「イナンナの冥界下り」 第6回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2017年1月
更新:2020年2月


死んだ上に踏んづけられるような事態が起こるのか

翌日は落語会の受付のお手伝いの日。テープ剝がし解禁の夕方4時は出先だったので、帰宅まで我慢するが、すでに一部かゆみは朝から出ていた。

しかし敵はどう頑張ったってたかがテープかぶれである。帰宅後恐る恐る剝がすと、かぶれ止めクリームのおかげもあって全体的には良好だが、脇から背中の部分が水ぶくれになっていて、剝がすと同時に水泡が破れぽたぽたと水が滴った。

痛ぁいけど、圧迫が取れてすっきりした。押し付けたカーゼの形に胸が変形している。変形は翌日には回復したが、かぶれは乾くまでに1週間ほどかかり、痕はいつまでも残った。恐るべし、「たかが」テープかぶれ。

かぶれをなだめながら、10日過ぎ、18日午後1時K先生外来、検査結果を伺いに行く。待合室で待っている間、今までの外来では感じなかった緊張感。食道がんステージⅢ(III)でここまできて、また乳がんになるなんてことがあるんだろうか。

そんな、死んだ上踏んづけられるような事態は起こるのか。でも、もっとひどい悪魔の所業はこの世でたびたび起こっている。ただ、なんとなく自分には降ってこないような気がしているだけ。

診察室のK先生は初診に違わず温和な雰囲気のまま「残念だけどがんが出てるね。ここまで食道は大丈夫だったのにね」

「はい」

「でもまだかわいいもんだよ」

「がんでもかわいいんですか?」

「こんなに小さい、かわいいもんだ」″かわいい″が飛び交う。

画像を示しながら「MRIをやって患部以外に右と左にそれぞれ1カ所調べたほうがいいところがあるので、マンモトーム(マンモグラフィガイド下針生検)という方法で調べます。体の中に金属は入ってますか?」

「G先生の手術の忘れ物がなければ大丈夫です」

10月5日MRI、9日右マンモトーム、16日左マンモトーム。あとは看護師さんから説明を聞いてください、ということで、入院手術に向けてのやっておくべき手続き一式や検査の指示をいただく。

採血、検尿、胸のX線、心電図、肺活量、入院申し込みなどお約束の入院セットに今回は院内薬局へのお薬手帳提示が加わった。乳腺外科ではこの時点で、「乳がんの治療を受けられる方へ」(乳がんの知識から術後のリハビリ、治療ノートなど)「乳がん手術を受ける方へ」(入院から退院までのスケジュール)術後ボディイメージ教室の案内まで、事前準備のための冊子が手厚く用意されていた。

その日やるべき事を全部終えたのは夕方何時頃だったろう、疲れたし遅くなったが、翌日工房に来客がある予定だったので、東京泊はせず、頑張ったご褒美にグリーン車で九十九里まで戻る。

ホルスタインじゃないんだし

翌日は笑いのツボが限りなく近い友人が、プロ並みのスモークベーコンを作るお連れ合いと、我が連れ合い自信作のスモーカーを使っ���のベーコン製作がてら、工房に遊びに来られた。おすそ分けもいただいた美味しそうに仕上がったベーコンを携えての帰り際、友人に衝撃の告白。

「昨日乳がんだって言われた」

夜、お礼メールのやりとり。

「また世話をかけるなぁと思うと病気そのもののことより気が重くて、なかなか言い出せないです」

「話ししたいな、できるなというときに話すのが一番いいのだと思う。でも早く共有して楽になったっていいのだとも思います。心配されるのは仕方ないです」

翌日、最初の分泌物から一連の経過を、何も話していなかった連れ合いに話した。持つべきものはベーコン職人の妻。

学童クラブは9月いっぱいでシフトを外してもらい、検査日程優先でのんびり過ごせばよいはずなのに、持って生まれたビビり体質が露呈して、胸が詰まったような感じで、食事が進まなくなる。

夜中に嘔吐したりがあって、近くの内科で胃腸薬を処方してもらったが、抱え込んでもしょうがないし、検査は外せない。意を決して、ここしばらくは食道検査の時に経過をご報告するような受診だった精神腫瘍科のO先生の予約を取る。

