「今日を生きる」(2)
生かされていることに感謝

私は大きな手術を5回も受けています。ときに食道に食べ物が詰まって苦しむことがあります。そんなときはジッーとせず、何か用事を見つけて、気にしないようにしています。それでも嘔吐することもあります。
家族には「私の手術を万が一医者が間違っても、ここまで来た人生に感謝ですから決して騒がず静かにお礼を云ってね」と話しております。
震災のときに東京も揺れ、エレベーターが止まったため、整形外科の先生が手術後の患者を独りで抱いて上の階へ運んだという話も聞きました。30年ほど前は医学も今ほど進んで無かった。長きにわたった点滴による栄養補給も、退院するときにN先生から「24時間かけてする点滴もラーメン一杯のカロリーや」と言われ、口から食する大切さを深く理解しました。
そして、退院後は楽しく食べる努力を重ねました。栄養を考えながら添加物の入らない手作りを、現在も続けています。生かされている現実を心から感謝しながら。
乳がんの再発
乳がん手術から、約1年後の今年(平成25年)1月に乳がんの再発を自分の触診で発見しました。
再発の部位は右脇下で、すぐにK札幌病院O先生は手術を実施してくれました。この手術は部分麻酔で終わり、経過も順調で一週間程で抜糸が出来ました。
1カ月後に検診に行くと、昨年夫の転勤で東京から札幌に戻って来た次女が、外科の前で待っており、診察室で共に説明を受けました。
また右脇下に、先日摘出した近くに、同じ違和感があり、O先生に確認して貰いました。再々発のようで、先生は「過去に抗がん剤を使用しているので使えない。また胃の関連もあるから放射線はリスクが大きいから使えないね。しかしこのがんに動きがあったら切りましょう」と説明され「お任せします」と答えました。
後日の診察では「動きがあったら手術と放射線をしましょう」と話されました。
私は夫や子供たちにもこのことを話しながら今度病院へ行ったら、先生に今までの胃がん・腸閉塞・肺がん・甲状腺・乳がんと続けて来た手術を考え、「放射線と手術はやめて、人生を全うしたい」と話そうと考えた。
O先生にそのことを伝え、「何時まで生きられますか? 延命治療をしないで欲しい」と話すと、先生はCT画像を見て、「今は再々発のがんに動きが無いので、百まで生きるかも、それは誰にも分からないよ」と真剣な顔で話された。
一生懸命診ている先生に失礼なことを言ってしまったと気づいた。
診察室を出ると、看護師が「渡辺さんより上の方も元気に通院をして放射線を受けていますよ。まだ渡辺さんは若くて元気ですから」と言われ、私はまだ若いのかしら? と思いました。帰宅して娘たちに早速報告したら「お母さん、まあよく言えたわね」
普通をめざして
小さながんを抱えて、また夫は悪性リンパ腫の影響で皮膚にポツポツと発疹が出ては消える症状でステロイドを使っていますが、病気は病院・先生に任せて、自分たちが出来る早朝ウォーキングに始まる一日の使い方を考えて「明日を思い煩わず、今日を生きよ」をモットーに普通を目指して暮らしています。
���学は日進月歩で進んでいるからがんも何時か必ず治ると、確約される日が来ることを信じたい。がんは体質遺伝があると言われるが、違う説だってある。私は後年、体質遺伝は必ずクリア出来ることを信じています。
病んでいる人の力になりたい
私は手術の度に多くの病気の方たちと巡り合い、そして多くの方たちから力を添えていただき、今日に至りました。
私の最後は少しでも病んでいる人の力になれたら、自分でも生きて来た誇りを感じることができると思います。生きる力は自分で真剣に悩んだ末に生まれると思うのです。
私は30代に始まった胃がんから、子供たちに対する責任が闘病の力となりました。現在3人の子供たちも家庭を持ち私の責任は終わりましたが、ここまで辿り着けたのは慎重に病気を診てくださる先生たちのお陰です。
私は、そのとき、そのときを真剣に生きて来たと思うのです。この様な生き方で、自分の立場ばかりを主張して、先生たちを困らせてきた事柄を今も恥じております。
今まで元気に暮らせたことを、心より感謝しています。