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患者会メンバーが承認取り消し問題に切実な声 私たちからイレッサを奪わないでください!!

文:沖原幸江
発行:2005年6月
更新:2013年4月

厚生労働大臣宛に提出した意見書

イレッサの欧米における治験結果「延命に有意差なし」から、日本における保険適用の取り消しが取り沙汰されていますが、この件について反対します。

私は1999年9月に肺腺がん2A期で右肺下葉を切除した肺がん患者です。自身の闘病体験から、がん患者と家族の社会心理的サポートを目指し、2001年に大学に入学しました。2002年2月からは、自立した肺がん患者同士で支え合う会「カイネ・ゾルゲン」を主宰しています。私自身は、初発の外科手術以外は治療(化学療法、放射線治療)を受けていませんが、グループのメンバーやグループ外で知り合った患者の中にイレッサで著効を示している(あるいは、いた)方がおられます。この方たちの意見書を添付し、患者の生の声をお届けしたいと思います。

末期患者が年単位でQOLを保った社会生活を続けられる

2000年10月の日本癌学会で近畿大学医学部、国立がん研究センターなどの研究グループからZD1839の治験に関する発表がありました。この時の朝日新聞に「治験中に、発しん、下痢、肝機能障害などの副作用がみられた。しかし、いずれも症状は軽く、飲むのをやめるとすぐに改善されたという。」と記述がある通り、当時の評判は、経口で摂取でき著効があり副作用が少ないということでした。このような薬は、どの部位のがん患者にとっても「夢の新薬」であるとは思いますが、非小細胞肺がんの場合、「効果のある抗がん剤はない」と言われていましたので、大変心強い報道であったことを今でも覚えています。その後、2002年7月の保険適用承認の段階でも、この状態は変わりませんでした。

しかし、その後副作用の間質性肺炎による死亡例が報道されたことで状況は一変しました。私たちのグループでも認可と同時に服用している方が何名かおられましたが、肺機能の悪化、肝機能の悪化、効果なしなどの理由で服用を中止したグループと、効果が認められ服用を継続したグループに分かれました。幸い間質性肺炎による死亡例はなかったため、グループ内にはマスコミで行われているような「イレッサ・バッシング」はありませんでした。イレッサが著効を示している患者ですら、亡くなった患者、遺族の気持ちを考慮し、イレッサを擁護する声を上げようとはしませんでした。それは、効いている患者がいる以上は、承認取り消しはないであろうという前提に立っていたからです。

しかしながら、昨年末行われた欧米での治験結果に関するアストラゼネカ社の発表後の世論の動向を目の当たりにし、私たちは考えを変えました。私の知っている現在もイレッサを服用している患者のほとんどは、初発4期という厳しい状況から闘病をスタートさせています。初診の時に余命告知を受けた方が大半です。これらの方たちが、その時から年単位でQOLの保たれた社会生活を続けられているのは、イレッサのお陰であることは間違いのない事実です。イレッサがなければ、私がこの方たちと知り合うチャンスはなかったと思うと、イレッサを守るために意見を提出しなければならないという気持ちになりました。

「夢の新薬」として扱われたことが間違い

今回意見書を提出する患者は全員、間質性肺炎による死亡報道後の服用開始のため、主治医による厳重な管理の元で服用を開始しました。同じ状況で服用すれば、亡くなった患者が救命できたかどうかはわかりませんが、少なくともご遺族のお気持ちは違ったように思います。イレッサに関しては、2000年当時の発表がセンセーショナルであったこと(少なくとも患者にとっては)、2002年の春頃からの認可時期、薬価を巡るインターネットなどによる水面下の情報が大量であったこと、そしてスピード承認、世界に先駆けての日本での承認などメリットばかりが強調された情報が大量になされたことなどにより、これが抗がん剤であるということが忘れ去られ、まさに「夢の新薬」として扱われたことに間違いがあったように思います。報道では、他部位のがんにまで処方されたケースもあると聞いています。藁にもすがるがん患者が、手軽に経口摂取できる夢の新薬に飛びついたように、医師も飛びついた結果だったのでしょうか。

現在広く使われている抗がん剤でも、死亡例がないわけではないという説明を受けるそうです。それであれば、イレッサにもその可能性があるということは、インフォームド・コンセントの段階で患者に告知されるべきであったと考えます。ましてや、イレッサに関しては、海外では実際に死亡例が出ていたわけですから。この件に関しては、因果関係が明らかではないということで発表を控えたという報道を見ました。人間の生死に関する問題を、因果関係がはっきりしないからといって、隠しても良いものでしょうか。私は、がん患者の治療選択は、生き方の選択であると考えます。自分で考えることを放棄し主治医に依存する患者は別として、そうでない患者は、治療の主作用と副作用、それに自分の生き方を加味して天秤に掛け、治療法の選択をしているのです。

イレッサ承認時に、因果関係が明らかではなかったとはいえ、死亡に関する情報が公表されていなかったということは、本来天秤に掛けられるべき片方(副作用)の重大情報が欠落していたことになります。患者の天秤上では当然ながら主作用が勝り、多くの非小細胞肺がん患者は、イレッサを選択するという決定を行ったはずです。もし、「因果関係は明らかではないが、治療中に肺機能の悪化による死亡例が何例あった」と最初から具体的に公表されていたら、どうだったでしょうか。死亡例を勘案し、他には治療がないのでイレッサを服用する選択と同じように、治療で死にたくないので服用しないという選択もできたと思います。この点から、死亡例の非公開が患者の決定にバイアスをかけ、ある意味では、患者の決定権を奪ったと考えます。

全ての情報を知った上で患者自身が治療法を決定する

私はがんの診断を受けてから、自分に関わる色々な数字に接してきました。5年生存率、術死の可能性、再発率、再発の時期、再発した場合の平均余命などです。これらの多くは小数点以下のある細かい数字のため、とても科学的なデータのように思え、患者のほとんどは自分の身にあてはめて考えます。私は、5年後生存率37パーセントでした。主治医は数字を濫用しない人でしたので、「あなたが生きているかどうかは、100パーセントか0パーセントでしかない」と言いました。医師から提示される、あるいは公表されている数字は、あくまでも自分よりも前に治療を受けた患者の結果の積み上げでしかありません。サンプル数が多ければ標準的な数値を表すとしても、自分がその標準値にあてはまるのかどうかは、誰にもわからないのです。無治療を選ぶことも含めて、選んだ治療の結果は、医療者にすら断言できないのです。であれば、前述の天秤に掛ける作業は患者自らが行わざるを得ず、そのためには、主作用、副作用の全情報の公開が必須と考えます。

自らの考えで選択、納得し、責任を取ることがこれからは必要になると考えます。そのためには、前述の情報公開が必要なわけですが、専門家と同じ情報を素人が読みこなせるわけはありません。今後、この点に関する配慮、また医療者、製薬会社の教育も必要になります。

コミュニケーション・ギャップを埋める相方の努力も必要です。発信する側は、相手が理解できる言語を使用し、受信する側も、受信しようとする努力や、理解できないことを明確に発信者に伝え説明を求めることが必要になります。こうした双方の努力が行われた上での完全な情報公開が、患者の選択権を保証することになるのだと思います。

最後になりますが、イレッサに関しては、日本人によるデータの集積と研究を継続し副作用の予測が1日も早くできるようになることを希望します。また、現在著効を示している患者については、保険適用の金額で継続できるようにしていただきたいと思います。 (一部改変)

提出文の全文はゲフィチニブ検討会の資料ページの参考資料3にて読むことができます


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