渡辺亨チームが医療サポートする:子宮体がん編

取材・文:林義人
発行:2007年8月
更新:2013年6月

「赤ちゃんを産みたい」との強い希望により、妊孕性温存療法の試み

 下村聡子さんの経過
2004年
12月14日
おりものに異常
15日 産婦人科クリニックで細胞診検査
22日 異型増殖細胞が見られ、子宮体がんの疑い
2005年
1月17日
子宮体がんと診断
1月18日 子宮体がんの診断
24日 黄体ホルモン療法を開始
7月27日 がん細胞が消失(完全寛解)、排卵誘発剤の投与を開始
10月13日 妊娠を確認

子宮体がんと診断された下村聡子さん(31)は、子宮の全摘を勧められたが、「赤ちゃんを産みたい」という夢を諦めることができなかった。

その強い希望に応えて医師は妊孕性温存療法の選択肢を示すと、聡子さんは再発リスクの高い治療法にチャレンジすることを選択。

黄体ホルモン療法が開始されることになった。

(ここに登場する人物は、実在ではなく仮想の人物です)

標準的治療では赤ちゃんを産めない

「そんなに進行しているのですか?」

子宮体がんで手術が必要なことを告げられた下村聡子さん(31歳)は、悲しげな声で金子医師に聞き返した。医師はすぐに「いえ、ごく早期のがんです」と言いながら、脇のディスプレイの上に表示されたMRI画像を示す(*1子宮体がんの画像診断)。

「これが子宮です。このように子宮体部の内膜が厚くなっていますね。がんのためです。しかし、がんは子宮内膜にとどまっていて、1a期と呼ばれる早期の段階です(*2子宮体がんの進行期分類)。それから組織診では下村さんのは類内膜腺がんといって、もっとも多い組織型*3)で、それほどタチの悪くないタイプの高分化がんです。ですから、治療を行えばほぼ治ります」

医師ははっきり「治る」と話したが、聡子さんはとても安心した気持ちにはなれなかった。

「先生がおっしゃる治療とは、がんの部分だけ取るということなのでしょうか? 子宮を全部取ってしまうことなのでしょうか?」

「子宮の全摘です。がん治療でいちばん重視しなければならないのは、患者さんの命を守ることですから、子宮を全摘する標準的な治療法を選択すべきでしょう(*4子宮体がんの手術)」

聡子さんは、泣き出しそうな表情になった。

「赤ちゃんが産めなくなるなんて……」

���宮を残す選択肢もあります

がん告知で動揺している患者とそれを心配そうに見ている夫を目の前にして、金子医師は初めてちょっと迷ったような表情になった。

「そうですか。赤ちゃんを強くご希望なのですね?」

「彼も本当は早く赤ちゃんが欲しかったんです」

すでに泣き声の聡子さん。すると、金子医師は思わぬことを言い出す。

「年が若くてこれから赤ちゃんを作りたいという人には、子宮を残すという選択がないこともありません」

「えっ、そうなんですか? 赤ちゃんを産めるということなのですね?」

「ええ、妊孕性温存療法*5)といいます。妊孕とは妊娠できる能力のことです。ただし、これは標準的な治療法ではありません。がんの根治治療のために行うものではなく、患者さんが計画的に出産するためのリスクの高い治療になります。これにはいくつかの条件があります」

「どんな条件ですか?」

「まず、すべての患者さんが対象になるわけではありません。0期と1a期の高分化がんの患者さんに限定されます。また、患者さんが強く希望していること。この点については問題ないですね。それから、40歳前の若年子宮体がん*6)であること。下村さんはこれらの条件をいずれも満たしていますから、妊孕性温存療法も選択肢の1つとなります。」

聡子さんには闇の中で突然明るい光が差し込んできたように思えた。

「お願いします。赤ちゃんを産ませてください」

すぐ横にいる裕也さんも「お願いします」と声に出していた。

子宮温存のためのホルモン治療

1月24日、聡子さんは妊孕性温存療法のための黄体ホルモン治療*7)の説明を受けるために、F大学病院を訪れた。金子医師から治療スケジュールを図示した計画書が渡される。

「これから6カ月間MPA(酢酸メドロキシプロゲステロン)というホルモン剤を飲んでいただき、がん細胞が消えるかどうかを観察していきます(*8ホルモン依存性子宮体がん)。ただ、時々ホルモン治療が効かないでがんが再び勢いをとり戻すこともあるので、毎月子宮内膜の掻爬を行いながら細胞や組織をしてチェックしていきます」

医師はこう説明していった。

「この6カ月間は妊娠しないのですか?」

「治療期間中は妊娠は禁忌です」

「それで、6カ月でがんが消えれば、妊娠してもよいのですか?」

「はい、そうです。逆にもしがんが消えなければ、子宮摘出など次の治療法を相談することになります」

この日から聡子さんは毎日600ミリグラムのMPAを服用するようになった。とくに副作用を自覚することもなく6カ月が過ぎていった。

7月27日、聡子さんは前週に受けた細胞診・組織診とMRI検査の結果を聞きにF大学病院に出かける。金子医師は、いつもとあまり変わらない表情で「がんが消えています。完全寛解ですね」と聡子さんにとってうれしい話を始めた。

「こうなると、1日も早く妊娠して赤ちゃんを産んでいただいたほうがいいですね。排卵誘発剤を出しますから」

聡子さんはこの日、スキップをしたくなるような思いで家路を急いだ。

10月中頃になって、聡子さんは毎月上旬に訪れていた生理がないことに気づいていた。10月23日のフォローアップ検査の日に、金子医師にそのことを告げると医師は「つわりの自覚はありますか?」と聞く。聡子さんはとくに感じるところはなかったので、「いいえ」と話している。医師は聡子さんには「調べてみましょうね」と話し、傍らの看護師には「超音波ね」と告げた。

「おめでたですよ。よかったですね」

5分も経たないうちに、金子医師は超音波検査のモニターを見ながらそう言う。

「ありがとうございます」

聡子さんは診察台に横たわったまま、大きな声で礼を述べていた。

ホルモン治療による子宮温存

厚生労働省がん研究助成金「婦人科悪性腫瘍に対する新たな治療法の開発に関する研究班」による子宮体がん・子宮内膜異型増殖例に対するホルモン療法による子宮温存法の研究(久留米大学医学部産科婦人科学教室)より

子宮体がん1a期22例、および子宮内膜異型増殖症17例に対してMPA(酢酸メドロキシプロゲステロン)療法と呼ばれる高用量のホルモン治療を行い、その治療効果を評価した。また、どのくらいの割合で妊娠・分娩に至るかも評価した。

ホルモン治療に対する反応をみると、子宮体がん1a期22例中12例(55パーセント)、子宮内膜異型増殖症17例中14例(82パーセント)で完全にがんあるいは異型細胞が消失した。しかし、一旦、がんが消失しても、子宮体がん1a期では57パーセントは再発し、MPA療法での再治療、手術、化学療法が必要となった。子宮体がんで完全寛解したうち11例に排卵誘発などを試みて、4例が妊娠し、3例で出産が成功したが1例が流産した。


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