不要な治療を避け、天寿を全うする前立腺がんの待機療法 定期的に血液検査を行いがんの増殖を予測、治療を施さずにがんと共存する方法
前立腺がんにおける待機療法の適応対象

前立腺がんの待機療法は、検診で発見された早期がんが潜在がんか否かを判別する治療法といえる。ただし、すべての早期がんが待機療法の対象となるわけではない。
「直腸指診や超音波検査で確認することはなかったものの、PSA検査の値が正常範囲の4を超え、針生検によってがん細胞を確認できた早期がんが待機療法の対象となります。TNM分類による臨床病期でT1cに該当する早期がんです」(赤倉さん)
直腸指診は指を肛門から直腸へ挿入し、直腸に隣接する前立腺への指の感触によってがんの有無を診断する方法だ。超音波検査は、直腸へ挿入した発信器(プローベ)から前立腺に超音波を当て、その中を映し出すことでがんの有無を確認する検査である。一方、前立腺がんに対する針生検は、直腸壁か会陰のどちらか一方から6~12本の針を前立腺に刺し入れ、採取した組織を顕微鏡で調べてがん細胞の有無を確認する検査である。
待機療法の対象となる実際の早期がんは、もう少し厳密に限定される。次の5つの条件に該当した患者のみに、初めて待機療法を行うことになる。
(1)PSA値が4を超えるが、20以下。
(2)前立腺組織の異常構造の程度からがんの悪性度を診るグリソンスコアが6以下。
(3)針生検でがん細胞の見つかる針(陽性コア)が2本以下。
(4)陽性コアの中のがんの占める割合が50パーセント以下。
「なぜここまで待機療法の対象を厳密に限定するのかというと、診断直後に手術等の積極的治療の機会を逃し、がん死を招くリスクが当然あるからです」(赤倉さん)
待機療法を受ける患者も、もちろん同じようなリスクを負うことになるので、そのことは十分にインフォームド・コンセントしてから始めるのが原則である。

臨床試験を受けた半数がQOLを落とさずに生活
待機療法は最初の6カ月間は2カ月ごとにPSA検査を行い、その後は3カ月ごとにPSA値を調べていく。同時に、測定したPSA値をもとに、PSA値が2倍になるのに要すると推定される時間(PSA倍加時間)を計算する。
PSA値が2倍になるまでの時間の算出は、がんの悪性度をはかる目安となる。PSAの増加とがんの分裂・増殖スピードは相関しているから、PSA値が2倍になるまでの時間が長いほどがんの悪性度は低く、その時間が短いほどがんの悪性度は高いと判別できる。6カ月ごとに直近の1年間と、全観察期間の2種類のPSA倍加時間を算出する。
待機療法の継続か中止(=治療開始)か、その判断基準は2年だ。
「PSA値が2倍になるまでの時間が2年以下ならば、がんの分裂・増殖のスピードは速く、悪性度の高いがんと判断し、ただちに手術等の治療を受けるように勧めます。しかし、その時間が2年以上ならば、がんの分裂・増殖のスピードは緩やかで、悪性度の低いがんと判断し、無治療のまま経過観察を続行するのです」(赤倉さん)
日本の待機療法のパイオニアである香川医科大学教授の筧善行さんが行ったパイロットスタディでは、50人の早期前立腺がん患者が待機療法を受けた。
2000~20001年の間にスタートし、最初の6カ月間にPSA値が2倍になるまでの時間が2年以下となり、ただちに治療を受けたのは8人(16パーセント)だった。残りの患者は待機療法を続行し、現在も経過観察のみで過ごしている。
驚くのはPSA値が2倍になるまでの時間が10年以上に達する患者が、50人中25人にのぼったことだ。通常なら早期がんの診断直後、ただちに手術や放射線治療などを受けたはずの患者の半数が、一抹の不安を感じることもなく無治療のまま過ごしている。ほとんどPSA値も上がらず、腫瘍の増大も認められないからだ。待機療法の優れた有効性を予兆させる結果といえるだろう。
パイロットスタディに続き、2002年から200人の早期前立腺がん患者を対象とした待機療法の臨床試験もスタートした。
「待機療法が受けられる患者の選択基準や、継続・中止の適正な基準を確立するのが目的です。ほかに待機療法を受けた患者と受けずに積極的治療を選んだ患者のQOLや無病生存期間、生存期間などを長期に比較検討し、待機療法の有効性を明らかにすることも、臨床試験の目的として掲げられています」(赤倉さん)
先述した待機療法の具体的なやり方は、この臨床試験の方法、手順に則ったものである。
無用な治療をさけ、多くの患者に恩恵をもたらす治療法
[前立腺がんの待機療法を行っている病院]
- ・北海道大学医学部付属病院泌尿器科
- ・札幌厚生病院泌尿器科
- ・秋田大学医学部付属病院泌尿器科
- ・千葉大学医学部付属病院泌尿器科
- ・東京厚生年金病院泌尿器科
- ・国立がん研究センター中央病院泌尿器科
- ・群馬県立がんセンター泌尿器科
- ・京都大学医学部付属病院泌尿器科
- ・大阪府立成人病センター泌尿器科
- ・倉敷中央病院泌尿器科
- ・香川医科大学付属病院泌尿器科
- ・四国がんセンター泌尿器科
なお、前立腺がんの発生頻度は、民族間や人種間によって大きく異なっている。もっとも発生頻度が高いのはアメリカの黒人で、人口10万人あたり(以下同)67~77人にのぼる。アメリカの白人は36~45人、南米のコロンビア人は20人と二桁台だが、日本人は5人と一桁台の発生率にとどまる。黒人や白人と比べると、中国人や韓国人、日本人などの黄色人種は発生頻度が極端に低い。
一方、潜在がんの発生頻度は民族間、人種間に大きな有意差はなく、20パーセント前後であることが知られている。従って、前立腺がんの中で占める潜在がんの比率は、発生頻度の低い国ほど高くなる。
つまり、前立腺がん検診で発見される潜在がんは、欧米より日本のほうが圧倒的に多い。だからこそ日本人の前立腺がん患者にとって、無用な治療を回避できる待機療法は、欧米と比べられないほど大きなメリットがあるといえるだろう。
前立腺がんの待機療法は、ようやく始まったばかりの新たな治療法だ。いまは右のわずかな病院でしか行われていないが、きわめて大きなメリットを患者にもたらすことから、広く普及していくにちがいない。早急な普及が強く望まれている。
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