固形がんに「劇的に効く薬」が現れた! 新しい肺がん分子標的薬の波紋 がん医療の世界に「奇跡」が起こった

監修:間野博行 東京大学大学院医学系研究科ゲノム医学講座特任教授・自治医科大学教授
谷尾吉郎 大阪府立急性期・総合医療センター内科・呼吸器内科主任部長
木村秀樹 千葉県がんセンター副センター長
取材・文:半沢裕子
発行:2010年12月
更新:2019年7月

投与後1~2週間で、約9割の患者で病気の勢いがとまった

薬の投与法は250ミリグラムのクリゾチニブを朝夕2回、飲み薬の形でとる。ASCOのバンさんの発表では、2回以上の化学療法の治療歴にも関わらず、治療期間は5.7カ月(中央値、16例が9カ月以上、3例は1年以上治療を継続)で、奏効率は57パーセント。87パーセントの患者さんで病気の勢いがとまり、なかには全くがん細胞が消えた患者さんもいた。現在の肺がんの抗がん剤治療を考えると、これは非常に高い数字と言えよう。通常、初期治療の場合で奏効率は30パーセント程度。これが2次治療になると、ぐんと下がり、奏効率は10パーセントに落ちる。治療を受ければ受けるほど、奏効率は下がるのだ。

一方、副作用などで治療を中断したのは1例のみで、最も多い副作用は吐き気、嘔吐、下痢。視覚障害、味覚障害などが出ることもあるが、いずれも軽症で、治療継続とともになくなっていくものも多かった。

まずは動物実験で目覚ましい効果を確認

「ネイチャー」

間野さんが発見したEML4-ALK遺伝子が07年、世界で最も権威ある学術誌「ネイチャー」に掲載されると、研究は、たちまち世界の注目を集めるようになった

ところで、バンさんの臨床試験にはじつは多くの日本人患者さんが参加している。新薬による治療の機会を求め、韓国に飛んだ患者さんたちだ。

その第1号にあたる患者さんにかかわって以来、間野さんは患者さんの手助けをしてきた。

背景には、「日本の研究費を使い、日本の肺がん患者さんから見つかった原因遺伝子を日本の患者さんに役立てたい」という思いがある。

06年にEML4-ALK遺伝子を発見した間野さんは、EML4-ALK遺伝子を体内に組み込んだ実験モデルマウスで動物実験を開始する。日本の新薬開発状況では、論文発表後に実験に取り組んだのでは、欧米に対抗できないと考えたのだ。

「実験の結果も目覚ましかったですね。EML4-AKL遺伝子をもつネズミは、生まれた直後から肺にがんが何百もできるが、ALK阻害剤を飲ませると、それがすっと消えていくんです」

07年、最初の論文が世界で最も権威ある学術誌「ネイチャー」に掲載されると、予想通りたちまち世界の注目を集めた。同誌の姉妹紙である「ネイチャー・メディスン」の07年年末号では、「08年世界の医学の発見ベスト10」にも選ばれている。

[ALK阻害剤のマウスでの抗腫瘍効果]

  ALK阻害剤 溶媒
0日 ALK阻害剤投与前 溶媒投与前
  ↓ ↓
25日 ALK阻害剤投与後 溶媒投与後
EML4遺伝子とALK遺伝子は2番染色体の近い位置に反対向きに存在する。しかし両遺伝子を挟む領域がちぎれてひっくり返ることで、EML4とALKが融合したがん遺伝子が生じ、結果的にがん細胞の増殖を促してしまう

韓国で行われている臨床試験に参加

こういった状況を見て即座に製薬企業が動く。そして翌08年、EML4-ALK遺伝子をもつ非小細胞肺がんをターゲットに臨床試験が開始されたのだ。

米国のボストン市、オーストラリア、韓国などが試験の地として選ばれた。韓国で試験を担当したのがバンさんだった。

この当時、臨床試験が行われていることを知らなかった間野さんは、その試験に参加した29歳の米国人男性患者のブログで初めてその試験のことを知る。そして、目覚ましい効果を報告しているこのブログを、講演などで紹介するようになる。肺がん学会で話を聞き、「自分の担当する患者さんに似ている。遺伝子を調べてもらえないか」と相談を持ちかけてきたのが、大阪府立急性期・総合医療センター内科・呼吸器内科主任部長の谷尾吉郎さんだった。