10月5日MRI検査。MRIは以前に人間ドックで受けたことがあったが、今回は勝手が違った。撮影の部位によって機材が違うのだろう、大きめのヘッドホンをしてうつ伏せになって検査着の前を開いて2つの大きなドーナツ状の穴の中に胸を差し入れる。私はスカスカだが、豊満な方はぴっちりなのか? 検査に臨んで、今は可笑しくはない、だがこの有り様をいつ誰と笑おうか。大音量に叫びだすこともなく無事終了。ほっとして笑いがこみ上げる、ホルスタインじゃないんだし。

10月6日精神腫瘍科O先生受診。「実は」と一通り聞いていただき「乳がんだったんです」

「そうなの、普通に話してるから、何でもなかったのかと思った。ちょっとテンション高すぎ」そうです、私は外面良し子さん。

「今からそんなに頑張りすぎると手術が終わったら反動が来ちゃうから、平常心で行きましょう、普段通りで」

夕食前のソラナックスと就寝時の眠剤を必要に応じて服用するよう処方していただいた。

10月9日右マンモトーム。担当E先生、エキスパートだから安心してお任せ。マンモグラフィで撮影しながら位置を決め、局所麻酔注射をして、写真を確認しながら針を刺し組織を採取する。

「この機械は胸の厚みが1.5cm以上ないと挟めないので検査ができません、とにかくやってみましょう」

「私、今日右胸大きめです」

「前回のマンモの数字が出てますよ~」

「足りない時はどうするんですか」

「寄せて上げてで頑張ります」

この検査は機器の前の椅子に座って体の位置を決め、胸を挟んで機器を抱え込むような体勢になったら微動だにしてはいけないので、前方にTVが置いてあり、ひたすらそれに熱中する態(てい)となる。

左斜め前方の画面はNHK。E先生の力技で組織採取成功。前回の針生検と同様に止血と休場力士バンデッジ。新1年生のように緊張したので、体がガチガチに凝ってしまい肩コリからくる頭痛で、夜ロキソニンを服用す。

そりゃぁもう大騒ぎさ

10月11日、突然工房の電話が鳴る。乳腺外科K先生から直接お電話、しかも日曜日。

『なんだろう、きっと私もうダメなんだ』ドキドキ。ご用件は「緑内障の治療してるよね」そうだ、お薬手帳に目薬情報が沢山貼ってある。

「緑内障は麻酔の使えないタイプがあるので、眼科の先生に医療情報を書いてもらって次の外来で持って来て」だった。先生直々に休みの日に、あぁ~もうK先生、一生ついていきます。

10月16日左マンモトーム。今回は朝一番の検査開始だったが、私の次の時間帯の方がもう待合にいらした。遠くからいらしたのかな、心配で早く来ちゃったのかな、とか思う。うら若き女性にとって乳がん告知はやっぱり厳しい。

「先生今日は赤のスクラブですね」

「洗濯のローテーションでね、左胸、挟みやすいよういろいろやって来てくださいましたか」とE先生からいきなりカウンターパンチ。

いやぁ目に見える効果が出てなくて、タジタジ。2度目なので何をされようが動かないが、力まずにリラ~ックスを肝に銘じTVは8チャンネルにロックオン。

E先生の乳腺針生検はこれで3度目になるが、やはり事前の丁寧な説明と検査中の要所々々の不安を払拭する声掛けは変わらず。待合で待っていた彼女、不安だと思うけど大丈夫心配いらないですよ。無事終了したが、実は例の分泌物の「梨汁ブシャー」があったらしく、でも私の視線がテレビから解放された時にはあたりは何事もなかったよう。

念入りな止血とテーピングを終え、検査室を辞するときには「今日はバッグは右肩でね」のご注意をいただいて、赤いスクラブの似合う素敵な女医先生とお別れした。

手術前の検査が終了し、K先生外来診察の前日、緑内障治療をしている眼科へ。定期診察と、依頼しておいた手術のための「診療情報提供書」を受け取りに行くだけのつもりがその日に限って右目の眼圧が異常に高い、観測史上最高だ。

「このままでは緑内障の急性発作の危険があるのですぐに点滴をします」

そんなぁ、ちょっと寝不足ではあったがそれしきのことで眼圧が急上昇してたんじゃ八つ目ウナギ何匹いても足りやしない。

だいたい眼科で点滴なんてやるんだ。幸い手足痺れぇの、ふらつきぃの、の点滴で眼圧は落ち着いたので、いつもの目薬の他に眼圧を下げる飲み薬と文書を受け取り、2日後の診察を予約して帰る。なんだか想定外、すったもんだの、そりゃぁもう大騒ぎさ。(続く)

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