渡辺亨チームが医療サポートする:膵臓がん編

監修:石井浩 国立がんセンター東病院肝胆膵内科医長
取材・文:林義人
発行:2007年5月
更新:2019年7月

再発したがTS-1で症状は改善、7カ月後再び増悪。治療の手は?

 野田啓一さんの経過
2004年
11月1日
黄疸で受診した病院で「膵臓がんの疑いがあるので開腹が必要」と告げられる
11月15日 セカンドオピニオンを求めてIがんセンターを受診
18日 「ステージ2bの膵臓がん」と告知される
25日 切除手術が行われる
12月2日 術後補助療法としてジェムザール投与
2006年
7月
再び黄疸が現れる
8月7日 再発と診断
10日 TS-1の内服を開始
2007年
2月20日
ジェムザール単剤での治療を開始
5月8日 永眠

2b期の膵臓がんで切除手術を受けた野田啓一さん(65)は、1年後に再発の診断を受けた。

医師の勧めにより抗がん剤TS-1単剤の治療を受けると、症状が改善してきた。

しかし、その7カ月後、またも増悪の徴候が現れ、ジェムザールの治療を受けることにする。

そんななか、野田さんはオーストラリアへ紅葉を見るための旅を実行したのだった。

(ここに登場する人物は、実在ではなく仮想の人物です)

TS-1を飲みながら日本縦走のドライブ

[膵臓がんの転移先]
図:膵臓がんの転移先

2006年8月7日、野田啓一さんは膵臓がん手術後の月1回のフォローアップ検査のために、Iがんセンター消化器外科を訪れた。この日は妻の悦子さんも伴っている。

野田さんはすでに、背中にかなり強い痛みを覚えるようになっており、数日前からがんの再発は間違いないと確信していた。

名前を呼ばれて診察室に入り、高島剛医長の顔を見た野田さんは自らこう話した。

「先生、再発のようです。ずっと背中が痛くて……」

高島医長も再発の徴候を察していたようだ。

「そうですね。前回の検査でも、腫瘍マーカー*1)のCA19-9やCEAなども上がってきていましたから。再発が疑われますね。もう少し詳しく検査してみましょう」

その後、野田さんは血液検査や、超音波などの画像検査を受け、診察室に戻ると、医師から告げられた。

「残念ながら、おっしゃっていた通り、またがんが大きくなっていました。肝臓への転移もあるようです」

覚悟していただけに、野田さんは動揺しなかった。けれども、この日、付き添っていた悦子さんは、涙をぬぐった。

「まだ治療の方法はあるのでしょうか?」

医師はひと呼吸おいて答えた。

「そうですね。膵臓がんで効果があるのはジェムザール(一般名塩酸ゲムシタビン)ですが、すでに術後の補助化学療法として6カ月間、ジェムザールを使用しています。それでも再発したということですから、ジェムザール単剤では反応しなくなった可能性が高いと考えられます(*2ジェムザール不応性)。

現時点で考えられる治療法としては、TS-1*3)(一般名テガフール・ギメラシル・オテラシルカリウム配合剤)という抗がん剤を単独で使うか、TS-1とジェムザールを併用する方法などがあります。

それから、海外にはジェムザールにゼローダ(一般名カペシタビン)という抗がん剤を併用する方法、ジェムザールにタルセバ(一般名エルロチニブ)という分子標的薬を用いる方法などがあり、エビデンス(科学的根拠)が示されています。しかし、日本人に対するデータはありません。現時点ではTS-1単剤をお勧めします」 膵臓がんについて詳しく勉強していた野田さんは、医師に尋ねた。

「いずれにしても、もう私のがんが治ることはないでしょうから、TS-1が効けば少し長生きできるということですね?」

「専門家の見方からしても、そういうことになりますね」

「ではTS-1をお願いします。確か、あれは飲み薬でしたよね?」

「ええ、経口薬です。ご自宅で飲んでいただき、今までと同じように月に1度検査を受けに来ていただければけっこうです」

「そうですか。それなら、動けるうちに、レンタカーで日本縦走のドライブに出て過ごすことにしようかなぁ。検査の日だけは、病院に来ますから……」

そこへ悦子さんが慌てて口を挟んだ。

「あなた、そんな無茶な。何が起こるかわからないのに……。先生、それは無理ですよね」

しかし、医師は野田さんの考えに同調した。

「がんの患者さんだからといって、寝て過ごさなければいけないと決まっているわけではありません。このがんは進行がとても速いことがあります。ですから、今は有意義にお過ごしになったほうがいいと思います。できるだけ応援しますから、どうぞドライブにお出かけください」

腫瘍マーカーはじわじわ低下した

2006年9月中旬の暖かな日、TS-1を飲み始めて体調が落ち着いてきたのを確認できた野田さんは、悦子さんと念願のドライブによる日本縦走の旅に出かけた。まず北海道に渡り、日本でいちばん早い「大雪山の紅葉」を見てから稚内まで行った。その後の予定では、紅葉前線を追いながら南下することになっていた。

