「イナンナの冥界下り」 第8回
私は「起きたきり病人」だ
宇宙は暗黒物質に満ちている。陽子や中性子など観測可能な5%の物質以外はダークマターとダークエネルギーだと言う。私は目に見えないそちら側に吸い込まれてしまった。
翌日精神腫瘍科O先生診察。「乳がんステージⅠと言われたことがとてもショックで、今は何をどうしていいのか分からない」
「つらそうですね。ホルモン療法をしないのであれば新しいSSRI系の抗うつ薬が使えるので、しばらく飲んでみますか? 副作用はパキシルより少ないですし」
レクサプロを処方された。
「体重少ないから半錠から始めてみようか」
2016年1月の私はゲリラ豪雨の日に地下鉄の入り口階段に置かれた土嚢だった。心も身体も脳からして水を含んだ砂のようで、ずっしり重かった。土嚢は動かないし、何も考えないし、まして楽しいはずがない。新語が誕生、〝起きたきり病人〟。朝、決めた時刻になんとか起きだすが起きたら起きたきり何もできない、寝たきりではないのだが。だから今あの頃、何をしていたかよく思い出すことができない、たぶん何もしていない毎日。
2月9日精神腫瘍科O先生外来。レクサプロを1錠にしてみる。O先生は4月からG研A病院へ移られるとのこと。
22日に予約してあった眼科の定期診察は何とか出かける。眼圧40。通常は高くても20以下に抑えておきたいところだから、またもや高眼圧事件勃発だ。眼圧を下げる飲み薬(ダイアモックス錠)を処方され1週間後の再来を指示される。
涙があふれる前に診察室を後にする

この間は吐き気や眩暈(げんうん)などダイアモックスの副作用がつらかった。おまけに風邪が長引いていると思った連れ合いは「インフルエンザ」に感染していた。「大丈夫」と言いながら少しも大丈夫でない連れ合いは、高熱をおしてストーブ用の薪を運び、食事の支度をしてくれた。
私は予防ワクチンを打ってはいたが、「次は私があの高熱を出す番だ」としか思えず、マスクをして薄情にも連れ合いの目が届かないところで、除菌シートでそこここ拭いて回った。翌週の眼科受診結果は「飲み薬の効果はあまり出ていないので、急性の緑内障発作を避けるためのレーザー治療」を勧められた。レーザー処置をするまでは副作用の強い飲み薬を続けなければならないとの見解なので、工房のインフル患者が気がかりだったが、翌日レーザー治療をやることにした。赤いレーザー光線で右目めがけて「ビシッビシッ、ビッビビビビーーー」とやられ、「一夜にして失明」の危機はひとまず免れた。
工房に戻るとタミフルを飲み切ったにもかかわらず咳も熱も収まっていない連れ合いはインフルを見事にこじらせて「気管支炎」になっていた。
「病気の人の気持ちが良くわかるよ」と痛��が激しい連れ合いを横目に、気の毒とは思いながらも、あまりにストレスフルで身の置き場がない、深呼吸ができない大気の違う異星に置かれたような毎日だった。
3月15日精神腫瘍科O先生最後の診察。
「生きていく上での覚悟ができていないというか、死生観が定まっていないので、ちょっとしたストレスにやられてしまうっていうか……」とりとめのない私。
「本を読んだり、自分で学ぶことはたくさん出来るでしょう」
優しい言葉をかけてくださる先生に深く頭を下げ、涙があふれる前に診察室を後にした。
工房のウィルスまみれ期も一段落し、レクサプロの効き目か、あらゆることが不安だという気持ちも少し落ち着いてきたようだ。
5年間お世話になったO先生の最後のアドバイスを最大限生かさなくては、という気持ちも後押しして少し遅い啓蟄がやってくる。
しばし放送大学を友とする
そして何日か後、インターネット上で、シュメール語で書かれたメソポタミアの神話「イナンナの冥界下り」について書かれた本(『イナンナの冥界下り』安田登著、ミシマ社刊)について著者と対談しているO先生と再会した。
<イナンナの冥界下り> 天と地を統治していたイナンナは、ある日、冥界へと心を向け、7つの「メ(神力)」を身に着けて、生きて帰ることはできないといわれる冥界へ向かう。冥界についたイナンナは冥界の女王の命令により、すべての「メ」を剝ぎ取られ、釘に吊り下げられてしまう。その後、イナンナの義父の大神の力でイナンナが蘇ると、イナンナと一緒に弱っていた冥界の女王もまた蘇る。
(ミシマ社webマガジンより)
- 釘より吊るされたる屍骸は与えられ ひとりは生命の植物を、また一人は命の水を注ぐと イナンナは立ち上がった -『イナンナの冥界下り』安田登著、ミシマ社刊より
O先生はこの物語を、がん患者を見守る精神科医の立場から、とくに乳がんの女性は「冥界下り」を経験しているのではないかと読み解いておられる。対談はとても興味深い内容で「再生」に向かう道筋を示してくれるものだった。
暗黒の土壌から頭を出した私はもごもごと動きだした。本書を読むことから始め、対談で語られている「マインドフルネス」について書かれた本などをアマゾンで取り寄せたり、テレビを観れば「キラーストレス」の特集をやっている。
しばし放送大学を友とした。放送大学のテレビ講座は無料で視聴できる、こんな身近に良い教材が転がっていた。「がんと心理臨床」「認知行動療法の技法群」等々。とりわけ「認知」についての解説は、明日自慢したい知識No.1、曰く「素敵な男なんてホントはいない、そこにただの男がいるだけ、それを素敵♪と認知して恋に落ちるかどうかだ」もちろん講座では「素敵な男」ではなく「嫌な出来事」であったが。
「乳がんでなくて良かった」と正直思っていたが
自身が病気をどう認知するかも心に大きな影響があると思う。食道がんステージⅢは悪性度が高い予後の悪いがんである。抗がん薬の効果も確実ではなく手術をしても再発率が高い。再発すると概ね半年程度の余命か?だが、再発は治療後2年くらいの間に集中し、3年以降は減り、5年を過ぎれば一応卒業できる、5年がヤマと私は思っていた。
食道摘出での不自由は山ほどあるが、元々「グルメで食べ歩きが趣味」ではなく、おうちごはんが大好きな無精者の帰宅部だった私には、ストーマのケアが心配な大腸がんより良かったんではないか。アニメのような声と言われながらも、自分の声でしゃべって笑える。声を失ってしまう喉のがんでなくて良かった。そして乳がん。
乳がんは長い、一生闘い続けなければならない全身のがんだ。乳房を剥ぎ取られ、抗がん薬による脱毛をはじめとする様々な副作用、ホルモン療法だけでも5年も続く、10年経っても再発の不安を払拭することはできない。乳がんの患者さんごめんなさい、「私は乳がんでなくて良かった」と正直思っていました。
食道がんステージⅢを乗り切るために、他の部位のがんを引き合いにして私はむしろ運が良かったと思い込もうとしていた。その勝手な思い込みが、乳がんがステージⅠの早期で見つかったという喜ぶべき状況に、深く落ち込んでしまった原因かもしれないと思う。出直し総選挙で当選したのが、こいつだけは勘弁してほしい奴だったみたいだ。選挙でとんでもないババを引いた国もあるけどね。(続く)