「イナンナの冥界下り」 第12回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2017年7月
更新:2020年2月


「早く治療をスタートしましょう」

翌木曜日、最優先してもらったCT検査を終え、精神腫瘍科の面談と診察後、前日の処方箋を院外薬局に出して、まゆゆ先生の診察を待つ。

CT結果を見ながら、「早く治療をスタートしましょう」

先生のちょっと口ごもる様子を見て、「手術後、進んでるということですね」と聞く。

「そうです」

また腹水が溜まり始めているのは実感としてわかっているから。

例によって「がん薬物療法(抗がん剤)説明・同意書」に沿って治療効果、起こりうる副作用や対処法、治療にかかる費用、待ち時間について詳細に説明していただいた。

代表的な副作用は食欲不振・吐き気・白血球、血小板減少・貧血・脱毛。重要な副作用として手足の末梢神経障害があり、治療終了後長時間経過してもしびれが残る患者さんが20%程度いるとのこと。

「先生、これは困ります、私バイオリニストなので」

「それは困りますね」

「バイオリニストは冗談です。病気になってから習い始めました」

「それも大事なことです。神経障害が酷いようなら薬を途中で替える選択もあります」

「それより身体が持つかどうか……」

「それも含めてこちらで見ていきますので」とキッパリ。

月曜日にスタートできるように点滴のスケジュールを入れてくださった。調べておいてくださった免疫チェックポイント阻害薬「アベルマブ」を使った治験については、食道がん・乳がんの既往歴があることから残念ながら被験者には該当しないとのことだった。

そんなことだろうなと思っていた。今の身体ではミスユニバースだって予選落ちに違いない。診察の途中、受付から先生に連絡があり、診察が終わったら院外薬局へ電話するように言われる。

「私が悪い」とまゆゆ。たくさん待ったので既に6時半、薬局が閉まる時刻を回っていた。昨日の今日だ、平穏に戻ったように見えていても、各所でてんてこ舞いなことがいっぱいあったに違いない。

翌日は「すぐに打ってください」と言われていたインフルエンザワクチンを、自宅近くの医院で接種して週末を迎えた。

こんな状態が何週間も続くなんて耐えられない

週明け月曜日は初めての通院点滴治療、1クール目開始だ。

まず血液検査。結果が出るまで1時間ほど待って、まゆゆ先生診察。副作用に対応して高熱が出た時に飲み切る薬、吐き気止め、痛み止めなどを処方してもらい、その後通院治療センターへ行く。

最初に、通院で点滴治療を受けるにあたっての注意事項等の説明を受ける。中央病院の通院治療センターは第1、第2合わせて62床(第1センターはベッドが20、リクライニングチェア16)、1日約120人が「通い」で治療を受けるらしい。

住み込みではこ���半数にしろ受け入れるとなると大ごとだし、長時間の通院点滴治療自体が大ごとだと思っていた私は、その人数の多さに愕然とするのである。まぁそれよりも1日の外来患者が1,000人を超えるというのを聞いたときのほうがもっと驚いたし、驚きついでにそのかつら装着率の高さを想像してみたっけ。

〝ドースンデス〟TC療法は1週目パクリタキセルとカルボプラチンの2剤を、2週目・3週目はパクリ1剤のみを点滴。この3週を1クールとして連続6クール行う。私はこれから毎週、来年2月まで18週間、第1通院治療センターにお世話になる予定だ。この時はそのつもりだった。

受付後、薬剤発注、調剤が仕上がってから点滴スタートの段取りなので、最低でも始まるまでに4~50分、混雑している時は何時間も待つことになるという説明にも納得がいく。納得がいっていると待つことはあまり苦ではなくなる。

それに通院センター受付後は治療前に会計を済ませられるシステムで、待ち時間に処方箋を出したりできるよう配慮されているのも有難い。

自動血圧計で血圧を測り、トイレを済ませ指定されたベッドに横になる。抗がん薬の前に吐き気止めと抗アレルギーのためのステロイド剤の点滴があり、これだけで30分。

その後カルボとパクリをそれぞれ約1時間かけて点滴。生理食塩水で薬を流すのに10分、合計およそ3時間弱で終了となる。

初回だし看護師さんの話をしっかり聞き、粗相のないようにしなくては、と心する。アレルギーの薬は眠くなること、パクリにはアルコールが缶ビールにして500ml相当分入っているので、お酒に弱い人は酔ったような状態になることなどを説明される。

幸い点滴の針もすんなり入り、トラブルなく進んだ。2時間ほどたった頃、尿意に襲われベッドから降りて点滴台を押してトイレに向かう。

排尿障害があると注意されていたことや自分でも心配な症状もあり、予め用意をしておいたので事なきを得たが、あわや幼稚園以来のお漏らし事件勃発の大惨事になるところだった。自分ではたくさん水を飲んだつもりはなくても、気づいた時には点滴の補水で膀胱パンパン、つくづく点滴の威力を思い知る。

