「イナンナの冥界下り」 第2回
2回目の入院 気弱になっても仕方ないさ
1度目の抗がん薬治療から3週間後の11月22日、2度目の入院。実は選択できたパン食を選んだりお菓子を持ち込んだりして、少しは学習能力がある所をみせて、先生方にもいいかっこしたい。血液の数値はパスしたので入院3日目から点滴開始。点滴中は食道炎が少し楽な気がした。計画治療病棟は治験を受ける患者さんが入っている。海外に仕事に出かけるキャビンアテンダントみたいにスーツケースをコロコロ牽いて隣のベッドに入られた方は思わず2度見してしまう素敵な方。1カ月に1回1泊2日、点滴治療に入院される。
2年前に余命半年と宣告されて「あの余命はなんだったのかしら」と笑う。乳がんの治療後の定期検査で白血病が見つかって無菌病棟に移って行かれた方は院内に知り合いが多くて、あちこちの病室で笑顔で話す姿を見かけた。ご自宅が当時建設中で話題だったスカイツリーのすぐそばという方は定期的な入院で点滴用の管を胸に埋めたままにしてあるという。病状はそれぞれ深刻に違いないのに、みなさん私を慰めてくださる。
日曜日、1階のロビーで世界的なチター奏者・内藤敏子さんによるコンサートがあった。1時間半も座っていられるかちょっと不安もあったが、生演奏の魅力にひかれて早めに良い席をちゃっかり確保。チターの名曲からお馴染の映画音楽「第三の男」そして皆さんもご一緒にとパンフレットに歌詞がのっている「ふるさと」を合唱。『如何にいます父母/恙無しや友がき/雨に風につけても/思ひ出づるふるさと/志を果たして/いつの日にか帰らん/山は青き故郷/水は清き故郷』。両親は既に他界して彼岸で待っているが、胸がいっぱいになる。こんな状況なんだ、気弱になっていても仕方ないさ、と思う。
私は涙が止まらない
向かい側のベッドには前日若い女性が入院してきた。聞くともなく症状がおもわしくない様子。「今、両親は食事に行っているのでご説明は私1人で伺います。今までもそうでしたから」「いや、ご両親に同席していただいてください。すぐに電話して呼んでください、これが最後の治療になるかもしれないのですから」そんなやり取りを聞いてしまっていた。コンサートから病室に戻ると、看護師さんと話す彼女のお母様の声がカーテンから漏れ聞こえる。
「まだ37歳ですよ、海外旅行に行きたがっているんです、先生は好きなことをやりなさいって、あとどれくらい生きられるんでしょう、子供もまだ小さいです。あの子は気丈な子だからあんな風にしていますけど… …」聞いてしまった私は涙が止まらない。こみ上げるのは嗚咽なのか嘔吐なのかわからない。私には気丈な彼女を記憶にとどめることしかできない。
入院中に計23回の放射線治療は終了した。マーカーが書き足されることはもうないが、日焼けのように胸から上腹部のその部分が赤くなってきている。背中も同じ場所が赤い、両面グリルで部分焼け。表面がこのありさまだから中はじっくり焼けているのは言われなくても痛さでわかる。
焼けただれた食道の表皮が剥がれおちているので、というのが痛さの説明。修復される��で痛いのだろうか? 放射線治療中に週1回の診察をしてくれたT先生が「食べられないのに退院して大丈夫ですか? これから大仕事が待っているんですから」「大仕事?」「食道の手術は大手術です」「そっ、そうなんだ… …」うすうすその気配は感じていた。が、手術だからそう簡単なことではないだろう程度の覚悟だった気がする。まあ、ここまでくれば手術だって大手術の方が重病感満載で頼もしいくらいのもんだ。11月30日退院、後は自宅で副作用が治まるのを待つ。
「ごくり」と飲み込むのが怖い
食道炎の痛みには従来からの粘膜保護剤と痛み止めに加えてモルヒネ系錠剤と頓服が処方された。そもそも食事の前に液状の痛み止めを飲むのがつらい。効いている気はしないが薬の効果がなければ私には耐えられないのだろうなと思う。まともな食事といえるものがとれる状況ではなくなっていった。ポカリスウェットが沁みて、水を飲み込む唾を飲み込むのがつらい。
処方されていた抗うつ薬は飲めば少しうとうとできるが、服用間隔を4時間あけるように指示されたので、就寝時、夜間目が覚めた時を中心に配分。もはや薬を飲むときに水分を摂取するといったほうが当たっているかもしれない。焼け石には最初の一口がきついので、水より牛乳のほうが少し楽な気がして、小さなカップに牛乳を人肌に温めてヤクルトの小さいストローでチューチュー吸う。元来の臆病な性格が災いして、「ごくり」と飲むのが怖いのだ。小さなストローの在庫切れが恐怖だ。
それでも経口栄養剤1パック(200cc/200キロカロリー)とヤクルト1本は、朝のうちに何としても飲んでしまうと決める。治療の手引きによると食道炎は治療開始から1週目ぐらいから出始め、7週目頃まで続くようである。退院した時が5週目、いつがピークなんだろう、今日よりも明日はつらいのか楽なのか。何度も手引きを引っ張り出して今日は何日目と数えてみる。退院時、水は1日500mlペットボトル2本位は飲みたいですね、と指導されたが1本飲むのもムリ。
私、結構がんばり屋さんなんです
入院時からほぼ日課になっていた深夜2時30分のソラナックス(抗うつ薬)、夜毎起きだして洗面所にしゃがみ込んで牛乳を飲み、たった1錠の錠剤を水で飲み込むまでに何十分もかかる。人間は水を飲まないと死んじゃう、あと、ボトルの水をあと3cm飲んでから横になろう。どんだけ憶病なんだ。そんな夜毎の行事に、連れ合いは気づかないふりで、放っておいてくれるので助かった。みみたもみゅうも当然目が覚めて気づいているはずなのに起きて騒ぐこともなく、私が痛がっているのをそれぞれのハウスで見守ってくれた。
「大丈夫?」と心配されても「大丈夫じゃない」んだし、ほんとにダメならその時は騒ぐので、それまではそっとしておいて的な。
退院後も毎週血液検査があり「飲めない食べられない状態では頑張ってますよ」。C先生のその言葉で踏ん張れた気もする、私、結構がんばり屋さんですアピール。そして、しゃがみ込みの夜が何日続いただろうか「こくっ」と水がのみこめた? かな。昨日よりはちょっとましな今日になった気がする。「薄紙を剥ぐように」とはよく言ったもので、「ごく、ごくと水が飲めました」とC先生に報告したのは年末近く内科最後の外来だった。「お正月はお餅でも食べて、小さく切ってちょっとずつね」(続く)