渡辺亨チームが医療サポートする:前立腺がん編
迷った末に手術に挑んだ。再発率が低いと聞いて安心
山田博史さん(67)の経過 | |
2002年 10月25日 | 定期検査でPSAが急上昇。 |
11月1日 | 初期の前立腺がんと診断され、手術を勧められるが、術前ホルモン療法を選択。 |
12月15日 | 生検の結果、初期の前立腺がんと確定診断。術前ホルモン療法開始。 |
2003年 1月21日 | 前立腺が縮小、ホルモン療法の効果が確認される。 |
3月10日 | 前立腺全摘除術を受けるため入院。 |
3月11日 | 前立腺全摘除術 |
4月2日 | 退院 |
さいたま市に住む67歳の山田博史さん(仮名)は、近所のMクリニックでPSA値の上昇を指摘され、F総合病院で生検を受けた。
その結果、「2b期の前立腺がん」と診断された。
担当医から治療法について説明を受けた結果、前立腺の全摘手術を受けることに決める。
手術を待つ間、術前ホルモン療法を受け、前立腺がんはすっかり縮小していた。
こうして、2003年3月10日、手術を受けるために、F総合病院に入院したのだった。
手術前はやはり不安を隠せない
3月11日の手術の日、山田さんは朝5時半に目が覚めてしまった。静かな個室に入院しているのに、いつもより1時間も早い。
「やっぱり緊張しているんだなあ」
山田さんはそんな自分に気づいて、「ふふっ」と自嘲した。S医師から「安全性は高い手術」と聞いていたが、やはり不安は隠せないようだ。
「7年前に手術を受けた従兄も、1月に手術を受けられた天皇陛下もこんな思いをしたんだろうな。自分も頑張らなくては」と何度か頭の中で繰り返した。

天皇陛下に施行された手術。下腹部を大きく切開するため、切開創が大きく、
出血量も多く、疼痛など患者の負担が大きい
会陰式前立腺摘除術
肛門の周囲に小さな切開を加えて摘出する方法。侵襲が小さく、出血量も少なく、
疼痛も小さいなど、患者の負担が小さい。最近、注目されているが、まだ広く普及していない
この日、山田さんには朝食は出なかった。もっとも、それほど空腹感もなかった。そこへ、妻の渚さんが「おはよう」と言って駆けつけてきた。
7時半に看護師がやってきて浣腸が行われる。手術前に腸内を空っぽにするためだ。
ちょうど8時半にストレッチャーが病室にくる。山田さんが自分からそれに乗って仰向けになると、毛布がかけられた。渚さんに「じゃ、行ってくるよ」と声を掛けると、妻は「待っているわね」と明るく返す。看護師がストレッチャーをガラガラッと押した。
手術室に入ると、S医師のほかにもう1人の医師と2人の看護師がいる。
「私が前立腺全摘除術と骨盤腔内リンパ節郭清手術の執刀をさせていただきます」
主治医のS医師が改めて挨拶をした。続いてもう1人の医師が自己紹介する。
「麻酔医のHです。硬膜外麻酔(*1)をさせていただきます」
「看護師のTです」
「同じくKです」
そのあと背中から麻酔が注射された。普通の皮膚注射よりはかなり痛みを感じたが、山田さんはそのあとのことをまったく覚えていない。
放射線のほうがよかったかも
「山田さん、終わりましたよ」
看護師から声をかけられて目を覚ますと、山田さんはまだ手術台の上にいた。鼻から何本かのチューブが入れられていて、息苦しい気がする。下腹部にもなにやらさまざまな管がつながっているようだ(*2術後の管理)。まだ、麻酔のせいでボーッとした頭で、山田さんは、「けっこうたいへんな手術だったのだな」と考えていた。しかし、痛みはまったく感じなかった。
「手術はきわめて順調に終わりました。時間は3時間20分です。あらかじめ採取してあった山田さんの血液は、半分だけ輸血に使いました」
S医師の話も山田さんには、半分夢の中の出来事のように感じられている。
「明日までICU(集中治療室)で過ごしていただきます」
看護師が山田さんを手術台からストレッチャーに移し、すぐ近くにあるICUへ搬送する。ICUの中には、マスクをつけた妻の渚さんと息子夫婦たちが待っていた。
「あなた、もう大丈夫よ。よかったわね」
手術室に入る前とはうって変わって、渚さんは泣き出しそうな声を出す。山田さんは「心配をかけたな」と言いたかったが、声にならなかった。
ICUでの1日は途方もなく長く感じられた。手術創の痛みこそ感じないが、体位を替えたくても、体にはたくさん管がつながってスパゲッティ状態なので、自力で思うように動かすことができない。そのため、筋肉がこりを覚え、関節がギシギシと鳴るように思えてくる。眠いけれどよく眠れず、夢と現実が入り混じったような感覚が続いた。

