肺がんとともに長く生きる8人の患者さんからのメッセージと生き方 肺がんの長期生存の秘密
初発から6年 家族に支えられがんを乗り切る
内藤義純さん(68歳)
「家族がいてくれてよかった」

がんになったあのときほど家族の有り難さを感じたことはありませんでした。
私の肺にがんが見つかったのは、03年11月のことでした。
毎年受けている健康診断でレントゲン検査を受けた結果、うっすらとした影が見つかりました。それで国立がん研究センター東病院(当時)を受診すると、やはり肺に3つ小さながんがあることが判明しました。大きさは最大で1.8センチ。病院ではこのまま経過観察してもいいといわれましたが、早く取り除きたいと、手術を行うことにしたのです。
がんがわかってから、私は家族の協力を得ながら、自分なりに準備をしました。
その1つは生姜湯を使った温湿布。すりおろした生姜を溶かしたお湯に浸したタオルを背中に当てて、体を温めて免疫を高めるというものです。がんがわかってからは、手術日まで毎晩、就寝前に妻と娘が交代で、5分ごとに背中に温かい湿布を当て続けてくれました。
そしてもう1つは、呼吸機能を高めるためのトレーニングです。これは交響楽団でトランペット奏者として働いている息子に指導してもらい、毎日20分、呼吸リハビリ器具を使って続けていました。そうした努力が功を奏したのでしょうか。何と手術直前の検査では3個あった腫瘍のうち、1個が消失していたのです。
入院中同室になった患者さんのなかには、家族が1度も見舞いに来ないで寂しい思いをしている人もいた。そんな人を見ると、私はつくづく自らの幸せを痛感せずにはいられません。
初発から6年 医師との信頼関係で納得のいく治療
塩野重郎さん(72歳)
取材・文:増山育子
04年に右肺上葉の切除手術。
05年、リンパ節転移が見つかり放射線治療と化学療法を受ける。
その後は治療なしで、毎月ごとに血液検査を受けている
「はじめは肩が痛くなった」と、先に肺がんが見つかった知人に聞いていて、私も肩が痛くなったときに、ピンときたのです。
早期で腫瘍の大きさが1センチ弱で、即、手術。その後リンパ節に転移し、05年5月、放射線治療を受けるため転院しました。この転院は私にとって幸運でした。というのも倉田宝保医師との出会いがあったからです。
倉田先生は私の肺がんが小細胞がんではなくて、実は大細胞神経内分泌がんであることを調べ直して明らかにしてくれました。そして頸部リンパ節への転移も素早く察知し、これに対して行った抗がん剤治療がとてもよく効いたのです。確かな診断と治療で倉田先生への信頼はゆるぎないものになりました。治療方法や生存率などをすべて��さず明解に説明してくれるうえに、患者を包み込んでくれる雰囲気があり、質問もしやすい。私はまったく不安を感じることなく治療にのぞめました。「よい先生とめぐりあえた」という思いでした。
医師に不信感をもってしまったら、私ならためらわずほかの病院に行きます。信頼できる医師から納得のいく治療を受けることがなにより大切ですよ。
抗がん剤治療以来治療は何もしていませんが、再発転移なく5年過ぎました。とはいえやはりがんです。再発するかもしれません。次に見つかったとき早く治療が始められるよう毎月血液検査に行くのです。今では倉田先生が異動になったため県をまたぎ往復数時間かけて倉田先生のいる病院へ。先生の顔を見ると癒やされます。
感謝の気持ちは言葉にし、クヨクヨ考えずに笑いのある生活をする。それが長生きの秘訣かもしれませんね。
初発から14年 つらい闘病を支えてくれたゴルフ仲間たちのメッセージ
安吉加代子さん(61歳)
96年左肺にがんがわかり、手術。
3カ月後にリンパ節転移、抗がん剤治療と放射線治療を行う。
現在は年に1度、国立がん研究センター東病院での検診を行っている
ゴルフ場で味わった生の歓び

今から13年前の97年4月、桜が満開に咲き誇る中を2本のクラブを手に、久々にゴルフコースを歩いたときの心地よさは今も忘れることができません。
「またゴルフができる」
そう思うと得もいえぬ嬉しさが込み上げます。そして入院中、私の闘病を支えてくれたゴルフの楽しさに改めて感謝したものでした。
私が肺がんを患っていることがわかったのは96年4月のことでした。毎年、受診している人間ドックで、左肺の上葉に異常が見つかりました。それで国立がん研究センター東病院(当時)を訪ねると、同じ場所に2センチ程度のがんがあることが判明したのです。手術のために開胸すると、肺の上部のリンパ節にも、2個がんが見つかりました。術前には2期といわれていましたが、そのことを考えると、実際には3期に進んでいたのかもしれません。
そうして3カ月後、家族とともに出かけた温泉で私は再び、異常を発見します。入浴後、ドライヤーを使おうと頭を曲げると、首のつけ根の辺りにしこりができていることがわかりました。あわてて帰宅して病院を訪ねると、がんがリンパ節に転移していたことが判明したのです。
ゴルフを思い不安を払いのける
2回目の入院では、再発であるため手術は適用されず、抗がん剤と放射線による治療が行われました。
幸い、抗がん剤治療では思っていたほどの副作用は現われず、放射線治療でも何日か唾液が飲み込みづらくなったことがある程度でした。
それよりもつらかったのは同室で仲良くなった患者さんが次々に亡くなられていったこと。ある人は退院したと思ったら、再び病院に運び込まれ、そのまま帰らぬ人となりました。その人の訃報を聞いたときは、ショックで発熱し、しばらく寝込んでしまったほどでした。そしてそうしたなかで、明日は我が身に同じことが起こるかもしれないと不安を募らせていたのです。
そんな中で私に希望を与えてくれたのが、家族やゴルフ仲間からの励ましでした。
私たちゴルフ仲間は家族ぐるみのつき合いで、多いときは月に7、8回もコースを回り、ときには泊りがけでゴルフ旅行に出かけることも少なくありませんでした。
そんなゴルフ仲間から何日かに1度、ポケットベルで「早く病気を治して、一緒にラウンドしようね」とメッセージが送られます。その言葉に私は力づけられ、ゴルフの爽快感を思い出し、「またみんなと一緒にゴルフがしたい」という強い願いを胸に、闘病につきまとう不安を払いのけていたのです。
今、振り返ってみると、そんなゴルフに対する思いが闘病生活を支えるエネルギーになっていたのかもしれません。
現在はすっかり体調も回復し、発病前と同じように、仲間とともに月に何度もゴルフを楽しんでいますが、ともにコースを歩く仲間を見るたびに、私に力を与えてくれたことに改めて感謝の念を感じています。
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