「懲りずに夢を見ながら」

小西雄三(49) ●ドイツ バイエルン州ミュンヘン
発行:2014年4月
更新:2014年7月


姉に大腸がんを伝える

姉に伝えるかどうか、迷った。姉は10年前に乳がんを患ったが、僕にはすべてが終わってから知らされた。母のがん再発の時も。僕としては、やっぱり教えて欲しかったから、姉に伝えた。

母亡き後、頼りになるのは姉だけ。小さいころ、2人ずっと一緒。心配かけるのは嫌だが、今でも一番理解し合えるし、姉はがん経験者でもあり、相談に乗ってもらえると思った。ただ、父には伏せた。心配性の父は、妻を亡くしてすぐに1人息子まで死なれたら堪らないだろう、と思ったから。

姉に伝えた1週間後、次の入院に間に合うように速達でお守りが届き、とても嬉しかった。

心強くなりがんが治るかもという気になった。この時の経験から、僕は誰かが重病と聞くと、病気平癒の願を込めた自作の仏画を贈っている。喜んでもらえると思うと嬉しくて。

妻の言葉にショック

クリスマス前に、ストーマを付ける手術を受けた。手術直後にはトイレに行く必要がなく、これは便利と思った。やがて歩けるようになり、自分でストーマを装着できて一安心と思っていた時、ストーマから便が漏れ、ストーマが外れるという事故が起こった。

看護師に手伝ってもらいながら、体を洗って着替えた。込み上げてくる行き場のない怒りを抑えながらも、我が身が哀しく情けなく、病棟の外に煙草を吸いに出た。雪が降る中、ジャケットのフードを頭に被って一服しているところに妻がやってきた。開口一番「さっさと、部屋にもどれ!」と怒鳴られた。

いくら事情を説明しても「恰好が悪いから、とにかく人目のつかないところに行ってくれ」と言われ、僕はショックで口がきけなくなった。

この、世間に見せられないと思われている人間、それがこれからのボク。僕のことを一番わかっていると思っていた妻に、人前に出せないという扱いをされるとは、夢にも思わなかった。鏡で自分の裸を見た時、人造人間という言葉が浮かんだ。それからは気持ち悪がるので、家族にもストーマ姿は見せなかった。

しかし、それが恥ずかしいことだなんて思ったことはないが、僕は障害者なんだ、と初めて気づいた。実際その直後に障害者手帳を貰い、障害度100%と認定された。

ストーマを付けていた間は、ストーマが嫌で嫌で、ストーマなしのフツウの人間に戻りたいと願っていた。ストーマによる利点をまるで理解せず、後にそれを思い知らされたが、その頃の僕は、ストーマさえなくなればすべてよくなる、と単純に思っていたから、幸せもんだった。

化学療法用にポート手術

ポートが右の鎖骨の下に入った。局部麻酔手術の45分間、執刀医と助手達の会話は同僚の悪口で、あまりに会話に熱中していて手術が失敗したらと心配したが、5年近くたった今も問題はない。ポートは血管があまり強くない僕に、大きな安心感を与えてくれた。

6週間の放射線治療と化学治療が決まり、日曜日を除く毎日、診療台に敷くバスタオルを持って放射線治療に通った。放射線科の治療時間は、5分間位だが、予約時間から30分から1時間位は待たされた。しかし、担当医が親切にいろんな相談に乗ってくれるので、とても安心した。

僕は身長183㎝だが、その頃体重わずか54㎏で、座ると尻の骨があたって痛くなる程痩せていた。姉は本と栄養のつきそうな食品をよく送ってくれ、それが楽しみだった。土曜日は、1時間は姉と電話で話した。プリペイドカードを使うと、500円で日本へ1時間以上電話ができる。姉に愚痴を聞いてもらい、励ましてもらった。

ストーマケアの苦痛

化学療法は、1クール2週間で、3時間かけて、多剤を点滴で入れ、仕上げに小さなポンプをポートに付け、1時間かけてゆっくりと薬を注入、それを3クールした。肛門括約筋を手術時に傷めないために、直腸の約7㎝の腫瘍を縮小させるのが目的だった。治療中、体に発疹が出た。とくに困ったのは、放射線治療終了直後に腰と尻の皮がケロイド状になり、ベロっと剥けたこと。痒く、そして痛くなって、寝ていられなかった。

ストーマはすぐ肌に合わなくなり、しょっちゅう製品を変えた。ストーマの接着部分の肌に、ブツブツとニキビのようなものができて、すぐに剥がれてしまったり、一時はそこの皮膚がズルッと剥けてしまい、出血のためストーマを接着できなくなり、速乾性の止血剤を使ったりで、苦労した。

ストレスのせいか、疲れているのに眠れず、それでイライラして余計に眠れず、悪循環に陥った夜などは、僕の部屋でこっそりギターを弾くと気が晴れた。少しでも音が響くと妻が起きて来て怒られるので、本当にこっそりと、でも頭の中では世界一のギタリストになったつもりで。

