「イナンナの冥界下り」 最終回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2017年10月
更新:2020年2月


「Rさんが亡くなった」

婦人科受診のため東京の自宅に前泊した7月10日夜9時、工房の連れ合いから電話が入る。この時間帯は1日最後のエナジーチャージのため、ご機嫌で電話口に出ることは難しい。そんなことは百も承知の筈だ。

断っておくが私は毒舌だが恐妻ではないので、口ごもる夫を怒鳴りつけたりはしない。

新宿で開催された「椅子塾展」に出品した椅子に座る主夫兼製作者の遠山芳男さん

「Rさんが亡くなった」

Rさんはこの地で知り合った工房近くに住む夫の木工仲間で、私たち夫婦が今、曲がりなりにも好きな木工をやって暮らして居られるのはRさん夫妻のおかげだ。

彼は20年ほど前から腎臓がんを患い、肺、肝臓に転移してもラジオ波焼灼治療、オプジーボ投薬と出たら叩くモグラ叩き方式で乗り越えて、ずっと仕事も精力的に続けてこられた。私にとっても心強い先輩であるRさんが千葉県がんセンターに入院したのは10日前の金曜日午後、奥さんからのメールで知った。

「なにそれ、おかしいよ、金曜午後なんて緊急入院ってことでしょ」

土曜日急ぎ病院に会いに行く。自作の杖をついてはいたが、ロビーまで歩いて来られ話もできた。6月に入って骨に転移していることがわかり、放射線治療に期待をかけていた。奥さんの話などから決して楽観できる状態でないのはわかったが、みんなまた回復して家に戻って来られると思いたかったし、Rさんも再び工房に立って、ご子息宅の新築祝いのテーブルを完成させるつもりでいた。でも、現実は「残酷な神が支配する(萩尾望都)」。

イナンナの物語は 乳がん患者の辿る苦難にも似る

翌7月11日はS先生最後の診察。先生は患者さんに異動先病院の案内を用意されていて、受診の手順も説明して下さった。私は既に偵察済みであることを告げ「会いたくなったらすぐ会いに行きます」と、暫くはここに留まる方針をお話しし、中央病院での次回CT、血液検査の予約を手配していただいた。

メモしておいた質問事項を1つ1つ確認し、いよいよ最後の項目に。

「先生、ツーショット写真」

「いやだなぁ、ダイエットしとけば良かった、今、人生で一番太っちゃってて」

そうおっしゃりながらも、「目をつぶっちゃったから撮り直し」と看護師さんにお手間をとらせてTake2でOKがでた。

「ありがとうございました、絶対またお会いします」と診察室を出る。

私はがんになって、なんだか強くなったなぁと思う。傍で見ている私がそう思うんだから間違いない。

S先生最後の診察日に遠山さんとのツーショット

闘病記の題名にもした安田登著『イナンナの冥界下り』を手に

私が乳がんで落ち込んでいた時に出会った「イナンナの冥界下り」はシュメール語で書かれた古代の神話だが、その物語は乳がん患者の辿る苦難にも似る。イナンナが冥界に携えた7つのメ(神力)を総て剥ぎ取られるさまは、手術で胸を切り取られ、髪の毛を失い時には生理も止まってしまう乳がん患者の経験と重なり、「そういう冥界下りを、知らず知らずのうちにしてしまうという風に見ることもできるのかな」とO先生(精神腫瘍科医)は読み解いている。

この神話の本を著した安田登氏によると、「文字の発生当時『心』という文字はなく、悲、悩、恨、などの感情を表す漢字もなかった。やがて心を獲得して未来を可視化するようになり、同時に将来への『不安』、過去に対する『後悔』も獲得することになった」と言う。

「イナンナのような文字の発生時期に近い神話や物語には心が生まれる以前の神々や人々が描かれており、同時に『不安』や『後悔』を持ち始めた人の姿も描かれている」とも。イナンナは冥界で「死のまなざし」を手に入れ、やがて蘇る。この神話世界に暫し身を委ねて、時に煩わしい自分の心から解き放たれてみてはどうだろう。

イナンナの時代から5,000年、宇宙の誕生から138億年の今、時空を超えて漂うのもロマンティックだ。人は死んだら「煙か土か喰い物」になるしかない、でも誰かの思い出になることはできる(舞城王太郎)。

がん細胞をテロ準備罪の厳重監視対象に

この日はもう1つの記念すべき日だ。テロ等準備罪いわゆる共謀罪が施行された。これはがん患者にとって朗報となりうるのか。この際だから言わせてもらう。腹膜播種(ふくまくはしゅ)は自爆テロだ。お腹の廻りにダイナマイトを巻きつけた狂信的ながん細胞が腹部内で自爆する。転移も再発も密かに潜伏したテロリストたちが動き出すからなのだ。

ABちゃん(誰?)にはぜひ強権を発動し、がん細胞をテロ等準備罪の厳重監視対象に指定していただきたい。

決して善良な一般人ではないがん細胞たちが、良からぬことを考えたり、相談しただけの早い段階で逮捕・拘束により一網打尽にし、お友達のみならず、全国民の安全・安心な生活を守ってほしい、なんてね。

次の日は月例の落語会、思えば「粗忽長屋」を久しく聞いていない。

そそっかしいのとぼんやりと2人の粗忽者が登場する滑稽話。広小路の人だかりの真ん中、行き倒れを「こいつは長屋の熊五郎だ」と思いこんだ八五郎。長屋に戻って、「起きたばかりで死んだ心地はしない」と言う熊五郎を説き伏せて、2人で死骸を引き取りに行く。行き倒れの自分を抱き上げ「これが俺かぁ、あさましい姿になって」と嘆く熊五郎、だが「なんだかわからなくなっちまった。抱かれているのは確かに俺だが、抱いてる俺はいってえ誰なんだろう」

さて、「キタルキワ(龍の歯医者)」に臨んだ時、看取られているのは確かに私だが、それを書き記している私はいってえ誰なんだろう。粗忽闘病記「イナンナの冥界下り」のお粗末。

 

<追記>

9月、お土産持参で編集部を訪ねて来てくれた遠山さん。15回の連載ありがとうございました!

改めてがんに罹患して思うことは、

「逢ひ見ての後の心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり」

逢い見たのが心ときめく君ではなくてがんだったのは、
なんだかなぁとは思いますが。

 

 

 

 

 

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