渡辺亨チームが医療サポートする:原発不明がん編
ただちに「原発のわからないがん」として治療を始めるべき
牛山芳男さんの経過 | |
2005年 4月11日 | 鎖骨の上のグリグリに気づく |
4月18日 | 近所のクリニックで「炎症」と診断 |
4月25日 | 転医。検査開始 |
4月28日 | 細胞診の結果、がん細胞発見 |
4月30日 | 原発巣が見つからず、「原発不明がん」の疑い |
6月6日 | 「原発不明がん」の診断。「直ちに治療開始すべき」 |
首のリンパ節が腫れ、異常を感じた牛山芳男さん(53歳)は、自宅近くの大病院で数々の検査を受けたが、がんの原発が突き止められなかった。紹介を受けたがん専門病院では、「“原発のわからない”がんとしてすぐに治療を始めたほうがいい」と言われた。
不安が募る中で牛山さんは、どんな決断をしたのだろうか。
妻は動揺を抑えられなかった
あけぼの病院の城田医師から「原発不明がんではないか」と告げられた日、牛山さんは疲れ果てて帰宅する。1カ月前に、がんという告知を受けただけでもショックだったのに、その後うんざりするほど何度も検査が続けられ、そのあげく「原発がわからない」と言われた。そして、「うちではなすべき治療法がわからないから」と、Y市がんセンターへの転院を勧められたのである。
牛山さんは「この先自分はどうなるのだろう」といたたまれない気持ちになっている。妻に何をどう話すかということも、頭の中で整理できていなかった。
「どうだったの、今日は? あけぼの病院で何かわかったの?」
妻の早苗さんは、茶の間で牛山さんの顔を見ると、いつもの調子で聞く。早苗さんもまた、牛山さんが連日のように病院へ通わなければならなくなったことに不安を覚えているのだ。牛山さんはちょっとためらったが、妻に話すことにした。
「やっぱり原発がわからないんだって。『原発不明がん』というがんではないか。がんセンターで調べてもらえっていうんだよ」
「うそでしょ? そんながんなんてほんとにあるの? 1カ月も検査漬けにしておいて、そのうえ原発が見つけられなかったなんて。あけぼの病院も何ていい加減なことを言い出すのかしら」
早苗さんはすっかり興奮している。が、牛山さんのほうは沈痛な表情を見せていた。
「俺も、『そんながんがあるのですか?』って城田先生に聞いてみたんだ。そしたらあけぼの病院でも、たまに最後まで原発のわからないがんがあることはあるっていうんだ。でも、まあ、これからがんセンターで検査してもらえばわかるだろう」
牛山さんは妻をなだめよ���とする。そして気を取り直したように言う。
「俺も城田先生から話は聞いたけど、本当に原発不明がんというものがあるのかどうかまだ納得できないんだよ。俺はタバコは吸わないし、酒もそんなに飲むわけじゃない。日曜日のテニスも続けてきたのだから、運動不足というわけでもないはず。何が原因でそんながんにかかってしまったのか、不思議で仕方がない。ちょっとインターネットで調べてみるから(*1原発不明がんの原因)」

