渡辺亨チームが医療サポートする:卵巣がん編

取材・文:林義人
発行:2006年9月
更新:2019年7月

TJ療法による副作用も消え、体調のよさを自覚。
再発への不安が次第に遠のいていった

 荒山扶美さんの経過
2005年
5月9日
家庭医を受診。腹水の疑い
5月10日 婦人科を受診。検査の結果、卵巣がんが強く疑われる
5月16日 インフォームド・コンセント。「手術が必要」
5月26日 卵巣がんの手術。「ステージ3cの卵巣がん」と確定診断
6月12日 TJ療法開始
9月25日 TJ療法終了
12月19日 CA125の数値は1ケタ台。再発の兆候はなしと診断

卵巣がんの手術後、TJ療法を受け始めた荒山扶美さん(53歳)は、脱毛に加え、手足のしびれや筋肉のうずきなどの副作用に見舞われた。

が、6コースの治療を終える頃から、体調のよさを自覚できるようになり、手術から半年後も医師は「再発の兆しはない」と伝えている。

TJ療法の悩みはしびれと筋肉痛

6月19日の午前中、荒山扶美さんは北山病院を退院する支度をしていた。そこへ川原医師が回診に訪れる。

「調子はよさそうですね?」

扶美さんの顔色を観察しながら、こう話した。扶美さん自身も、心配していた抗がん剤の副作用も今のところ現れておらず、家に戻ってすぐにでも家事を始められそうな気持ちになっている。

「ご退院後の生活の注意ですが、ここにまとめてありますから」

川原医師は、「通院化学療法の注意」と示してあるプリントを扶美さんに手渡した。そして、こう話す。

「TJ療法の副作用については、先日お話ししましたね。脱毛はほぼ確実に起こりますが、必ずまた生えてきますから、あまりショックを受けないでくださいね。それからひどい筋肉痛が起こることも考えられますが、芍薬甘草湯という漢方薬が効く場合があります。もし筋肉痛でお困りになるようだったら、病院で出しますからそう伝えてください。あとは、手洗いやうがい、入浴をよくするなど、まあ、一般的にいわれるような衛生に注意していただければけっこうですから(*1)」

そこへ夫・忠雄さんが車で迎えに来る。扶美さんは、約1カ月ぶりに入院生活から解放されることになった。

扶美さんの髪の毛が抜け出したのは、最初のTJ療法の点滴から2週間経過した6月末頃のことである。覚悟していたとはいえ、束となって髪の毛がバサバサと抜け、ブラシで梳くたびにまとまって抜けていくのが心細い。前もって準備しておいたかつらがすぐに役立つことになった。

さらに7月4日に2回目の点滴を受けると、そのあとくらいからしびれや筋肉のうずき��自覚するようになってきた。しびれは家事を行うのにさほど困るというほどのこともなかったが、台所に立って千切りなどをするときはやはり危なっかしくて、電動のスライサーを使うなどの工夫をした。また、足先の感覚が鈍くて、家の中でやたらつまずきやすいという障害も起きている。

病院でもらった芍薬甘草湯を飲んでみたが、あるときは痛みがスッと引いていくように感じるけれど、またあるときは「今日はあまり効かないな」と感じなければならないという状態だったのである。

一方、筋肉の痛みのほうは腕と足にかなり強く生じてきて、よく眠れないこともあった。1コース、2コース、3コースと治療が進むに従って、回復するまでに時間がかかり、今では常にしびれ・うずきがあるという状態である。

医師は「順調です」と話した

8月11日、治療経過を見るためのCT検査を受けた。8月16日、扶美さんは3回目のTJ療法のために北山病院を訪れる。この日は術後初めて、夫に送迎を頼まずバスを使って1人での外来だった。

最初に血液検査を行い、抗がん剤の点滴が終わったあと、川原医師から診察を受ける。

「とくに異常はありませんね。このまま順調にいくことを期待したいと思います」

川原医師がこんなうれしい話を告げたので、扶美さんはほっとして診察室をあとにしている。

「そういえば、佐藤さんはまだ入院しているのかしら?」

扶美さんは病院の玄関までやって来たところで、5日間同じ病室で隣のベッドにいた患者のことを思い出した。入院したときに同じ部屋で卵巣がんということで知り合いとなり、連絡を取ったりしていた。彼女からは退院したという連絡は来ていなかった。4階の婦人科病棟へ行き、看護師に佐藤美代さんが入院しているか聞いてみたところ、まだ入院しているようだった。

