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渡辺亨チームが医療サポートする:早期肺がん編

取材・文:林義人
発行:2005年5月
更新:2019年7月

経口抗がん剤を携えて、上海での単身赴任生活が始まった

 中川純一さんの経過
2003年
10月15日
人間ドックで「右肺に影があり、肺がんの疑いがある」といわれる
10月20日 K病院でヘリカルCT検査を受ける
10月23日 ヘリカルCT検査の結果、「1b期腺がんの疑い濃厚」との診断
10月30日 確定診断のための気管支鏡検査を実施
11月2日 3.4センチ大の2b期腺がんと確定診断
11月10日 手術のため入院
11月11日 手術
11月14日 UFTの服用を開始
11月21日 退院
2004年
1月10日
上海へ赴任

会社から中国赴任を命じられていた中山純一さん(仮名・48)は、その前年の2003年10月、1b期の肺腺がんが見つかった。

中国赴任への時間が迫るなか、肺を摘出する手術を受けた。

術後は経口抗がん剤で再発リスクを引き下げることを試み、そして中国へ旅立って行った。

手術時間2時間、入院期間10日

中山純一さん(48)は、翌日に肺がんの摘出手術を控え、2003年11月10日午後K病院に入院する。車で送ってくれた妻の恵美子さんが自宅へ引き上げるとき、中山さんは「くれぐれもおふくろにはがんということは内緒に」と念を押した。夫を肺がんで亡くしている母には、中山さんの入院はあくまでも翌年からの中国・上海支社赴任に備えた検診のためのものということにしてある。

しかし、妻が病室を去ったあと、今度は中山さん自身ちょっと心細くなってきた。比較的早い時期の肺がんであり、手術のための入院期間も昔に比べればずいぶん短くなっているというが、自分の胸を切り開かれる身になればなんとなく落ち着かない。「無事に終わるだろうか」「痛い思いをするだろうか」と、思いをめぐらせている。

そこへ呼吸器内科のN医師が、もう1人の医師を伴って病室を訪れた。N医師は「明日手術をお願いする呼吸器外科のD先生です」と紹介し、「手術の説明をしていただきますから」と話す。D医師は改めて「外科のDです」と自己紹介し、「クリニカルパス*1)というものです」と1枚の表を中山さんに示した。

「ご入院中はこの進行表にしたがって治療を進めていきたいと思います。順調にいけば手術の翌日からご自分で歩いていただくようになり、退院は術後10日目の11月21日ということになりますね」

中山さんはまた驚いてしまった。N医師から「入院期間は10日~2週間でしょう」と聞いていたが、自分がいちばん短い10日間の入院でいいとは思っていなかったのである。「おやじが10年前に肺がん手術を受けたときは、確か3週間くらい入院していたのではないか」と振り返ってみたりした。

「切除部分はがんのある肺の右上葉全部です。そこで手術法は『前方腋窩開胸法』といって、脇の下から右の乳頭下部に約15センチくらい切開して、そこから右上葉と縦隔リンパ節の手術を行います(*2肺がん手術の術式)。あまり重篤なものはあるとは考えにくいのですが、手術では合併症が出る場合もあります(*3手術の合併症)。手術時間はおよそ2時間くらいになるでしょう」

この日の夕食は普通食が出た。看護師が説明する。

「これが手術前の最後のお食事です。明日は午前中の手術ですから夕方6時には水を飲むことができますが、食べることはできません。でも、明後日の昼からは食事が出ます」

その日は好物である鰈の煮付けや野菜の煮物が中心のメニューである。中山さんはほとんど残さずにたいらげてしまった。

翌朝、早々と朝8時に妻の恵美子さんが駆けつける。9時半にストレッチャーが中山さんを迎えに来る。妻は心配そうに搬出される中山さんを見送った。

[縦隔リンパ節の範囲]
図:縦隔リンパ節の範囲
[中山純一さんが切除した肺の右上葉]
図:中山純一さんが切除した肺の右上葉

1b期、2期の術後抗がん剤療法は有効

手術から2日目、朝食から普通食となっており、中山さんはだんだん創部の痛みが小さくなってきたのを感じていた。看護師から「積極的に歩いてください」と勧められている。

午後、D医師は中山さんの病室に手術の結果の説明に訪れた。すでに妻の恵美子さんのほうは、手術直後に、「うまくいきましたよ」との説明を受けていたが、医師は中山さん本人にさらに詳細に話をする。

