渡辺亨チームが医療サポートする:腎臓がん編

取材・文:林義人
発行:2007年1月
更新:2019年7月

手術から2年後、肝臓に再発。大腿部に骨転移も発覚

 山田陽一さんの経過
2003年
3月10日
血尿に気づき内科クリニックで超音波検査を受ける。右腎臓上部に影発見
3月14日 大病院泌尿器科で「腎臓がん」と診断。要手術
4月16日 右腎臓の全摘手術
2004年
12月
肺に転移が見つかり、インターフェロンαで治療
2005年
5月
肝臓への転移
6月 骨転移が発覚、放射線治療とビスフォスフォネートの治療

右の腎臓にがんが見つかった山田さん(55歳)は、腹腔鏡下手術での全摘が成功し、病期は「pT1b」と伝えられた。しかし、1年半後の定期検査で肺転移が見つかり、医師の勧めでインターフェロンの自己注射をすることになる。「有効率は10人に1~2人程度」と聞いていたが、幸いがんは再び縮小していった。

が、喜びもつかのま、半年も経たないうちに今度は肝臓への転移が見つかる。

この先、まだ山田さんのがんの進行を止めることができる方法はあるのだろうか。

リンパ節、隣接臓器への転移なく、手術は成功――

2003年4月5日、山田陽一さんは妻・貴子さんとともに、長男・肇さんの車で入院のためにS病院に向かった。翌日泌尿器科で、腹腔鏡を用いた手術が行われることになっている(*1腹腔鏡下手術)。

夕刻、大内医師が病室を訪れる。手術についての最終的な説明のためだ。

「CTの検査から、山田さんには今のところ遠隔転移は認められていません。ただ腫瘍の大きさが4センチを超えていると思われるところから、右の腎臓を部分切除ではなく、全摘したいと考えています(*2腎臓がん手術の術式)。それが再発を予防するために、よりよい方法と考えられるからです」

すでに大内医師から1度は聞いている説明だったが、山田さんは一言一言、「はい」「はい」と新しい気持ちで聞いていた。話し終わると医師は、「ではサインをお願いします。あとで看護師がいただきにうかがいますから」と手術同意書を手渡す。医師が部屋を出ると、山田さんはすぐにそれにサインをした。だんだん「明日が手術だ」という緊張が高まってくる。その夜、山田さんはよく眠れなかった。

4月6日、あらかじめ医師から聞かされていた通り、山田さんには朝食が供されなかった。

9時にストレッチャーが病室に迎えに来る。

手術室に入ると、大内医師はすぐに「では、始めますよ」と話し、麻酔科医師により麻酔が開始さ��た。次第に山田さんは意識を失っていく。

正午過ぎに、手術室の外に置かれた長椅子で待っていた貴子さんと肇さんが、看護師から 「手術が無事終わりましたので」と中へ招き入れられた。入っていくと大内医師が、ステンレス皿の上に乗せた摘出標本を示す。

「摘出した右側の腎臓です。ここががんの部分です。6センチくらいあります」

医師はピンセットを使いながら説明する。2人には腎臓もがんも、想像していたよりはかなり小さなもののように思えた。

「成功したのですね?」

標本にはまともに目を向けることができない貴子さんだが、大内医師に聞いた。医師が答える。

「ええ、うまくいったと思います。リンパ節や隣接した臓器への転移は確認されませんでした」 山田さん一家は「よかった」とほっとする。

手術の翌日、山田さんはもう歩けるようになり、自分でトイレにも行っている。

さらに7日後、病理検査の結果、山田さんの病期は「pT1b」と伝えられた(*3腎臓がんの病期)。

再発し、インターフェロン療法を試みる

2004年11月、腎臓がんの摘出手術から1年半が経った。山田さんは、一時は「自分はいつまで生きられるのか」などと真剣に悩んだりしたものだが、あの恐怖感が遠い昔のことのように思えるほど快適な生活を送っている(*4腎臓がんの予後)。