「あらまあ、荒山さんじゃないの?」

特徴のある声が奥のベッドのほうから聞こえる。佐藤さんだった。

「まあお具合はどうですか?」

扶美さんは、病室の中に入っていった。

「私はぼちぼちというところかしら。私の場合、家が遠いし、タキソールを毎週打つ治療なので、簡単に退院して通院治療と言うわけにはいかないのよ(*2タキソールの毎週投与)。それに腫瘍マーカーも順調には下がらなくてね(*3腫瘍マーカーによる治療効果の判定)」

佐藤さんはこう愚痴をこぼしてみせた。頭にはタオルを巻いたままの状態で、タキソールによる脱毛が進んでいることをうかがわせた。

「あなたは、かつらがよくお似合いね。私も早く外を歩けるようになりたいわ」

佐藤さんは、しげしげと扶美さんの頭を見た。扶美さんがその枕元を見ると何本かの健康食品*4)のボトルが並んでいるのが目にとまる。

「いろいろ飲んでいらっしゃるのねえ。効くのかしら?」

扶美さんは関心を持ったが、佐藤さんはこう言った。

「まあ気休めみたいなものよ。看護師さんたちからは、『やめなさい』って言われているんだけどね……」 久しぶりの話し相手が見つかってうれしかったのか、この日も佐藤さんはとてもよくしゃべった。

「再発の徴候はありません」

2005年暮れを迎えた。9月に6コースのTJ治療を終えた扶美さんは、その後、長らく手足がしびれる副作用が続いていたが、それもかなり解消されていた。足の筋肉のうずきで眠れないこともあったが、今はそれもウソのように消えている。そして、一時は脱毛でツルツルになっていた頭も、うぶ毛のような髪で覆われ始めて、赤ちゃんの頭のような様子になっていた。

「今年は、大変な年だったわ。1年前にはまさかがんになるなんて思っていなかったからね」

扶美さんは、久しぶりに孫を連れてやってきた長女の美和さんにこう話しかけた。

「ほんとね。私も最初は、お母さんのお腹が出ているのをメタボリックシンドロームだとばっかり思っていたんだものね。あれが卵巣がんの徴候だなんてあまり知っている人はいないんじゃないの」

「あなたも最近ちょっと太ってきたんじゃないの? 肥満も卵巣がんになりやすいって聞いたわよ。気をつけてね」

「いやね、そんなに太っていないわよ。それよりも卵巣がんは遺伝も関係があるって聞いたわ。その意味では私も危険性は高いかもしれないわね(*5卵巣がんのリスクファクター)」

いつのまにか荒山家ではすっかりがんの話題が多くなっていた。そして、食事についても、「やっぱり野菜をたくさん摂ったほうがいいわよね」「肉より魚がいいそうよ」「ご飯は玄米のほうがいいのかしら」といった会話がよく取り交わされている。

12月19日、扶美さんは「今年はこれが最後」というつもりで北山病院の婦人科外来に出かけた。

「腫瘍マーカーCA125も1ケタ台です。現在再発の徴候はまったくありません」

川原医師は10月、11月の検査のときと同じことを告げる。「いつ再発するかわからないがん」と聞かされているだけに、扶美さんはその都度「ああ、よかった」と胸を撫で下ろしてきた。そして、いつも決まりごとであるかのように「これで治ったと思ってよろしいでしょうか?」と聞くのである。

「残念ながら進行した卵巣がんには『これで絶対大丈夫』ということはありません。ただ、再発がない現段階では、急に心配しなければならない状況にはならないと考えていただいてよいと思います(*6卵巣がんの再発とセカンドライン)。あまり先のことを考えずに、そのとき、そのときの、最善の取り組みをしていくことにしましょう」

川原医師は、これまでも何度か扶美さんに言ってきた言葉を、この日も繰り返した。

[生存期間の比較]
図:生存期間の比較
[QOL(生活の質)の比較]
図:QOL(生活の質)の比較
TJ療法(タキソール+パラプラチン)とTP療法(タキソール+シスプラチン)を比較する臨床試験の結果、両者は有効性に関して同等ということが示されたが、QOL(生活の質)の評価ではシスプラチンがパラプラチンと比べて吐き気や嘔吐、腎機能障害や聴神経障害などの副作用が多く、その結果TJ療法の優位性が証明されるとともにTJ療法が卵巣がん治療の第1選択となった


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