ月に1度のペースで催される「誕生会」などのイベントでは、食べたいもののリクエストを募り、栄養士の青山高さんとメニュー作りなどの準備も任される。こうして見ると、子どもに関することすべてに青木さんが関っているようでもある。
パパ・ママと離れたくない

ぬいぐるみと過ごすひと時が
子どもたちの心を癒す
その青木さんの仕事の意味がよくわかる実例がある。少し前に入院していた女の子のケースだ。
その女の子は以前の手��で、術後に患部である足を包帯で巻かれた経験を持っている。その女の子に再手術の日が迫っていた。本人には再手術の予定があることは知らされていない。しかし、女の子は敏感に状況を察知していた。
それが分かったのは、青木さんと女の子とで行った、クマの縫いぐるみを用いた「お医者さんごっこ」の遊びの中である。手術前、女の子はそのお医者さんごっこを繰り返し、そのたびに患者に見立てたぬいぐるみの足を包帯でグルグル巻き続けていた。そして、患者役のぬいぐるみに手術をする場面になると「この子はママに会いたくなっちゃったから手術は中止」「ママに会えたから手術がんばるの」「手術が終ったらママに会えるの」などと話していた。
「女の子にとっては、手術そのものよりも、パパやママと離れてしまうことのほうが切実な問題だった。手術に前向きになれたのは、お医者さんごっこなどの遊びを通して、パパとママと離れる心の準備や、手術を受けた後も、パパもママもいなくはならないことが確認できたからではないでしょうか」
と、青木さんは淡々とした表情で話す。
そうした子どもたちへの対応で、青木さんが心がけているのが、「適切な距離感」を維持し続けることだという。
「まず前提として、子どもたちの言ったことは否定しないで受け止めるようにしている。そして子どもたちにとっての母親役ではないことを意識している。それに赤ちゃん言葉も一切、使わない。子どもを1人の人間として認めるところから私の仕事は出発しているように思っているのです」
これは前に紹介した藤井さんの体験にも通底する言葉だろう。あるいは優しさや思いやりのなかに毅然とした姿勢を感じるからこそ、子どもたちは青木さんの言動に、理解や共感を覚えるのかもしれない。
青木さんの仕事はがんになった子どもへの対応だけではない。父母や祖父母を見舞いに病院を訪れた子どもたちのサポートも、重要な青木さんの役割だ。
たとえば母親がターミナル期の治療を受けている場合には、青木さんは「お母さんのためにしてあげることをお手伝いする係り」として子どもたちをフォローする。そうして子どもと一緒に遊んで緊張感を和らげたり、母親にプレゼントする絵やオブジェをともに制作したりもする。
もちろん、その際には、子どもがどんな状況にあるかをしっかりと見きわめる。
「家族ががんになると、子どもたちにどの程度、情報を伝えるかということも大切な問題です。その場合には、患者さんや他の家族の意思とともに、その子自身がどれだけ知りたがっているかということも重要です。そんなときには、さりげなくその子どもの気持ちを把握して、そのことを医師や看護師にお伝えします」 ここでも「子どもを真ん中に」というケアの姿勢が具現化されているわけだ。
末期にあっても子どもたちは正確な情報を求める
近年になって抗がん剤治療の進歩もあり、小児がんの治療実績は飛躍的に向上している。小児がんの治癒率は70パーセントを上回っている。
もっとも、難治性の脳腫瘍や肉腫など、治療に限界があるケースも含まれている。そうした場合には、子どもたちにどの程度の情報をどう伝えるか、医師をはじめとするスタッフには、つらい判断が求められる。
これまでに何例もそうしたケースを経験している石田さんは、末期にあっても正確な情報を求める子どもたちが少なくないという。そうした場合には両親の意向も確かめたうえでありのままの状況を伝えることもある。多くの場合、そうしたいわば最終告知の場にあっても、子どもたちは毅然とした姿勢を保っているという。
「大人と違ってしがらみが少ないからかもしれません。残された人生に対する希望がはっきりしています。自宅で両親と暮らしたい。また学校に戻りたい、あるいはもう1度グラウンドでサッカーを楽しみたいと、最後の望みをはっきりと口にする子どもたちが少なくありません」
青木さんもそうしたケースを経験している。
そろそろ成人に達しようという末期の男性患者さんから、「医師に聞いても本当のことは教えてくれないに違いない」と何度となく思いを聞いたことがあるという。もちろん、そうした場合にも青木さんが表に出ることはない。ただ患者さんの気持ちをそのまま受け止めるだけだ。
病院にいる間にわずかでも成長してほしい
実は、そうした青木さんの役割こそが静岡がんセンターの小児がん医療をスムーズに機能させていると石田さんはいう。
「青木さんがいるから私のやるべきことがはっきりと見えてくる。私たち医療スタッフと青木さんの関係は、サッカーのパス役とポイントゲッターのそれに似ています。サッカーではいいパスが出ると、自然にシュートの道筋が見えてくる。青木さんが日ごろから子どもたちと接し続けてくれているから、私たちの治療の方向が浮かび上がってくる。青木さんがいることで私たちの医療の質がどれだけ高められているか……」
そんな周囲の評価を知ってか知らずか、青木さんは今日も飄々と子どもたちと遊び、自らに課した「黒子の役割」を全うし続ける。そこにどんな思いが交錯しているのだろうか。
「病院にいる間に子どもたちはいろんな経験を積み重ねます。その経験を通して、子どもたちが自分の力に気づき、1人の人間として、少しでも成長してくれればいいなあと願っています」
青木さんがチャイルド・ライフ・スペシャリストという仕事を志したきっかけは学生時代、ある新聞で、この職種の先達で現在も千葉県こども病院で同じ仕事を続けている藤井あけみさんのインタビュー記事を見たことにある。
「その記事の中で子どもたちといっしょに写真に写っている藤井さんの笑顔がとても印象的だった。私もこんな笑顔で仕事をしたいと思ったのです」
小児科のプレイルームではトランプ遊びを終えた男の子が「夏休みに父さんや母さんと富士山に登るんだ」と、不意に訪れた理学療法士に話している。寡聞にして藤井さんの記事を見ていない。
しかし同じソファの端っこで男の子を見守る青木さんの笑顔は爽やかそのものだ。
「あくまでも患者さんを真ん中に」――静岡がんセンターの理念を実践しながら、青木さんは持ち前の笑顔で病気と闘う子どもたちを勇気づけ続ける。
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