「凛として生きる」 最終回
猛烈に水が飲みたかった
〇12月15日(木)
手術室の看護師とICUの看護師がベッドのところへ来て、ICUでの注意事項等について説明をしてくれた。さらに夕方近く、麻酔科の医師が来室し、麻酔の説明を受けた。
病院の説明が8年前より数段丁寧になっていることを感じた。安心して、手術を受けよう。肩の力を抜いて、平常心で手術と向き合おう。術後の最もつらい時期も淡々と過ごしたいと思った。
〇12月18日(日)
手術後、3日目。朝の体重測定から自分で歩いて行けた。10時から午後3時まで停電だったので、休み休みだったが、歩行練習をする。
16日、手術当日は、前の晩睡眠薬を処方してもらったので、5時40分に目が覚めるまで熟睡できた。7時半には手術着に着替え、8時に肩に基礎麻酔の注射を打たれ、ストレッチャーで手術室へ移動。名前と生年月日を聞かれて答えた後は全く記憶がない。
17日の朝、ICUで目が覚めた。猛烈に水が飲みたかったが、回診までは、我慢するようにとのこと。9時過ぎに回診があり胸膜への浸潤はなかったこと、目に見える範囲では完全に切除できたこと等の説明を受けた。
そして水を飲んでもいいということになった。早速、吸い飲みでひと口飲む。
これまでに飲んだ水の中で一番うまい水だと思った。一般病棟に戻る許可もおりて、10時には112病棟の8号室に移動した。
昼食から常食が出る。午後は看護師の指導のもと、歩行訓練。病棟の廊下を1周する。硬膜外麻酔が効いているのか、痛みは殆ど感じない。有難い。
〇12月19日(月)
背中の硬膜外麻酔の管、左胸のドレーンも抜け、身体に入っていた管が全て取れる。順調な回復を実感する。シャワーを浴びてもよいと言われたが、何となく怖くて今日は自重する。
〇12月24日(土)
今日退院である。10時過ぎ、家内が迎えに来てくれる。荷物は昨日の内にまとめておいたので、午前中に退院。帰りに谷中にある両親の墓に寄って墓参りをする。11月からの再発騒ぎを報告する。池袋で昼食を摂り、午後3時ごろ家に着く。10日間の入院であった。
〇12月27日(火)
退院した翌日から左足の太腿が痛む。結構強い痛みである。昨日も相当強かった。
今日は、左足太腿の痛みがさらに強くなっている。K病院に電話し、先生に受診すべきかどうか指示を仰ぐ。手術とは関係ないので、近くの整形外科を受診するようにと指示を受ける。
おそるおそる車を運転して、地元の整形外科を受診する。レントゲン検査の結果骨には異常なく、坐骨神経痛と診断される。肺がんの手術後で痛み止めを服用していることを告げると、肩に貼る痛み止めを処方される。
家に帰り肩に痛み止めを貼る。夕方には痛みが軽くなる。例年より遅くなったが、年賀状を書き始めた。
標準治療の抗がん薬UFTを服用

〇2012年1月24日(火)
K病院受診。病理検査の結果を聞く。
「左肺尖部の今回のがんは、右肺上葉からの転移ではなく、原発でした。リンパ節への転移はありませんでした」と言う先生の説明に思わず顔がほころぶ。
「ただ今回のがんの大きさが、2.2cmと2cmを超えているので、2年間、経口抗がん薬*UFTを服用するのが標準治療ですが、どうしますか」と聞かれた。
次回の診察のときに返事をすることになった。
〇2月7日(火)
抗がん薬と聞くとどうしても避けたい気持ちが働くが、やるべきことをキチンとやろうという思いから、UFTを服用することにする。
K病院受診。UFT、4週間分を処方される。夕食後から服用を開始する。
〇7月1日(日)
人材育成センターを退職して3カ月になる。居合の稽古で出かける以外は家にいることが多くなった。UFTの副作用で腹の調子がおかしいのが最大の原因である。
今日も朝から腹の調子がおかしい。ひっきりなしに手洗いに行っている。夕方までに10回を超えた。抗がん薬の副作用と割り切って、普通に食事をし、普通に生活した。
○2014年1月28日(火)
途中、白血球が基準値を下回り2回の休薬期間があったが、今日で約2年間にわたるUFTの服用が終了した。
これからは経過観察を受けることになる。
私が体験した肺がんとその治療の経過は以上です。
左肺手術後、UFTの服用が終わってからは平穏な日々を送ることが出来ています。一昨年には古希を迎えることが出来ました。また2人の孫にも恵まれました。この平凡なことがどれだけ尊いことそして有難いことかを、肺がんと向き合うことを通じて深く理解できるようになった気がしています。
肺がんになって5年近く経ったとき、「肺がんが再発するとしないとに拘わらず、自分の人生を生き切る」と覚悟を決めてから10年の歳月が過ぎようとしています。この間、決して毎日を凛(りん)として生きてきたわけではありません。
「あの時、がんにならなければ、……」
「あの時、再発さえしていなければ、……」
と言う思いがふと湧くことがあります。やはり、気分が落ち込みます。
また、再発への不安が完全に消えたわけでもありません。漠とした不安が頭をよぎることがあります。
しかし、こうした妄想の類が生じたときに、それをサラリと受け流すことが確実に出来るようになりました。
「あの時、がんにならなければ、……」
などと考え始めたときは、「あの時ああだったら」「あの時こうしていれば」と言う「たら・れば」は考えても全く意味がないと割り切ります。
昔学んだ「帰去来の辞」から「已往の諌められざるを悟り、来者の追うべきを知る」と言う一節を呟(つぶや)きます。
再発の不安については、再発と確定診断が出てから考えればよい、と自分に言い聞かせます。確定診断が出る前にあれこれ悩み、時間と労力を浪費することの無意味さは身をもって学んできました。
2011年に左肺にがんが見つかったときには、一時落ち込みましたがすぐに立ち直り、確定診断が出るまでを冷静に過ごせたように思います。
最近は、少し凛として生きることが出来るようになったのかも知れません。これからも生きている限り「凛として生きる」ことを目指し、日常を、たった今をしっかりと生きていきたいと思っています。
肺がんになってから、松原泰道著『禅語百選』(祥伝社)を繰り返し読んでいました。その中で「両忘」(生死を忘れる)という言葉に最も感銘を受けました。最後にその箇所を引用させていただきます。
「生きるとは精一杯生き、死ななければならぬときには大いなるものに任せ切るのを、生死を忘れると申します。生きるときは、生と死を対比せず、生きるともいわず、生きるとも思わず……(略)……ただ生一色です。精一杯生きるのです。生にすべてを任せきるのです」
*UFT=一般名テガフール・ウラシル