「イナンナの冥界下り」 第5回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2016年12月
更新:2020年2月


「がん2大パワー保険」を掛けとけば

春休みから新学期が始まると、学童クラブは忙しい。

学年が上がって抜けていく子もいるが、新1年生はしばらくの間、給食なしの短縮授業なので長時間預かるからだ。

まだ学校にも慣れていないのに、学童クラブの人間関係にも慣れなくちゃね。まだ保育園児の面影も習慣も残っている新人が低きに流れないように上級生もこれを機に綱紀粛正を図る。

子供達はあっという間に一丁前だ。さして成長の跡が見られない置いてきぼりは私だけ?

術後4年目に入った5月の定期検査も特に問題なく「もう僕としては安心してるんだけど」とスーパーミラクルドクターG。1年後に検査の予約を取ってくださる。

5月から学童指導員の方の紹介で町の福祉協議会が主催する「脳トレ」教室に参加することになった。

高齢者のための認知症予防の教室だが、一応、私のカテゴリーは高齢者ではなくてサポーター。

こちらは月に3回木曜日の午前中8時半から12時半頃まで。

朝5時半起床はすこぶる辛いが、こう見えて頑張り屋さんだから、遅刻することもなく学童クラブと2足の草鞋でよちよちやってきた。

3カ月が過ぎだいぶ慣れてきたなと思っていた頃、福祉課の方から呼ばれる。『なんかやっちまったか』意に反して「産休を取る職員の代わりに脳トレの日を除いてあと週3日終日出てもらえないだろうか?」ですと。

『しゅうじつしゅうみっか!私に白羽の矢とはいやいやお目が高い、無理っす。』

でも、やる気と体力があればまだ働く機会はあるんだ、まんざら捨てたもんでもないぞっ、とちょいと自慢も入って内心嬉しかったが、「お役に立てなくてすみません」とお断りした。

週3~4の半日ボランティアと忘れてならないバイオリンのレッスン、それに落語会には東京まで1泊で出かけるし。

若くて元気な頃ならばフルタイムで働いていても余暇にこなせそうな内容でも、今の私にはフルタイム4WD的な爆走感。掛けとけばよかったな~、がんになっても困らない「がん2大パワー保険」体力・気力を若くて有り余っている時に掛け力しておいて、がんになったらパワー給付を受ける。

自己血輸血のようなものだが、ドーピングに引っかかってオリンピックには出られない。

左乳首に血の塊が

2015年、姉の一年祭(仏教でいう一周忌)を終え、花粉症の季節も乗り切って年度が替わった5月から脳トレは毎週出ることになった。

その上計算や音読のサポートのほかに軽いレクリエーションのインストラクターっぽいことも分担することに。

デュアルタスクだのコグニサイズだの早い話が軽いストレッチ、グーパー体操やじゃんけんゲームだが、やるからにはと、パソコン相手に練習に励む。たまに間違えるのはご愛敬ってことで。

5月下旬、1年ぶりの血液検査、CT(頸部から骨盤まで)・内視鏡検査も無事問題なしで丸4年4カ月が経過した。

G先生「検診のつもりで1年後にCT・内視鏡やりましょうか?」「内視鏡も?」「これはセットだからね」

初診日が火曜日だったので毎回検査日は火曜日である。

ほっとひと安心した検査2日後の木曜日、脳トレの日の朝、着替えの時にパジャマの左胸あたりに乾いた出血の跡のような丸いシミがある。『なんだろ~』と思ったが、いつも通りの時間配分で支度をして出かける。

夜、入浴時、気になっていた左胸を見てみると左乳首にゴマ粒より小さいゴキブリの糞くらいの血の塊のようなものがある。

乳首をつまんで押してみると何か出る。私は出産・妊娠経験がないので、乳首から物が出たことがない。『へぇ~ここから出るんだ』感心してる場合じゃない。

血の混じった分泌物が少し出たと言う表現が当たっていると思う。ネットで調べてみると「閉経後血の混じった分泌物があるときは念のために乳腺外科を受診する」となっている。

でもな、CT撮ったばかりだしな、ほんの少しだしな。いやいや、G先生は「僕は婦人科まで細かくは見られないからね、婦人科検診は受けてね。CTに映るのは大きくなってからだから」とおっしゃっていたが、手術後マンモは受けていなかった。どうする?私。

6月は学童・脳トレ・楽器のレッスンの他に早稲田大学オープンカレッジのがん関連講座を受講するなど予定がタイトに入っている。毎水曜・日曜の安息日をキープしているが、工房近隣に乳腺外科の病院が検索サクサクに引っかからない。

分泌物は木曜日だけだったので成り行きで様子を見る形になってしまった。

4週間後6月下旬、また木曜の朝、前回と同じような血のシミがついていた。まあ!生理のように几帳面だこと。

どんどん不安が募ってくる

思い起こせば術後2年目の春、ヘルペスが婦人科エリアに出た。それ以前にもヘルペスは脇腹上あたりの皮膚に2度発症していて、やはり免疫力が落ちてるんだなぁと思ったりした。デリケートゾーンのヘルペスが一段落した後、ジュリナ(ホルモン薬)をしばらく処方されたが、1年ちょっと飲んだろうか、担当医が代わり服用理由が更年期障害になっていたりで、「漫然と続けるのは良くないわよ。長期の服用は乳がん発症のリスクになるし」と言う掛かりつけ内科の女医先生の助言で止めた、

そんなこともあったっけ。

乳がんで分泌物というとかなり進行しているイメージを漠然と持っていたが、自己触診では何も捉まえることはできない。と言っても私の胸は若干の膨らみは認められるものの、仰向けになれば宝探し、骨か筋か乳腺かしこりかなにやら素人には判別不能。

だがしかし、私、どう考えても乳がんのリスクファクター高ポイントです。

『ダメだこりゃ!』と思うと、どんどん不安が募る。幸い東京の自宅近くの乳腺外科で2日後予約が取れた。担当は院長先生で区の乳がん検診も行っており、すぐにマンモ検査をしてくださる。

左胸を挟むと「梨汁ブシャー!」という感じで分泌物がマンモの機器に噴き出た。触診、エコー検査。胸に小さなしこりがあるので注射器で細胞を採って検査に出しますと言われた。

10日後、結果は5段階の3Aということで、「がんの心配はないと思うけど(?)白とも黒ともはっきりしないので、3カ月後にまた来てください」ということになった。

ここにしこりがあると言われてもよくわからない位の大きさ、『まぁ秋まで放っとくか、いや、心配無いったって私は心配性だし』義姉に相談、がん電話相談に相談、結局G先生にお手紙を出すことにする。

「G先生へ、前略、何か良いおまじないがあったらお教えくだされ」

「遠山さんへ、 次の検査はがんセンターでやりましょう。予約を入れます」予約日程のご連絡をいただいたのが8月5日ことだった。(続く)

1 2

同じカテゴリーの最新記事