大腸がんのペプチド・ワクチン療法 変装するがん細胞を追いつめ、攻撃するワクチン療法

監修:田原秀晃 東京大学医科学研究所先端医療研究センター外科・臓器細胞工学分野教授
取材・文:松沢 実
発行:2005年6月
更新:2019年7月

DNAの遺伝情報から抗原を割り出す

がん免疫療法に携わる研究者によるエピトープ・ペプチドの探索が世界的ブームとなる中で、田原さんらが挑んだ大腸がんのエピトープ・ペプチドの探索は困難を極めた。

ブーン博士らの方法は、メラノーマの患者から採取した腫瘍組織の中のT細胞を取り出し、それを元の腫瘍細胞と混ぜあわせてT細胞にがん細胞を攻撃させる。その際、がん細胞の表面に浮き出た抗原が目印となるから、そこからエピトープ・ペプチドのみを取り出すというものだ。

しかし、ブーン博士らの方法では、皮膚の表面にできるメラノーマでの探索だから容易だが、体内の腸の中に発生する大腸がんの場合、まずその組織を採取することからして容易ではない。加えて、がん組織を採取できても、その中からT細胞を取り出して培養するのも難しい。さらに、そのT細胞を用いて抗原を見つけるのはさらに困難を極める。

人間の体は約60兆個の細胞からできており、それぞれの細胞には赤血球を除き、核がある。その核の中の染色体には遺伝情報を担うDNA(はしごをねじったような2重らせん構造をしていて、段に相当する部分に核酸塩基がある)が納まっている。核酸塩基にはアデニン、シトシン、グアニン、チミンの4種類があり、この組み合わせが遺伝情報になっている。この遺伝子の1セットを「ゲノム」と呼ぶ。そこで考え出されたのがこのゲノム情報を用いたゲノム包括的探索法ともいうべき新たな方法だ。

ヒトのゲノム情報は細胞の核の中の約30億塩基対に詰められており、ひとつの核の中には約3万個の遺伝子が存在するが、正常細胞とがん細胞では遺伝子が微妙に異なるうえに、その発現の有無も異なっている。

「ゲノム情報からエピトープ・ペプチドを見つけるには、まずがん細胞に数多く発現しながら、正常細胞にはほとんど発現していない遺伝子を探し出します」(田原さん)

科学的免疫療法の夜明けは近いか

最近は、どの遺伝子が発現しているのかを調べるDNAチップ(マイクロアレー)によって、がん細胞の発現遺伝子が容易に確かめられるようになった。そして、その中からがん抗原となるエピトープ・ペプチドを含むタンパクを合成する遺伝子をさらに絞りこんでいく。

「幸いなことに東大医科研には、ヒトゲノムの遺伝子発現状況を日本でもっともストッ��している中村祐輔教授の研究室がありますので、中村先生らの助力を得てエピトープ・ペプチドを含むリング・フィンガー・プロテイン43(RNF43)と呼ばれる遺伝子産物を見つけ出したのです」(田原さん)

田原さんらはこのRNF43というタンパクを構成するペプチドの中から、さらにT細胞の目印となるエピトープ・ペプチドを突き止める実験を重ねていった。

一方、エピトープ・ペプチドを乗せてがん細胞の表面に浮き出させるHLAによっても、がん抗原は異なってくる。前に述べたとおり、HLAの型は200種類以上に及んでいるが、その中から日本人に多い2つのタイプのHLAに狙いを定め、その上に乗るエピトープ・ペプチドの探索を進めたのである。そしてついにその探索に成功し、それが大腸がんを攻撃するT細胞の誘導にも成功し、今日の臨床試験につながったというわけである。

試験管内の実験ではペプチドで刺激すると腫瘍を効率よく殺すことができるTリンパ球を増殖することがわかっている。実際の治療の様子はどうなのだろうか。

「ペプチドを患者さんに投与すると、Tリンパ球が急速に増えるかどうかはまだわかりません。T細胞が大量に増えるには少なくとも2週間、経験的にいえば、1~2カ月くらいかかると思います。その増え方が効く人と効かない人との分かれ目になるかもしれません。今のところA2402タイプの患者用ワクチンでは、とくに副作用も認められず、ほぼ安全であることが確かめられました。ほかにもいろいろなことが確認されたのですが、最終的な結論は年内にまとめて発表したいと思います。

がんが大きくなったということは、体の中で免疫に打ち勝って大きくなったわけですから、さらにペプチドを投与して免疫ががんに勝つことができるのかという疑問がでてきます。しかし、私は上手い方法さえ見つければ、効果的なワクチンの開発が可能だと思っています。なぜかというと、がんは自分が何者かということを隠そうとする性質を持っているので、免疫ががんを発見できていない可能性があるのです。だから、ペプチドを大量に投与してやれば、隠されているがんの目印が発見され、リンパ球にはっきりと識別できるようになり、強い免疫が誘導されてがんをやっつけるだろうと考えられます」(田原さん)

どうやら今度の免疫療法は、これまでとは違っているようである。その成果に関して科学的な検討が進められている。

[cDNAマイクロアレーによる遺伝子発現解析]
図:cDNAマイクロアレーによる遺伝子発現解析

がん組織および正常組織からレーザー法を用いて解析に必要な部分のみを切り取る。それによって得た純度の高いサンプルを用いてcDNAマイクロアレーによりがんに多く発現している遺伝子を見つける。このマイクロアレーでは23040もの遺伝子を同時に検査することができる

東京大学医科学研究所ヒトゲノムセンター中村祐輔教授ならびに古川洋一教授から供与された情報をもとに作成したもの


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