こう言うと、牛山さんは夕食も食べないまま自室に入って、パソコンに向かった。あまり聞いたことのない言葉だったのに、「原発不明がん」で検索すると、ヒット件数は100件以上あった。が、イのいちばんに開いたページでは、真っ先に「原発不明がんとは?」として、こんな一文が目に飛び込んで来た。
《原発不明がんは病期の進行したがんであり、長期予後は期待できない》
牛山さんは改めて自分の深刻な状態を思い知らされた(*2原発不明がんの予後)。そして、多くのホームページの記述には、《タレントのいかりや長介はこのがんで亡くなった※》と示されている。
検査に時間をかけるより治療を
6月2日、牛山さんは早苗さんも乗せて車でY市がんセンターに向かった。あけぼの病院の城田医師から渡された紹介状と、画像写真が詰まった分厚い資料一式を携えている。
前夜気づいてみると、1カ月くらいの間に体重は5~6キロも減っていて、55キロ前後まで落ちていた。そして暑い日が増えてきたためもあって、全身にだるさを覚えることが多くなっている。ちょっと前には想像さえつかなかったような病気であるかもしれないと知らされた現在、様々な症状を自覚せざるをえない(*3原発不明がんの症状)。車を降りてがんセンターの入り口に向かう緩やかな坂でさえ、10メートルも歩くと息切れするようになっていた。
腫瘍内科の外来窓口で封筒を渡して待つと、30分ほどで診察室に呼ばれる。
「今日は。私は向川雄一郎といいます」
向川医師は40歳前後と思われる年恰好である。
「初めまして、牛山です」
牛山さんの隣にいる早苗さんにも、向川医師はきちんと自己紹介した。牛山さんたちも深々と頭を下げる。早速、向川医師が牛山さんに尋ねる。

原発不明で肝門部リンパ節転移した例

原発不明で多発性肝転移した例

原発不明で肺転移した例
「あけぼの病院さんで、『原発不明がん』という名前はお聞きになっているわけですね?」
「ええ、城田先生から『そうかもしれない』と言われました」
「あまり知られていないがんなので、病名を聞いて驚かれたのではないですか?」
「ええ、それはびっくりしました。いかりや長介がかかったがんだということを知りましたが、まさか自分がそんな病気かもしれないなんて思いませんでしたから」
「そうでしょうね。さぞご心配されていることと、お察しします」
そこへ早苗さんが耐え切れない様子で口を挟む。
「先生、どうなのでしょうか? 夫はそれほど厳しい状態なのですか? こちらで検査し直したら何かいいお話を聞けるという期待はないのでしょうか? まさかいかりや長介さんみたいなことはありませんよね?」
一呼吸おいて、向川医師が答える。
「いえ、もう検査の必要はないと思います。もちろんあけぼの病院からいただいた資料をしっかり検討する必要がありますが、最先端の検査機器を備えた病院でここまで念入りに調べて、PET検査までされているのです(*4原発不明がんの診断)。それで原発と思い当たるところが出てこないということになると、これはいかりや長介さんと同じ病気と考えていただいたほうがいいと思います」
牛山さんも早苗さんも拍子抜けし、呆然と聞いているしかなかった。「がんセンターでもう1回同じ検査を繰り返さなければならない」とうんざりする気持ちもあったが、一方で「検査をし直せば何かいい治療の手がかりが出てくるかもしれない」という期待感もあったからだ。
「原発不明がん」というより、「原発のないがん」
牛山さんは向川医師に聞いた。
「もう検査しても意味がないというわけですね?」
牛山さんは、わかりきったことなのに、そういうふうに食い下がらなくてはいられなかったのである。もちろん向川医師は、簡単に自分の運命を受け入れられたくないという牛山さんの気持ちを十分理解できた。だから、ていねいな口調で、詳しく説明する。
「はい、この段階ではすぐに『原発のわからないがん』として治療を開始すべきだと思います。牛山さんのがんは、特定の治療がいい効果を示すようなサブタイプ(*5)の原発不明がんでもありません。『原発のわからないがん』というよりはむしろ、『原発のないがん』と呼んだほうがいいタイプです」 牛山さん夫婦は一瞬息を飲んだ。そのあと、牛山さんが念を押す。
「原発がわからなくても治療ができるのですか?」
「そうお考えになるのも無理はありません。医者の中にも『原発がわからなければ治療できない』と考える人が少なくないですからね。でも、現に原発のわからないがんというのはあるし、それに対してどういう抗がん剤がある程度有効だということもわかっています。牛山さんの全身状態は、抗がん剤の副作用にも耐えられるレベルだと思います。すぐに抗がん剤治療を始めましょう」(*6原発不明がんの治療法)