渡辺亨チームが医療サポートする:原発不明がん編
抗がん剤治療が思わぬ効果を上げ、みるみる体力が回復
牛山芳男さんの経過 | |
2005年 4月11日 | 鎖骨の上のグリグリに気づく |
4月18日 | 近所のクリニックで「炎症」と診断 |
4月25日 | 転医。検査開始 |
4月28日 | 細胞診の結果、がん細胞発見 |
4月30日 | 原発巣が見つからず、「原発不明がん」の疑い |
6月6日 | 「原発不明がん」の診断。「直ちに治療開始すべき」 |
6月13日 | TJ療法の治療を開始 |
10月24日 | 完全寛解 |
「すぐに治療を始めたほうがいい」という医師のアドバイスのもと、牛山芳男さんは原発不明がんへの抗がん剤治療を受けた。
はたして驚異的な効果を上げ、3カ月で全身の腫瘍は消えた。そして体調も回復した。
「完治は難しい」と言われてはいるが、職場復帰にも新たな意欲を見せている。
第1回目の抗がん剤治療開始
6月9日、牛山芳男さん(53歳)は、妻の早苗さんと話し合った末、30年間以上勤務してきた市役所に休職願いを提出することを決めた。市役所に向かったが、すっかり体力が衰え、玄関の短い階段も息切れして、杖に頼ってようやく昇るという有様である。首筋の腫れはコブのようになっているし、肝臓も腫れあがっているのが自覚できる。提出するのは「休職願い」だが、心の中では「もう2度とここに戻って来られないのでは」と考えている。
前々日「セカンドオピニオン」を聞くつもりで訪れたY市がんセンターで、「原発不明がんに間違いない。すぐに治療を開始すべきだ」と告げられた。そのように進行したがんにかかっていることがはっきりしたからには、「これから残された時間を、ゆっくりと自分を見つめなおすために使おう」と考えている。
仲間たちに挨拶するために職場にも立ち寄った。これまで延々と続くがんの検査のため、繰り返し休みを取らなければならなかった。これに対して「さんざんご迷惑をおかけしました」と詫びる。「もう一緒に働けないかもしれない」と考えると、こみ上げてくるものがある。仲間たちはその彼の気持ちを察したのか、牛山さんが市役所を去るとき、玄関まで出て見送ってくれた。
6月13日にタキソール(一般名パクリタキセル)とパラプラチン(一般名カルボプラチン)を併用したTJ療法(*1)と呼ばれる治療が始まることになった。向川医師から「このほかの薬剤を使った臨床試験に参加して治療を受ける方法もある」と聞かされたが、牛山さんは向川医師が治療経験豊富なTJ療法を選択したのである(*2原発不明がんに対する臨床試験)。抗がん剤治療は、入院でも通院でも受けることができるというので、牛山さんは「できるだけ自分の時間を持てるようにしたい」と考え、通院のほうを選んでいた(*3外来抗がん剤治療)。
1回目の点滴で要した時間は、約3時間半である。点滴が終わったあと、向川医師がこう話す。
「もし何か変わったことがあったら電話してください。今回の治療で何の改善も見られないようなら、次回の治療は行っても意味がない可能性があります。ぜひいい効果が得られることを祈っています」
3分の2の腫瘍が消滅した

骨盤内リンパ節転移の例で化学療法前

化学療法後。抗がん剤の効果が現れている
最初のTJ療法から2週間経過したが、牛山さんは治療の副作用もほとんど感じることなく過ごしていた(*4TJ療法の副作用)。それどころか、体調のよさを感じることが多くなっていたのだ。
「あれ、何だかコブが小さくなっているぞ」
首筋の腫瘍をさわってみて、牛山さんははっきりとそう認識できた。一時の半分くらいの大きさしかないかもしれない。肝臓付近にあった重苦しい感じもだいぶ消えてきたようだ。1カ月間近くほとんど食欲がなく流動食しか食べられなかったのに、だんだん空腹感を覚えるようになり、ご飯も普通に食べられるようになっている。
