第3世代抗がん剤から分子標的薬へ―進化を続ける化学療法 大きく変わる肺がんの化学療法を軸に、最新の治療法から副作用対策まで

対談:コーリー・J・ランガー フォックス・チェースがんセンター教授
坪井正博 東京医科大学病院講師
撮影:向井渉
発行:2007年3月
更新:2013年4月

進む分子標的薬の利用

坪井 ところで、それとは別にここ数年、肺がん治療でも分子標的薬の利用が進んでいます。日本では一部の患者さんたちにイレッサ(一般名ゲフィチニブ)が高い効果を示しています。この面でのアメリカの現状を教えてください。

ランガー ご存知のようにアメリカではイレッサは臨床試験の結果、効果がないと判断され承認を取り消されています。やはり薬剤の効果の現れ方にも民族差がありますからね。もっとも分子標的薬の導入は活発に進んでおり、すでにタルセバ(一般名エルロチニブ)が肺がん治療におけるサードラインの標準治療薬として承認されています。
さらに大腸がんの治療薬として承認されているアバスチン(一般名ベバシズマブ)も昨年11月に肺がんでの承認も追加されました。私の施設ではすでに25パーセントの患者さんに対して、パラプラチン、タキソール、アバスチンの3剤併用療法を実施しています。
また、これからは術後の再発予防の治療として、化学療法と、化学療法とアバスチンを組み合わせた治療の比較試験が行われるようになるでしょう。

坪井 分子標的薬でアービタックス(一般名セツキシマブ)の評価はどのようなものでしょう。

ランガー アービタックスの場合は、アバスチンなど、効用が共通する薬剤がすでに承認されていますから、肺がん治療薬としての承認はちょっと難しそうです。ただ日本ではまだアバスチンも未承認なので、可能性はありますね。

広範囲のがんに使えるメリット

坪井 なるほど。やはりアメリカは取り組みのテンポが早いですね。これからは肺がん治療においてもそうした分子標的薬が中核的な治療薬として用いられること��なるのでしょうね。もっともアバスチンの場合は使用対象が限定されるので、中核的な治療薬にはなりえないかもしれませんね。

ランガー そのとおりですね。すでに行われているアバスチンの臨床試験では扁平上皮がんの患者さんは除かれています。これは喀血や脳転移の危険が考慮されてのことです。また、この薬剤を使用する対象はパフォーマンス・ステータスが0もしくは1の患者さんに限定されています。これほど健康状態に恵まれているのは、進行肺がんの患者さんの40パーセントといったところですからね。
現在アバスチンを利用しているのは、進行肺がん患者さんの2割程度ですが、利用の広がりにはやはり限界があると言わざるを得ないでしょうね。もっとも私自身はアバスチンの危険が過大評価されているようにも思います。喀血のリスクがよく指摘されますが、すでに報告されているデータでは、実際に喀血が起こった患者さんは2パーセントに過ぎなかったと指摘されているのです。

坪井 それにしても分子標的薬がこれからの肺がん治療の中核になっていくことは間違いないと思います。この分野の薬剤開発で何か目立った傾向がありますか。

ランガー そうですね。作用機序という点で新たな特長を持つ薬剤が出てきていますね。ハーセプチンもそうですが、従来の分子標的薬は細胞表面に現れるレセプターに働きかけるなど、細胞機能のいわば上流で作用する薬剤が中心でした。それが最近では、より下流の領域で作用する薬剤が増加していますね。

坪井 がん細胞の内部に入り込んで作用するということですね。そのほうが作用がより根源的で、高い効果が得られるということでしょうか。

しびれに対する第1選択は治療の中断

坪井 ところで化学療法というと、どうしても副作用の問題が欠かせません。この問題はどうクリアなさっているのですか。例えば最近では、しびれという症状にどう対処するかということがよく問題になっていますが、この点はどうでしょうか。

ランガー 難しい問題ですね。しびれの場合、まず第1の選択肢として考えられるのは、治療を中断することです。また、ある種のグルタミン製剤を用いる支持療法も有効で、現在、盛んに研究が行われています。しかし基本的にはケース・バイ・ケースで副作用が出てきたときには、薬剤を変更する、治療を休むなどフレキシブルに対応していかざるを得ないでしょうね。

坪井 そうですね。私の場合はしびれに対しては漢方薬(牛車腎気丸)を用いていますが、効く人と効かない人がいて、なかなか利用の判断が難しいところです。
ところで話は変わりますが、化学療法と放射線治療を組み合わせた治療についてはどうお考えですか。

ランガー 肺がん治療ではステージ3の前期(3a期)と後期(3b期)の区分が治療の分かれ目になりますね。3b期では率直にいって、治療はきわめて困難です。しかし、3a期までなら、様々な治療が可能です。その1つとして化学放射線治療による治療にも取り組んでいます。具体的にはパラプラチンとタキソールに放射線治療を組み合わせた治療法です。これは放射線治療のエキスパートであるドクター・チョイが考案したことからチョイレジメンと呼ばれています。