「目的とした右の上葉の切除と縦郭リンパ節の郭清は確実に終えることができました。統計的に見ると、中山さんのような1b期の肺がんの方が手術を受けた後の5年生存率は6割です(*4肺がんの術後5年生存率)」

これを聞いて中山さんはちょっと驚いた。

「4割は死ぬということ?」

D医師はちょっと頬を緩める。

「患者さんの中にはもっとずっとお年寄りの方もおられるし、全身状態の悪い方もおられます。そうした方も含めての6割ですから、お元気な中山さんは5年生存率100パーセントと申し上げたいところです。ただし、がんという病気はどんなに手術で万全を尽くしたと思っても再発するということがしばしばあります。ですから、再発が起こるリスクを引き下げるためにできる限りのことをしておきたいと考えます」

写真:UFT
手軽に飲める経口剤のUFT

そして、D医師は白衣のポケットから何か薬剤を取り出して示した。

「これはUFT(一般名テガフール・ウラシル)という抗がん剤です(*5UFT)。中山さんのような肺腺がんの治療後、抗がん剤治療を行うことによって、5年生存率が7割以上になることがわかってきました(*6肺がんの術後補助抗がん剤療法)。抗がん剤はこの飲み薬のほか、注射で行う方法もありますが、中山さんは来年から中国へ赴任されるということですから、注射は難しいと思います(*7UFT以外の術後補助抗がん剤療法)。ぜひこのお薬を飲みながら、月に1回帰国して検査を受けられることをお勧めします」

D医師の話に中山さんは「あれっ?」と思った。自分ががんとわかってからいろいろ調べた資料には、D医師の話とは違うことが書いてあったからだ。

「私が読んだ本には、早期の肺がんでは抗がん剤は有効ではないということが書いてありましたが?」

写真:肺がんの診療ガイドライン
肺がんの診療ガイドライン

D医師はそう言われることを予想していたかのように答えた。

「2002年に発表された肺がん診療ガイドラインには、そのように書いてあります。確かに腫瘍の大きさが3センチ以下の1a期肺がんは術後抗がん剤を使っても再発率を低くする効果はないので、使っても意味がありません。しかし、中山さんのような腺がんの1b期や2期は最近の研究で術後抗がん剤療法が有効であることが示されています」

D医師の説明に納得した中山さんは、その日からUFTを飲み始めた。

最初の希望通り、上海へ

11月21日、中山さんは退院の日を迎える。すでに創部の痛みはほとんど感じなくなっていた。今度は呼吸器内科のN医師が退院後の生活上の注意を言い渡すために病室を訪れる。

「中山さんはあと1カ月ちょっとで中国へ出発ということですから、それまでは週に1回外来へお越しください。それから、中国へ行かれても毎月1回は帰国されるということなので、その機会に必ずご来院ください。症状がなくても当面は随時血液検査、レントゲン検査、CTなどの検査は必要です。また、肺炎などの合併症が起こらないとはいえないので、中国へ行かれたら、何かあったときすぐに利用できる最寄の医療機関を探してください」

中山さんは、「自分は5年以内に死亡する4割のグループに入らないように」と、N医師の話を必死にメモをしていた。UFTの副作用についてはD医師からも聞いていたが、N医師は改めて次のように話した。

「UFTの副作用は点滴による従来のプラチナ化合物を含んだ抗がん剤併用療法ほど副作用は強くありません。脱毛の心配もありません。しかし、UFTも抗がん剤ですので、投与期間中はとくに注意を払う必要があるでしょう(*8UFTの副作用)」

こうして中山さんは、最初に希望していた通り、上海支社への赴任に肺がん切除治療を間に合わせることができた。手術から1年半を経た現在でも再発はなく、「最新の治療を受けられて本当に良かった」と喜んでいる。

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