この患者さんが日本から臨床試験に参加した最初の患者さんになった。間野さんは谷尾さんから送られてき喀痰の凍結検体を調べ、EML4-ALK遺伝子をもつ非小細胞肺がんと同定する。同時に、iAEP法という新しい免疫組織染色法を確立し、協力体制を組んでいた癌研究会癌研究所病理部の竹内賢吾さんにも遺伝子を確認してもらい、臨床試験に参加する道を切り開いた。

ぎりぎりの体調で韓国へ1週間後には外出も

谷尾さんが担当していた患者さんは27歳の男性で、08年3月に咳で近所の医療機関を受診し、1カ月後に大阪府立急性期・総合医療センターで肺がんの診断を受けた。

「がんがリンパ節に広がって気管を圧迫し、脳と全身の骨にも転移していました。27歳でこの状態と愕然としました」

[谷尾さんが担当した27歳の患者さんの初診時の様子]

胸部レントゲン
胸部レントゲン
気管支鏡検査
気管支鏡検査


胸部レントゲンでは右肺門が大きく腫れ、毛羽立ちが認められた。気管支鏡検査では、気管から両気管支にかけて、粘膜下に結節(ぼこぼこと隆起したもの)が認められ、生検の結果、肺腺がんと診断された

シスプラチン(商品名ブリプラチン、ランダ)+ナベルビン(一般名ビノレルビン)の標準治療を2コース。合間に脳転移に対して、ガンマナイフを施行。その後、パラプラチン(一般名カルボプラチン)+タキソール(一般名パクリタキセル)を3コース。脊椎転移に対して放射線治療(リニアック)を行う一方、骨転移の治療薬ゾメタ(一般名ゾレドロン酸)も投与開始した。

診断から半年後の10月には3番目の治療(サードライン)としてジェムザール(一般名ゲムシタビン)+シスプラチンの治療を行ったが、患者さんはすでに酸素吸入を受けていた。谷尾さんは「何か手はないか」と焦りを感じていた矢先、ALK阻害剤について知ったのだった。

検査には倫理委員会の承認、患者さんの同意が必要となる。そこで、患者さんに臨床試験の話をした。このとき患者さんは「鳥肌がたち、涙が出た」と話したという。

「タバコも吸わないのに27歳で肺がんになり、治療が全然効かなくて、体調的にもしんどくなっているとき、劇的に効くかもしれないという話を聞いた。彼はもう、ほとんどあきらめていたと思います」

谷尾さんは振り返る。間野さんがバンさんに連絡をとり、バンさんが引き受けてくれて、11月27日、患者さんは日本を発つ。谷尾さんが間野さんに相談してから2週間もたたなかった。

とはいえ、患者さんの状態は悪く、韓国に飛ぶ直前は、胸水がたまって呼吸がつらく、咳の発作が起こる状態。病院から関西国際空港までドクターヘリで行き、その際、患者さんは常時3リットルの酸素吸入が必要な状況だった。谷尾さんは同行した医師に、ヘリの中で患者さんの状態が悪くなったらソウルは諦めて、戻ってくるよう指示していたほどだった。

結局、患者さんはなんとか韓国・ソウルに到着。「あと1週間遅かったら飛行機に乗れなかった」(谷尾さん)というほどだった。

2週間後、間野さんは患者さんの様子を見に行くが、目の当たりにしたその回復ぶりは衝撃的だった。1週間で酸素が不要になり、病院の周りを散策できるようになっていたのだ。

薬を服用する前後の肺のCT写真を比較して、谷尾さんも驚く。右肺に広がっていたがん細胞の毛羽立ちが、薬を服用してから約1カ月経つと、それがすっと消えていたのだ。

「韓国に着いて、まず胸水を抜いたことも1つにはありますが、薬が本当に良く効きました。劇的に良くなっています。1週間でこんなに良くなっているのは、普通の抗がん剤ではほとんどあり得ないことです」(

[ALK阻害剤の効果(27歳患者さんの例から)]

投与前 投与前 投与前
  ↓ ↓
投与後 投与後 投与後
ALK阻害剤服用後は、縦隔のリンパ節転移巣の縮小が明らかで(左列)、右肺の毛羽立ちも著しく改善した

谷尾さんが担当した27歳の患者さんはその後状態が悪くなり、亡くなられました。患者さんとご遺族の許可を得て紹介しました。ここに改めてご冥福をお祈り致します

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