翌朝早く、S医師がICUに顔を出し、手に持ったトレイを指し示す。
「これが摘出した前立腺です。術前ホルモン療法ですっかり小さくなっていますよ」
よく「前立腺はクルミ大」といわれるが、それよりはるかに小さい摘出組織が乗っていた。そんなものが体の中から取り出されたというのに、その間自分が何も知らず、何の痛みも覚えなかったことが不思議に思えてくる。
「勃起神経のある左右一対の神経血管束のうち左側は切らずに済んだので、勃起機能は温存できたかもしれません」
S医師は朗報を伝えてくれる。山田さんは「ありがとうございます」と、何とか声を出した。
その後ICUから病室に移されたが、スパゲティ状態に変わりはなく、自由に体を動かすことができない。麻酔が切れて、開創部からも痛みが伝わってくる。38.1度の発熱もあった。
「やっぱり手術はこたえるなあ。放射線治療のほうがラクだったかなあ」
この日ばかりは、山田さんは苦しさに身悶えし、自分の選択をちょっと後悔したりした。
が、その翌日になると朝から重湯が出され、術後初めて食事を口にできるようになる。硬膜外麻酔はPCAポンプの装着(*3)に切り替わり、もう痛みはほとんど感じなくなった。平熱に戻り、酸素吸入もはずされ、ベッドに上半身を起こすこともできるようになった。
相部屋の患者は尿漏れに悩んでいた
山田さんは術後3日目には歩行も自由にできるようになった。4日目には普通食が食べられるようになり、PCAポンプもこの日外されている。
術後1週間目に、抜糸されるとともに、カテーテル(導尿管)が抜去された。直後に尿失禁でシーツを汚してしまい、「これはまずいな」と思ったが、次に尿意を覚えたときは、トイレまで我慢することができ、本来の排尿機能が回復していることを確認できた。
術後8日目の午後、手術時に採取したリンパ節の組織診断の結果を持って、S医師が病室を訪れた(*4リンパ節の組織診断)。
「転移はありませんでした。再発の確率は、きわめて低いと思ってくださっていいと思います(*5術後の再発と対応)」
その後、個室を手術待ちをしている次の患者に譲るため、山田さんはあらかじめ病院から求められていた通り、4人部屋に移ることになった。
相部屋に入ると、隣のベッドには山田さんより1週間早く前立腺全摘除術を受けた68歳の熊野徹さんがいた。自分の「1週間後の状態」を聞き出そうと、山田さんはさっそく熊野さんに「経過はいかがですか?」と話しかける。
「それが、私は尿漏れが収まらなくって困っているんですよ(*6外科手術の後遺症)。来週退院させてもらおうと思っていたんですが、難しそうだなあ」
熊野さんの悩みを聞いて、山田さんは少し不安がよぎる。
「やっぱりS先生の執刀ですか?」
「そうなんですよ。S先生は腕がいいと聞いていたんだけどね」
「私のほうはほとんど問題はないですけどね」
「やっぱり個人差があるのかなあ? 私は放射線治療にしようかどうしようかさんざん迷ったんだけど、天皇陛下が手術を受けられたというので、手術を選んだんですよ。今から考えると、私には放射線のほうが向いていたのかなあ?」
この10日後に熊野さんが退院するまで、2人は隣同士で何かと情報交換を続けた。熊野さんの尿失禁も少しずつ改善していったようだが、結局尿パッドを手放すことができないまま退院していったようである。
4月2日の午後、山田さんはF総合病院を退院した。午前中、S医師から「PSAは測定できる限界値の0.01以下」と知らされている。一応、退院後も月1回通院してPSA検査を受け続けることになっているが、山田さん本人に「もう大丈夫」という自信がよみがえっていた。
2003年10月26日、定期検査でF総合病院を訪れた山田さんは、半年ぶりに入院中同室だった熊野さんと待合室で出くわす。「ご様子はどうですか?」と聞くと、熊野さんは、「最近ちょっとPSAが上昇して、S先生の勧めでホルモン療法を始めています」と話した。山田さんのPSAは、相変わらず測定限界値を下回っている。

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