先見性を持った活動を展開し続ける「財団法人がんの子供を守る会」 がん医療とそのサポート体制を患者側から変えてきた40年の闘いの軌跡

取材・文:半沢裕子
発行:2008年12月
更新:2013年4月

1人1泊1000円の宿泊施設。プレイルームもあり悩み相談も

2004年に完成したアフラックペアレンツハウス浅草橋
2004年に完成したアフラックペアレンツハウス浅草橋

そうした家族支援の一貫して東京都内にオープンしたのが、アフラックペアレンツハウスだ。ペアレンツハウスとは、通院目的の子どもと家族が泊まれる宿泊施設で、1棟目は2001年、東京都の亀戸に、2棟目は2004年、浅草橋に完成した。

闘病のための宿泊施設というイメージを破り、建物は驚くほど明るくおしゃれ。中には宿泊部屋だけでなく、子どものプレイルームや会議室もある。会の事務局が置かれているので、ソーシャル・ワーカーに相談もできる。

いずれもアメリカに本社を置くアフラック(アメリカン・ファミリー生命保険会社)からの寄付により、工事代金が全額まかなわれているため、名前に「アフラック」がついているが、垣水さんはこう語る。

「アフラックさんがすばらしいのは、工事代金を寄付しておしまい、ではないところです。ペアレンツハウスは、小児がんや難病の治療を行うお子さんとご家族に、1人1泊1000円でご利用いただいています(患者さんは無料)が、経営は当然赤字で、年間4000万円ほど不足します。ところが、アフラックやアフラックの販売代理店(アソシエイツ)、またアフラック社員らが個人的寄付をしてくれるので、運営費にさせていただいています」


アフラックペアレンツハウス浅草橋

専門のソーシャルワーカーやハウスマネージャーが常駐していて、医療から生活のことまで、相談に応じてくれる

アフラックペアレンツハウスはまもなく大阪でも建設が始まり、3棟目が来年11月に完成する予定。家族での宿泊を頻繁に確保しなければならない親にとって、本当にありがたいサポートだろう。

ここで、「がんの子供を守る会」の運営資金にふれておくと、ほとんどが寄付。アフラックのような大口もあれば、毎年行うイベントの収入を、設立当初から寄付してくれる(社)婦人発明家協会のようなところもある。また、「療養助成は返還する必要がありませんが、���子どもが20歳になったので』とか、逆に、『残念ながら亡くなりました』など、寄付してくれる親御さんがたくさんいます。企業の大きな寄付も個人のこうした寄付も、私たちには本当にありがたい資金です」と近藤さん。

その意味では、76年に会への寄付が免税になったことも、運営的にはとても大きいのだという。

がんが治る子が増えて、会の仕事も変わって来た

会では専門のソーシャルワーカーや嘱託医が、小児がんに関するさまざまな相談に応じている

会では専門のソーシャルワーカーや嘱託医が、小児がんに関するさまざまな相談に応じている

最近のいちばん大きな変化は、「治る子が増え、それにともなう支援が必要になってきたこと」(垣水理事長)だ。

「私たちは治った子を『小児がん経験者』と呼んでいますが、たとえば小学生から高校生の場合は、復学のことで悩んだり、抗がん剤による脱毛でいじめにあう、といった問題を抱えます。もう少し大きくなると、就職活動のとき、既往症に書くか書かないか、といった問題で困惑する。最も深刻なのは結婚で、相手の親が『そんな放射線をたくさんかけた人でいいの?』と、結婚に非常に消極的になってしまうんですね。また、治ったとはいえ、後遺症や、ずっとあとで出てくる晩期障害などで苦しむこともあります。小児がん経験者たちのそうした悩みに応え、サポートしていくことが、活動としても重要になってきています」(垣水さん)

こうした動きを受けて、1993年、会には「フェロー・トゥモロー(通称F・T)」という、小児がん経験者(当事者)の会が誕生した。

「きっかけはふたつありました。1つは、あるお母さまから電話があり、『子どもが思春期を迎えて、何を考えているかわからない。助けてくれる会はないかしら』という相談を受けたことでした。もう1つは、『小児がん(白血病)の患者ですが、本人でも会員になれますか』という電話をいただいたことです。そのとき、当事者の会を作る時期だなと感じて、会を立ち上げたんです。」(近藤さん)

最初に本人会員となった前述の女性は、その後『フェロー・トゥモロー』を離れて、『MN(みんな元気)プロジェクト』を立ち上げた。MNプロジェクトは、現在幅広く小児がんの理解を目的に、全国で講演活動などを行っているという。

話を聞くと、親以外の大人、それも子どもにくわしい専門家と、同年輩や先輩の子どもたちに相談できる小児がん経験者は、一般のティーン・エイジャーより恵まれていると思えてくるほどだ。

家族に迷惑をかけたからと、遠慮する子どもの自立を支援

垣水さんは「手を広げすぎですが、何しろやりたいことが多すぎて」と苦笑する。が、必要を感じた事業にはいち早く取り組み、成果を積み重ねてきたことが、今日の会の土台となっているといえそうだ。

このほかにも、医大へのボランティア派遣や、入院中の子を慰めるクラウン(ピエロ)ドクター事業、さらには世界の小児がんの子供たちの絵画展など、長く、あるいはくり返し手がけている事業は数多い。

会の活動目的の「子供にもがんがあることを広く知らせること」についても、会はさまざまな広報活動を行っているが、いちばんの広報活動はまさに「必要な事業を行うこと」そのものでは、と思えるほどだ。

2006年には、さらに「ゴールドリボン基金」を立ち上げた。ゴールドリボンとは、小児がんの子供達とその家族を支援するシンボルマーク。アメリカを中心にこのシンボルのもと、小児がんの理解や治療研究、各種助成などの活動が行われている。しかし、日本ではまだ不十分と、アフラックの寄付をもとに基金を立ち上げた。がんの子どもを守る会におけるゴールドリボン運動の目的には、小児がん経験者のQOL(生活の質)向上、小児がんの正しい理解などがあげられているが、「治る時代」ならではの活動は「自立支援」だ。

「免許をとりたい、大学に行きたい、など、小児がん経験者はさまざまな希望をもちますが、今まで家族に多大な負担をかけているからと、遠慮するんです。ですから、1人50万円が上限とわずかですが、自立のための活動支援を事業に加えました」(垣水さん)

40周年を迎えて、「がんの子供を守る会」の足取りは、なお積極的かつ先進的のようだ。

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