非小細胞がんにおける欧米と日本の差

坪井 なるほど。では化学療法全般を見た場合の今後の可能性についてはどう見ておられますか。

ランガー そうですね。これからは個々の患者さんにより的確に対応するために、治療メニューがフレキシブルなものになっていくのではないかと考えています。たとえば状況に応じて治療薬を細かく使い分けるといったことですね。

坪井 私はそのこととともに、これからは治療薬の効用や副作用について、世界レベルでもっと厳密に検討していく必要があるとも思っています。
例えば今回のテーマである非小細胞がんといっても、日本やアメリカとヨーロッパでは、かなり意味合いが違っています。実際、日本やアメリカでは腺がんが多く、非小細胞がんの60パーセントを占めていますが、ヨーロッパでは扁平上皮がんが60パーセントを占めている。そのことを考慮すると、日米とヨーロッパでは、非小細胞がんといっても、実は別のがんを指しているということも考えられるわけです。これから医療がどんどんグローバル化していく中で、こうした問題もクリアにしながら、データを普遍化していくことも大切でしょうね。

ランガー たしかにそのとおりですね。その点もこれからの研究課題の1つでしょうね。

患者中心のチーム医療

坪井 医療体制についてもお聞きしたいのですが。アメリカではすでにがん治療にチーム医療体制がとられていますね。具体的にどんなシステムになっているのでしょうか。

ランガー そうですね。私のがんセンターでは、治療はまず、週1回行われるチューマー・ボード(腫瘍カンファレンス)から始まります。そこで実際に治療に携わるスタッフが集結し、これから治療に着手する症例について話し合うのです。時間は朝の7時30分から9時までの1時間30分。その間に10~15例の症例について検討しています。

坪井 日本でも最近になって、放射線科医や腫瘍内科医がいる病院では、同じような試みが行われ始めています。ところで参加するスタッフはどんな人たちですか。

ランガー 肺がん治療の場合でいえば、チューマー・ボードに参加するのは呼吸器科医、胸部外科医、放射線科医、臨床腫瘍内科医、看護師、それに臨床試験のプロトコールを管理するコーディネーターといったところです。また私の施設のようにアカデミックな性格を持った医療施設では、そこにさらにがん登録士も加わりますね。

坪井 患者さんの心理面や生活面をサポートするスタッフは参加しないのですか。

ランガー その点でいえばソーシャル・ワーカーも治療に参加します。もっともクリニックには来てもらいますが、チューマー・ボードに参加することはありません。この検討会は短時間で多くの症例について話し合わなければならず、時間的な制約に縛られています。治療に絞ってスピーディに話を進めていかなければならないのです。

治療もできるオンコロジー・ナース

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旧交を温めながら広範囲に亘って貴重な話が展開された

坪井 アメリカのがん治療スタッフには日本ではまだ見られない職種についている人もいます。先に言われていたがん登録士もそうですが、がんを専門に手がける米国式のオンコロジー・ナースも、日本にはほとんど存在しない。アメリカでは非常に重要な役割を担っているスタッフですね。

ランガー そのとおりです。オンコロジー・ナースは医師といわば二人三脚で治療にあたっているスタッフで、常に医師と同じ視点で治療に臨んでいます。それだけでなく、実際に治療(支持療法薬など)を行うことも可能です。この点が日本の看護師と異なるところでしょうか? 今、私がこうして坪井先生と話していられるのも、オンコロジー・ナースのおかげですね(笑)。

坪井 ナースが治療を手がけるなど、日本では考えられません。そうなれば医師はより困難な治療に専念できる。その面でもアメリカは1歩進んでいるのかもしれません。

坪井 話は変わりますが、日本でもアメリカほどではないにせよ、外来で化学療法を行うケースが増加しています。その場合には、患者さんが自身で病気と向かい合うことになります。その点での難しさもあると思うのですが、ランガー先生はどんなところに配慮しておられますか。

ランガー 患者さんにいかに正確に説明するかということですね。言葉を換えれば、患者教育といっても良いかもしれません。その点ではアメリカの医療体制は日本に比べて恵まれているのではないでしょうか。がん治療を専門に手がけるオンコロジー・ナースが患者さんとのパイプ役として働いてくれますからね。私のところでも先にお話ししたオンコロジー・ナースが病状のチェックの仕方や薬剤の利用法など、的確に指導してくれています。ちなみにひとつ付け加えると、アメリカではオンコロジー・ナースが前処置など、治療の一部も行っています。

坪井 なるほど。最後になりますが、外来治療で患者さんは、どんなことに注意をすればいいのか。アドバイスをお願いします。

ランガー 化学療法でもっとも切実な問題はファティーグと呼ばれる慢性疲労です。抗がん剤治療を続けているとどうしても全身が消耗し、疲労感、倦怠感に苛まれます。それが治療に悪影響をもたらすことも少なくない。ファティーグが現れ始めたと感じたら、治療を中断する勇気を持つことも大切でしょうね。

坪井 ランガー先生、今日は貴重なお話をありがとうございました。米国の実地医療の実情を教えていただき、大変勉強になりました。また折に触れ、日米両国の治療の現状とその違いや将来展望などお話をさせてください。

(構成/常蔭純一)


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