友達のバンドのライブにゲストで参加して、2時間ギターを弾いた時は、椅子に座っての演奏とはいえ「まだやれる」と自信がついた。

絵も少しづつ始めた。しんどいとか言いながらも、毎日充実した日々を送っていた。それでも、すごく体調の悪い時は、将来を想像し暗くなってしまった。

その頃、子供たちの学校の成績が悪くなったり、妻のいうことを聞かないと、「あなたが、病気になったせい」と妻は言った。病気で何もできない僕は、明るい将来の嘘は言えないので、黙って聞いていた。

やっと大腸がんの手術に

4月に、大腸がんの手術。放射線治療と化学療法の効果で、腫瘍がかなり小さくなっていて、括約筋を傷つけず手術ができた。手術後麻酔から覚めた時寒くてたまらず、やっとの思いで伝えると、ベッドの中に温風が送られた。すると気持ちがよくなり、また深い眠りに落ちていった。

入院中は、読まずにその時のために楽しみにとっておいた姉が送ってくれた本を読んだ。

近くに家族が住んでいても、自分たちの生活を優先し、毎日来てくれない。入退院も、手術の時も、いつも1人だった。頼めば付き添ってくれるだろうが、頼みたくなかった。保護者に助けは必要なしが我が家のルールなのだろう。それが、ふ・つ・う・なのだと思っていた。

大腸がん手術後、すぐに肝転移の手術と思っていたが、腫瘍がまだ大きすぎて手術するにはリスクが高いので、先ず化学療法をすることになった。肝臓に7カ所転移していた腫瘍のうち小さな2つは、2度の手術時に、1つずつ切除。化学療法はオキサリプラチンを中心に、アービタックスを追加。2日間点滴して、その後に小さなポンプを付けて、24時間かけてゆっくりと薬を注入。その次の週にアービタックスを点滴した。

病院に付属した個人診療所は、病院よりも手続きが楽だし、アフターケアもしてくれる。何かあった時には、すぐに病院内で応急処置ができるので、安心して治療に通えた。

診療所の看護師の1人は、日本人のハーフで、日本語をちゃんと話せ、精神的にもケアされた。日本人とのハーフだからといっても、必ずしも日本語が話せるとは限らず、現に僕の子供たちはまるっきり話せない。

ドイツ国内に日本語の話せる看護師がそんなにいるとは思えないから、宝くじに当たったみたいなもの。たぶん、ドイツ語で説明されても同じかも知れないが。彼女は3カ月後、ミュンヘン郊外の診療所に転勤したが、それまでは彼女との世間話を楽しみに通っていた。日本語でなら彼女も、同僚の話を診療所内で話せた。がんになったのは確かに不運だが、幸運と感じることもあるとわかり、これは嬉しいことのひとつだ。

いきつけの飲み屋は社会の窓

化学療法中、辛かったのは口内炎と肌の荒れで、指先と足の裏がピリピリと痛み、手作業が困難になった。指が痛く、熱い物冷たい物に触れられなかったが、子供が喜んでくれるので、夕飯を毎日作っていた。しかし、味覚がおかしくなっていて、刺激物はただ痛いだけで、甘味以外はわからなかった。

指の動きが鈍く、痛みがあり、ギターが弾きにくくなっていたが、来年には仕事に復帰する。そうなると、今しか時間がないと、時間があればギターの練習をして、楽しんでいた。毎日が睡眠不足気味だったが、躁状態の時は元気で、どんなことでも楽しく感じた。

酒は飲めなくなっているのに、昔からの行きつけの飲み屋に、週1回は行っていた。その日は、朝からワクワクしていた。僕にとって、そこは唯一の社会との接点でもあり、以前の僕を感じられる場所で、知り合いとの会話も楽しいが、ただ黙ってそこに座っているだけでも満足だった。以前となにも変わってはいない、という意地だった。

躁状態の時はいいのだが、鬱の気もある僕は、何かにつまずくと、嫌なことを考え始め、体調も悪くなり、楽しい事柄を考えられなくなるという悪循環が始まり、暗くなって困った。

人は役に立たなくなり、何も期待されなくなると、ひがむものなのだろうか。妻が僕を役立たずと見ているように感じた。

そんなとき姉や友人たちの言葉に勇気づけられ、何とか切り抜けられた。僕にはそういう人たちがいるのは、幸運だった。

化学療法中にアレルギーショック

1997年、息子のアレルギーの転地療養中、湖でボートに乗って

初めてのアレルギーショックの時は、看護師が異常に気づき、迅速に処置をしてくれたので、大事には至らなかった。

息子は生まれた時からひどいアレルギー体質で、入院を繰り返していた。まさか、僕がそうなるとは思ってもいなかった。まず、肌が赤くなってきて、痒いな、と思うと息苦しくなり、あっという間に気が遠のいた。その間、わずか1、2分位だったと思うが、気づいた時は、酸素マスクをつけられ病院のベッドの上。心配顔の看護師に、大丈夫と言っていた。

僕の悪い癖で、つい強がって正直に症状を言えない。病人とは思われたくないという、意味のないプライドで、迷惑をかけることになるのに、未だに癖が直っていない。しかし、次の日に退院できた。

同じカテゴリーの最新記事