「抗がん剤が効いてきたようだぞ(*5TJ療法の効果)」
早苗さんに話すと、妻もすでにそのことを感じていたようだ。
「ええ、顔色もとてもよくなっているわよ。ほんとによかったわね」
2人は久しぶりに病気のことについて話した。牛山さんが「がんのことは忘れていたいので、家ではその話をしないようにしよう」と言っていたために、家族はそのことにふれないできたのだ。しかし、その牛山さんが自らの体調のことを口にし、家庭には久しぶりに笑顔が戻っていた。
それから約1カ月半後の8月1日、牛山さんは3回目のTJ療法の点滴を受けるためにY市がんセンターを訪れた。治療の前にCT検査を行う。向川医師は治療前の写真と比べながら、うれしそうに説明する。
「この腫瘍はほんとんど消えかかっていますよ。こっちもこんなに小さくなっている……。もう腫瘍全体の3分の2はなくなってしまいました」
「おかげ様で、体がずいぶんラクに感じられるようになりました」
「そうですか。抗がん剤は腫瘍を小さくするだけでなく、苦痛を和らげてQOLもよくすることも目的なのです。緩和的抗がん剤療法(*6)といいます」
3カ月で可能になった職場復帰
10月24日、牛山さんは6サイクル目のTJ療法の治療を終えた。すでに8月末には首筋の腫瘍は消え、現在ではCT画像でも腫瘍の影はすっかり消えている。向川医師は「完全寛解(*7)といっていいと思います」と告げた。
じつは牛山さんは9月中に3カ月ぶりに職場復帰も果たしている。タキソールの副作用のため、手足にちょっとビリビリとしたしびれがあり、細かい字を書くような作業はできないが、日常生活にはほとんど支障もなく、それ以外はほとんど健康だった頃と同様に仕事をこなしている。
「奇跡が起きた」
牛山さんはそう思えた。そこで、向川医師に訊ねてみたことがある。
「先生、腫瘍がこんなにきれいに消えたのですから、もうがんは治ったということは考えられないでしょうか?」
「そうですね。そうだといいですね。ただ、抗がん剤がよく効く患者さんにはこうしたケースはたまに起こりうるのです。がんが治ったとはいいきれませんが、ぜひこの状態が長く続いてほしいですね。しかし、がんにはやがて抗がん剤に対する耐性ができ、また腫瘍が大きくなることもあります(*8抗がん剤耐性)。それは来月かもしれないし、5年後かもしれません。でも、そのときまでにこれまでの治療法より成績のよい新しい治療法ができていて、それを使えるようになっている可能性もあります」
「それにしても、私は先生の治療を受けることができて、本当にラッキーだったと思います。前の病院で検査漬けになりながら、どんどん体調が悪くなっているときには『どうなることか?』と恐怖に押しつぶされそうでした。さいわい前の先生がちゃんと『がん専門病院に行け』と紹介してださったので、命拾いできました」
「私も本当によかったなと思っています。じつは原発不明がんはとてもがん難民(*9)を発生させやすいがんなのです。『原発不明がん=治療方法の不明ながん』と決め付けてしまうような医師もいて、患者さんが途方に暮れなければならないこともよくあるのです。ちょっと間違えれば牛山さんもそうなっていたかもしれませんね」
以来、牛山さんは「自分にはツキがある」と考えるようになった。職場に戻ってからも、以前の自分とはどこか違うように感じている。さすがに大酒は控えているが、「誰かが帰りに一杯」と誘えば積極的に応じるようになった。
もちろん1カ月に1回の定期検査で、Y市がんセンターへ通院し検査を受けている。
「今のところ、がんはおとなしくしているようです。安心ですね」
2006年に入ってからも、牛山さんは向川医師からそのような話を聞くことができた。