「凛として生きる」 第2回
歯を食いしばって頑張るしかない
4月12日(月)
K病院入院。112病棟3号室。病室の人に挨拶し、パジャマに着替え病室で待機。夕刻カンファレンスルームに呼ばれ、先生から治療方針の説明を受ける。
「化学療法と放射線治療が適用になります。抗がん薬は、昨年*ジェムザールを使用しているので、*タキソテールと*パラプラチンの使用を予定しています。
放射線治療は転移した部位を含め縦隔に照射します。週5回、6週間、計30回行います。
抗がん薬の副作用は、骨髄障害(白血球減少)、脱毛、下痢あるいは便秘などで、放射線の副作用は、放射線性食道炎、放射線性肺炎、まれにおきる放射線性神経障害等です」
丁寧な説明を受けたが使用薬剤、放射線の回数などについては、「どうですか」と聞かれても患者として選択の余地はない。というより、選択するために必要な知識を持ち合わせていない。唯一、化学療法を先にやり、放射線治療をその後に行うか、両方を同時に行うかを聞かれたとき、迷わず同時に行うほうを選択した。そのほうが副作用は強く出るかもしれないが、確実に効果は上がるということを情報として持っていたからである。それでも病巣をコントロール出来る確率は70から75%であるという。
本当は、「副作用が強くても、必ず良くなる、100%効きます」と言って欲しいのだが、それが無い物ねだりであることはこの1年の肺がんについての学習で知っていた。
明後日、14日に1回目の抗がん薬の投与を受けることとなった。
4月29日(木)
1回目の抗がん薬の点滴を受けた後、1週間すると白血球の値が落ちてしまったので、白血球を増やすための皮下注射を受けた。
今日になって、白血球が増えたので、一時退院してもよいと言われる。5月6日の再入院を予約して、自宅へ戻る。家に帰ればやはりホッとする。
ところが、夜、風呂で頭を洗うと、両手に髪の毛がべったりと付いてきた。脱毛が始まったのだと気がついた。
5月1日(土)
昨日、普段から行っている床屋で一分刈りにするよう頼んだ。店主は最初「本当にいいですか」と訝(いぶか)っていたが、肺がんが再発し抗がん薬の治療を受けているため、副作用で髪が抜け始めたことを説明した。店主は何となく申し訳なさそうな顔をしながらバリカンで一分刈りにしてくれた。
今朝起きたとき背中がチクチクするので、シャツを脱いで見ると短い毛が沢山付いている。昨日髪を短くしたことを後悔した。しばらくは、首にタオルを巻いて生活することにする。
5月12日(水)
2回目の抗がん薬点滴。放射線治療も始まる。これから毎週月曜日から金曜日まで、1日1回2Gy(グレイ)ずつ30回照射とのこと。終了するのは、6月22日である。
5月15日(土)
食欲が落ちる。米の飯が不味くてしょうがない。甘ったるく感じてしまうのである。味覚が完全におかしくなっている。抗がん薬の副作用らしい。体力を維持しなければと思い、必死になって食べる。
5月20日(木)
抗がん薬の点滴を受けた右手二の腕の血管が赤くなっている。しかも、結構広い範囲の血管が赤くなっている。先生に診てもらうと血管炎を起こしているとのことである。よくあることらしい。いずれ治るらしいが、色々な副作用があるものだと妙に感心する。
5月23日(日)
1昨日から白血球が下がり、3日連続で肩に注射を打たれる。
昼間は余り感じなかったが、夜になって、腰が痛くなってきた。11時を回るころから酷くなる。腰を上から強い力で押さえつけられている感じである。ナースコールを押して看護師を呼んで状況を話す。
「注射の副作用だと思います。痛みの少ない姿勢を取って、足を温かくすると楽になりますよ」と対処方法を教えてもらった。
身体を丸め、左側を下にして横になると確かに痛みが軽くなった。足に寝具を掛けてそのままの姿勢で朝まで過ごす。明け方からは少しうとうとできた。
抗がん薬の副作用を抑えるための注射で、今度はその副作用に苦しんでいる。こんなふざけた話があるかと腹が立つが、この苛立ちをぶつけるところがない。歯を食いしばって頑張るしかない。
5月29日(土)
昼食の時、飲み込むときに違和感を感じるようになった。同じ病室の人に話すと彼も10回目位からそういう症状が出ているそうである。放射線による食道炎で、酷くなれば飲み薬がでるということで、実際にその薬を見せてもらった。緑色の液体でとても飲む気になれない。
夕食からは必死になって噛んだ。10回とか20回とか回数ではなく、口の中で食べたものがドロドロになるまで噛んだ。少し違和感が軽くなったように感じた。(続く)
*ジェムザール=一般名ゲムシタビン *タキソテール=一般名ドセタキセル *パラプラチン=一般名カルボプラチン