渡辺亨チームが医療サポートする:前立腺がん編

取材・文:林義人
発行:2004年11月
更新:2013年6月

たくさんある前立腺がん治療法の中から、納得して選択する

 山田博史さん(67)の経過
2002年
10月25日
定期検査でPSAが急上昇。
11月1日 初期の前立腺がんと診断され、手術を勧められるが、術前ホルモン療法を選択。
12月15日 生検の結果、初期の前立腺がんと確定診断。術前ホルモン療法開始。
2003年
1月21日
前立腺が縮小、ホルモン療法の効果が確認される。
3月10日 前立腺全摘除術を受けるため入院。

さいたま市に住む山田博史さんは、近所のクリニックで受けた定期検査でPSA値が急上昇を示した。

専門医による精密検査を受けたところ、ステージTb2の前立腺がんと診断が下された。

手術をはじめ、治療法はさまざまあるという。

その中で、彼は、主治医が最も得意とする手術に命を託することにした。

ところが、手術までのつなぎで受けたホルモン療法が意外な結果をもたらすのだ。

「手術には自信がある」と力強く言った

2002年10月、さいたま市に住む67歳の山田博史さん(仮名)は、近所のMクリニックでPSA値の上昇を指摘され、F総合病院で生検を受けた結果、12月15日「2b期の前立腺がん」と診断された。担当のS医師は、早速治療法について、説明を始めた。

「ご存じかもしれませんが、前立腺がんの治療法はたくさん種類があります(*1前立腺がんの治療法の選択)。手術で前立腺を摘出する方法も、ホルモン剤や放射線でがんを叩く方法もあります。もちろん患者さんによって適応もあるし、施設や医者によって得手・不得手もあるので、どの治療法がベストというふうに結論を出すのは簡単ではありません。山田さんのステージT2bという進行度とグリソンスコアを組み合わせて考えると、かなり選択肢は広いと思いますが、何かご希望はありますか?」

このとき山田さんは、また前立腺がんの手術を受けた従兄のことを思い出した。「確か、術後、『尿漏れが続いて困る』と言っていたな。それに最近、腹腔鏡手術の事故の報道もあったし、手術をしないほうがいいな」と思った。

「切らない新しい治療法はどうなんでしょう?」


千葉県がんセンターで行われているIMRTによる治療

「放射線の体外照射でも放射線障害の少ない方法や、小さな放射線源を埋め込んでおく方法、直腸から前立腺に超音波を当てる方法など、これもたくさんあります。確かに手術より侵襲も少なくて、性機能を温存できる可能性が高い方法や、入院の必要がない治療法も出てきました。ただし、新しい治療法は、対応できる施設もごく限られているし、保険が利かないものもあります。何より大きな問題は、最先端治療なので、5年とか10年という長期成績がまだわかっていないことです。この点はリスクがあるといえるでしょう」

説明を受けて山田さんは、ちょっと困った顔になった。それを見て、S医師が続ける。

「私はその医療施設や医師が最も自信を持っている治療を選択すべきだと思います。私自身について言えば、現在進めている前立腺全摘除術に最も自信を持っているので、これをお勧めします(*2前立腺全摘除術の適応)。でも、他の治療法をご希望なら、いくらでもご紹介しますよ」

この瞬間、山田さんは「手術!」と結論を出していた。「目の前で医師が『自信がある』と言うのだから、これに従わない手はない」と思ったのである。

術前ホルモン療法で前立腺がんが縮小

「わかりました。前立腺全摘除術をさせていただきましょう。ただ手術には短くて2週間くらいの入院が必要です。それほど緊急を要する手術ではないし、今すぐはうちもベッドが空いていないので、来年になってご都合のよろしい時期に入院していただくことにしたいと思います。いつ頃に予定しましょうか?」

S医師にこう尋ねられて、山田さんは「そういえば」と思い出すことがあった。1月に次男に2人目の子どもが誕生するという話を聞いていたのだ。「入院する前に、新しい孫を抱くことができたらうれしいな」と思った。

「では来年2月中ごろ、手術ということにしていただけますか?」

こう申し出ると、S医師は「わかりました。では3月10日に入院していただくことにしましょう」とパソコンに予定をインプットした。

「手術までにがんが進行しないようにリュープリン(一般名リュープロレリン)というホルモン剤を注射したいと思います。カソデックス(一般名ビカルタミド)という飲み薬も出します。これらのホルモン剤は術前に使って予後をよくするかどうかわかっていませんが、少なくともがんを小さくすることができます(*3術前ホルモン療法の意味)。しかし、ホルモン剤はほとんど確実に勃起障害が現れますのでご了承ください(*4ホルモン療法の副作用)」

すると、山田さんは「その点はご心配ありません。私はもうそっちのほうはいいですから」と、了解を示した。それを確認して、S医師は下腹部に注射する。そして、「1月と2月の第3火曜日にご来院ください。PSAで経過をチェックさせていただきたいと思います」と話し、処方箋を書いた。


経直腸の超音波検査で撮影されたD期の前立腺がん

山田さんは処方箋を持って病院脇の薬局で薬を受け取り、家路につく。小春日和の日だったが、道すがら「俺も男じゃなくなったのかなあ」などと思うと、首筋に吹いてくる風が冷たく感じられた。

年が明け、山田さんは新しい孫を抱くこともできた。そして、1月の第3火曜日がやってくる。この日は、ゾラデックス(一般名ゴセレリン)を注射したあと経直腸の超音波検査が行われた。

「思ったよりホルモン剤が効いているようですね。前立腺がすっかり縮小しています」

超音波画像から目を離さず、S医師はこう話した。「うまくいっているのだな」と、山田さんは胸を撫で下ろす。PSAも0.4ナノグラム/ミリリットルと完全に正常まで低下しているとのことだった。

勃起神経の温存は可能か

3月10日の午後、山田さんは、妻の渚さんに付き添われてF総合病院に入院した。翌日には手術を控えており、直ちに様々な準備のための処置が開始される。

血液検査が行われ、同時に自己血貯血*5)のために静脈血の採取が行われた。胸部レントゲン写真、手術が及ぶ部分の体毛カットなどが続く。あっというまに夕食時を迎えるが、配膳されたのは普通食だった。

夕食を食べ終わった後、妻が「じゃ、明日の朝来るわね」と言って病室を出て行った。そこへ、S医師が訪れる。これまでも聞かされていたが、改めて前立腺全摘除術の方法や術後の合併症などの説明がなされた。そのあと、S医師が尋ねる。

「勃起神経の温存はご希望なさいますか?(*6性機能温存法)」

山田さんはどきっとする。ホルモン療法の説明のとき、S医師には「もうそっちのほうはいいですから」と言ってしまったが、あのあとひどく寂しい思いがした。さらにホルモン剤を飲み始めてから、それまでたまにあった勃起がまったくなくなっている。もちろんこれから女性と付き合ったり、子供を作ったりするつもりはないが、自分から「もう勃起なんかなくていい」とは言えなかった。そんな山田さんの表情を察したのか、S医師が代弁してくれた。

「では、できる限り残すようにしましょうね。ただ、『確実に残します』というお約束はできませんのでご了承ください」

「十分です。先生、ありがとうございます」

山田さんは、自分の気持ちをわかってくれたS医師の手を握り締めたい思いだった。

「どうか明日はよろしくお願いいたします」

山田さんが頭を下げると、S医師は笑顔で、「お大事に」と言って部屋を出て行った。


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