長年教職にあった野田さんは、修学旅行や研修旅行などの経験は多かったが、夫婦でゆっくり旅行したことはほとんどなかったので、夫婦の時間が新鮮でとても楽しく感じられた。

また、TS-1を服用すれば、吐き気に悩む人もいると聞いていたが、野田さんはそれをあまり感じていない。ただ食事はあまりおいしく摂ることができなくなっていた(*4TS-1の副作用)。

11月中旬、ちょうど紅葉が関東まで達したタイミングで、野田さんは、検査を受けるため、Iがんセンターに立ち寄った。このとき、野田さんは体調も少しずつ良くなっているように感じられた。

「腫瘍マーカーCA19-9がじわじわ下がっていますよ。TS-1が効いているようですね」

高島医長は点滴の前に検査結果をこう伝えてくれた。

「私も期待していたよりずっと調子がよくなって、喜んでいます」

こうして野田さんは、12月に鹿児島の紅葉も見て、3カ月間にわたる日本縦走の旅を終えて帰宅した。

久々に自宅でくつろぎながら、野田さんはしんみりと悦子さんに語りかけた。

「病気にならなかったら、おまえと旅に出ることなどなかったかもしれないな」

しかし、年が明けて2月に入ると、野田さんは再び背中の痛みや全身のだるさを覚え始めた。しばらくそれを我慢して、検査を受けるために病院に出かけた2月15日、医師にこのことを訴えた。

医師はあっさりがんの進行を認めた。

「腫瘍マーカーが上がっていますからね。TS-1にも不応となったのかもしれません。この段階では治療の選択肢はあまりありませんが、もう1度ジェムザールを使いましょう。前回使ってから時間が経っているので、再び効果が示される可能性がありますから」

「そうですか、可能性のあるものならぜひお願いします。じつは、最後に妻と海外旅行をしたいと考えていまして。ジェムザールも副作用はあまりないお薬でしたね?」

「確かにジェムザールはあまり副作用の心配はありませんね(*5ジェムザールの副作用)。大きな問題が起こる可能性は小さいと思います。で、今度はどちらへ?」

「3月になったら2週間ほどオーストラリアのタスマニアに紅葉を見に行きたいと思います。行ったことはないのですが、とてもきれいだと友人から聞いたものですから」

「それは素晴らしい計画ですね。ぜひ楽しんで来てください」

「もう思い残すことはない」

2007年3月、野田さんは念願のオーストラリアに旅行。しかし、4月には、ピーク時に70キロあった体重は50キロを割り込み、1日の大半をベッドで横になって過ごしていた。それでも、まだ自分の足で立って歩くことができる。

31歳の長男・靖男さん夫婦と、28歳の長女・美穂さん夫婦が、それぞれ幼い子供を連れて訪ねてきていた。美穂さんの長女めぐみちゃんが小学校に入学することになったので、家族揃って祝うことになっている。

美穂さんは、悦子さんの手料理を口に運んでいる野田さんに尋ねた。

「お父さん、おいしい?」

「いや、うまくないし、ほとんど味もわからない」

「仕方ないわよ。お薬のせいなんだから」

病気の進行と抗がん剤の副作用で、倦怠感や痛み、味覚障害などのつらい症状が強くなってきた野田さんだが、子どもや孫の顔を見ていると、一時そんなことも忘れられた。

4月10日、靖男さんの車に乗せてもらい、野田さんは、Iがんセンターを訪れた。野田さんはこのところ急速に体力が衰えていた。

診察室で高島医長が言った。

「そろそろホスピス病棟に入院されたてはいかがですか」

野田さんはしっかりとした口調で、自分の希望を伝えた。

「いや先生、私はだめとわかっていても、抗がん剤を飲んでいたいのです。それに、最後まで家で過ごしたいと思っています。昨年の暮れから近所の内科の先生に病診連携*6)を受け入れてもらって、痛みなどのケアはしてもらっていますから」

さらに野田さんは続ける。

「ジェムザールとTS-1のおかげで日本縦走やオーストラリアに行くこともできました。それに、娘の上の子の小学校入学まで見ることもできましたので、もう思い残すことはないといってもいいくらいです。でも、なにか新しい薬が出てきそうでしょうか?」

野田さんは、自分の状態についても、膵臓がん医療の現状についても十分理解しているようである。だから、高島医長も率直に話をすることにした。

「残念ながら、今続けている治療以外に、画期的なものはありません(*7これから期待できる膵臓がん治療薬)。海外でいろいろ行われている臨床試験の報告を読んでも、一長一短ですね」

「そうですか。でも、私は今本当に満足しています。先生ありがとうございました」

こう言って野田さんは病院をあとにした。


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