もっとも大内医師のアドバイスもあって、1つだけになってしまった腎臓になるべく負担をかけないために、暴飲暴食を慎むように心がけるようになった。もともと酒好きだったが、晩酌は1日にビールの中瓶1本か、お湯割りの焼酎1杯を楽しむ程度になったのである。

11月14日、山田さんはS病院へ半年ぶりの定期検査に出かけた。いつものように放射線科でCT検査を受けたあと、泌尿器科の待合室で30分ほど待っていると診察室の中に呼ばれる。

「どうですか。調子は?」

大内医師は、いつもと同じように明るい声で尋ねる。山田さんはそれだけで、つい「ああ、今回も異常は見つからなかったのだな」と考えてしまった。

「おかげさまで、すこぶる快調です」

「やたらセキが出たりすることはないですか?」

「いえ、とくに……」

そこまで話してから、医師は

[腎細胞がんが肺に多発転移したCT写真]
腎細胞がんが肺に多発転移したCT写真

「じつは、ですね」とシャーカステンに掲げられた写真を示したのである。

「肺に影が見つかりました。この部分です。3つほどあるようですね」

ボールペンで指す。山田さんはドキッとした。

「これは腎臓がんの転移*5)と考えられます」

山田さんはショックのあまり、なかなか言葉が出てこなかった。

「……また、手術ということに……」

「いえ、手術は通常はしません。転移が1つだけなら手術で取ると予後が長くなると考えられていますが、3つもある多発転移となると、手術をする意義は認められていないのです。治療としては、この段階では薬物による全身療法がいいと考えられます。ただし、腎臓がんに効く抗がん剤はありません。その代わり、10年ほど前からインターフェロン*6)という薬が使われています」

「ああ、インターフェロンなら聞いたことがあります。それで治療を?」

「ええ、山田さんの体のがん細胞への抵抗力を高める方法ですね。外敵と戦うために、免疫細胞が作り出すサイトカインという物質を外から注射して補うことで、がんと戦う力を強めます。これはスミフェロン(一般名インターフェロンα)という薬剤を週3回自宅で注射していただきます。効果は10人に1~2人といったところですが、やってみましょうか?」

恐れていたがんが再び広がり始めた

2004年12月初めからスミフェロンの治療を始めると、最初はちょっと発熱があったが、副作用はそれほど心配していたほど大きいものは出なかった(*7インターフェロンαの副作用)。そして、1カ月くらいでCTで見られた胸の影が消えていった。

山田さんは「2割の可能性の中に入ることができた」と、ほっと一息つくことができた。

写真:プローブを使っての腹部超音波検査
プローブを使っての腹部超音波検査

が、それから半年も経たない2005年5月、山田さんは検査のためにS病院を訪れると、またがっかりする出来事が待っていた。大内医師がいつものように腹部超音波検査のプローブ(探触子)をお腹に当てながらモニターを見ている。

「肝臓に1個影が見えますよ。転移のようですね」

ある程度予期していたことだが、山田さんにはまたもショックな告知である。診察台で仰向けに寝ながら、「そうですか」と聞いているしかなかった。

「がんがインターフェロンに抵抗性を示すようになったようです。ただ、肺のほうには有効ですし、肝臓の病変がどのように進行するか、インターフェロンをうちながら、もう少し様子をみてみましょう」

医師はこう話し、肝臓への治療はしなかった。

6月になると今度は大腿部に痛みが走った。山田さんは予め大内医師から「骨への転移もあるかもしれない」という話を聞いていたので、「とうとうやってきたか」と自覚し、S病院泌尿器科を訪れる。

骨シンチグラフィにより骨転移が見つかった。放射線治療が行われ、ビスフォスフォネート製剤という薬が点滴された(*8骨転移への治療)。1カ月くらいの間に骨の痛みは解消している。

しかし、山田さんはしばらくおとなしかった腎臓がんが、再びじわじわ広がる脅威をひしひし感じていた。妻の貴子さんに「どうしようかなあ?」と話しかけたりするが、もちろん妻から解決の方法を聞き出せたりできるわけがなかった。

「先生、これではまるでヘビの生殺しです。何かいい方法はないでしょうか?」 とうとう山田さんは思い余って医師に相談した。


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