終了後少しおやつを食べて休んだが、薬酔いと急な糖分補給が災いしてか身体がどうにもしんどく、タクシーで帰宅する。車を降りた直後、急に腹部に刺し込みがあり、家まで大急ぎ、トイレに駆け込む。

今日は間一髪がテンコ盛りだ。下痢は一過性のもので、初日の夕食は予定していたものをクリアできた。

翌日、犬猫連れ合いの待つ工房に戻り、おそらくは抗がん薬の効果と思いたい症状と副作用に苦しむことになる。全身のだるさ、身の置き所がないほどの腰痛、がんをやっつけているに違いない腹痛、そして吐き気・食欲不振はお約束の通りだ。

もともと怠惰な性分で理由があればこれ幸いと横になりたい位なので、日がなベッドに横になっている始末。吐き気は食道がんの時の(FP-rad療法)下腹部から波打つような嘔吐はないものの、食道がない今は高栄養の経口液やゼリーを、隙を狙って一気に流し込むという芸当が難しいので、素麺を死なないおまじない程度口に運んだ。

下痢の後は便通も滞り、こんな状態が何週も続くなんて耐えられない! 5日目までは、まゆゆに何をどう話して治療を逃れようかと、現実的ではないことを頭の中でぐるぐると画策していた。

飼い犬ラブラドールの「にいな」

すでに全面戦争は始まっている

翌水曜日が第2回の点滴。8日の間隔が空き、2週目は1剤ということもあってなんとか気持ちも持ち直していた。この間の状況を説明し、逆流を抑える胃薬と痛み止めを追加処方してもらった。

「挫けるかと思いました」と正直に言った。

「挫けなくて良かったです」とさり気なくまゆゆ。

本当に挫けてしまいそうだった私は、本当に挫けなくて良かったと思ってくれている先生の気持ちがヒシヒシと伝わって、妄想でも敵前逃亡を図ろうとした自分を恥じる。

こうなったらがんが死ぬか私が死ぬか、すでに全面戦争は始まっている。

通院治療センターでは担当の看護師さんによる副作用症状の詳細な聞き取りのほかに薬剤師さんも来てくださり、吐き気止めの増量など症状に合わせた薬の飲み方をアドバイスしてくださった。

2回目の点滴は針を刺すのに若干手間取り、恐縮する看護師さんには「今の時間帯は刺し放題タイムですから」などと言ってみる。

「1剤の時のほうが副作用は楽でしょうか?」との質問に「そうおっしゃる方もいらっしゃいますね」

気休めでもいいので今週は少し楽になりますように。幸か不幸か、先週の経験を生かして用意した大容量の尿漏れパットの出番はなく、自宅には何時使うんだろうと心配になるほどのパット在庫の山。

『貧乏をしてもこの家(や)に風情あり、質の流れに借金の山』という狂歌がよく落語に出てくるが、尿漏れパットの山も一興とするか。

1剤の週は副作用が軽い、そう頭っから思い込むことにした訳でもないが、腹痛も腰痛も次第に収まり、点滴翌日から始まる吐き気は3日ほどで一段落した感じで、確かにに先週よりは諸々楽である。

食欲はないし食べたくないには違いないが、「もう、それは良く分かっているから一旦こっちへ置いときましょう」的なだまし作戦で、とにかく食せるものを食す。で、結局素麺を進歩の跡が見られるほどの量まで頑張る。

甘いものでも塩辛くても、栄養のバランスなんか考えている場合ではない。今食べられそうなもの、思いついたものを食べると決めた。これ以上体力が落ちては点滴に通うことすら難しくなる。そうだ、どんな時でも検査で渡されたバリウムや腸の洗浄液なら飲めるんだから、「ごくり」と行っちまえ。

下腹部の膨れが少し小さくなった3週目の水曜日。この調子で順調に続けられそうな気分だったが、白血球、赤血球、ヘモグロビン値は下限値よりかなり低くなってしまっていた。それよりも血小板の値が1剤すら許してもらえないレベルだったので、「今週はスキップします」と宣告される。

「そっ、そうなんですか」

迂闊にもこれは想定外だった。自分さえ踏ん張ればスイスイ治療は進むと思っていた。カレンダーに今年いっぱい書い込んでしまった点滴予定を書き直さなきゃ。

「じゃあ今日はスキップして帰りますっ」

「転んで怪我すると出血止まり難いから気を付けてね」と要所は締めるまゆゆ。

帰宅して、心配してくれている義姉に「骨髄抑制の副作用が出てしまって」などと一端の病人ぶって報告しているさなか、頭皮にほんの少しピリッとした違和感が……そう、この道はいつか来た道。(続く)

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