知ってほしい「膵神経内分泌腫瘍」のこと 希少がんに生かされて 第1回
口から食事を摂ることの大切さ
だが何が幸いするかわからない。結果的に鎮痛薬を使わなかったことが、術後の回復を早めたのかも知れない。年齢も33歳、若くて良かったと思えるような順調な回復。食事も始まり退院の話も出てきた。
膵臓は食べ物が通る臓器ではないので、食事を摂ることが出来るようになるのが早く、それまでの点滴での栄養とは全く違って口から食べ物をいただくということが理屈抜きに実感できた。
術後、水分の次の段階で重湯を口に入れゴクンと飲み込むと、体がじわ~と温まってくるのだ。点滴だけだったときの手足の冷えや顔色の悪さが、食事が始まると同時に解消され、一食を食べ終わる頃には汗も出て頬がピンク色になってきた。
口から食事を摂ることがこんなにも大切なことなのか、と改めて気づかされたのです。
その頃にはあの氷水のおばあさんも徐々に動ける範囲が広がり、伝い歩きが出来るようになっていて自分で氷と水をもらって来られるようになっていた。
まだ食事の許可は出ていないので鼻の管は入ったままだけど、飴を少しだけなら食べていいとの許可が出たと嬉しそうに話してくれた。甘いものを口に入れられるようになっただけでもとても元気が出た様子で、私もとても嬉しかった。
当時は「膵臓の腫瘍」というアバウトな病名
私の入院期間は血尿が出てから3カ月、約2カ月は検査で1カ月が手術とその後の回復期間。術後は順調で退院できることになった。
主人が迎えに来てくれて同室の患者の皆さんに挨拶していると、まだ食事禁止で氷水と飴のおばあさんが点滴台を押しながら1階の正面玄関まで私を見送りたいと言い出した。
それを聞いていた看護師さんが「そうね、私が一緒に行ってあげるわ」と言ってくれて、思いがけず何人もの人が正面玄関まで出て来てくださった。
車に乗り込みながら、皆さんに向かって「ありがとうございます」と涙声で挨拶しての退院になりました。
退院にあたって主治医から「突然の入院で家族を巻き込み長く不便をかけてしまったと思っているので、退院したらいろいろと家事をやりたくなるだろうが、ゆっくり少しずつやるように」と主人の前で何度もくぎを刺されたのでした。
また今回摘出した腫瘍は細胞検査で低濃度の悪性腫瘍だとはわかったのですが、当時は正式な病名がなく「膵臓の腫瘍」というアバウトな病名でした。
当時、時代劇の役者さんが膵がんで亡くなられたニュースをTVで見ましたが、私の腫瘍は膵がんとも性質が異なるようで、「5年間に何回か検査をして再発しなければ完治したと考えていいが、再発があったら早めに摘出することが大事だ」と主治医に言われての退院でした。
「もう大丈夫と安心出来る状態ではないんだ」と思ったことはずっと頭から離れなくなりました。事実、私はこのあと肝臓にいくつもの再発が見られ、手術を3回、ラジオ波焼灼(しょうしゃく)術を1回受け再発腫瘍を摘出しています。
あのスティーブ・ジョブズも同じ病気
これがこの「膵内分泌腫瘍」の特徴的な症状でもあり、その治療法は「見つけたらすぐ摘出する、ネズミ捕り方式」だと教わり、何回もネズミ捕りを繰り返して今に至っています。
「1回のネズミ捕りに3個の腫瘍が同時���引っかかったのはとても効率のいい作戦だった」とタイミングの良さに惚れ惚れしてしまうのですが、私のように摘出できる腫瘍ばかりであることは本当にラッキーなことのようで、同じ病気の患者さんの中には腫瘍摘出不可という診断で、まだ日本では確立されていない治療を外国へ受けに行く患者さんも多くおられるし、自覚症状が全くないまま腫瘍が多数になってしまい治療が難しいという患者さんもおられます。
あまり知られていないこの病気ですが、アメリカのアップル社創設のスティーブ・ジョブズさんが2011年に亡くなられたのもこの病気が原因です。ジョブズさんこの病気について公表していませんでした。治療法が確立されていないことで、この病名を公表することが事業に悪影響を及ぼす恐れがあると考えられたのかも知れません。
ジョブズさんが亡くなられた後で、病名についての論争が起こりました。
日本ではジョブズさんの訃報には「膵がんで亡くなられた」と記されていましたが、アメリカでは*膵神経内分泌腫瘍(P-NET)であったとして、日本国内でも訂正を求める声が上がったようです。
この希少がんの存在を多くの人に知ってほしい
私はこのような希少がんの存在を少しでも多くの人に知ってほしいと思います。こういう病気があるということを知った上で、何か不調があったときに検査を受ける際、このような希少がんも疑う目を持つことが大切だと考えるからです。
医療関係者の方の中にもまだこの希少がんをご存じない方が多いようです。それでも医療機器などがどんどん進歩して、昔はわからなかった病気を見つけることが出来るようになってきています。
1996年、私が手術を受けた当時はこの「膵神経内分泌腫瘍」という病名もありませんでした。膵臓に腫瘍があれば膵がんだと思い込んでしまうのは良いことではありません。
私の親戚は私が入院したとき、大急ぎで見舞いに来てくれました。かなり悪い病気だと思い込んでいたようです。それも当然だと思います。腫瘍というとがんだと考えてもおかしくはないので、私の両親もそのように思って親戚に連絡したのだろうと思います。(続く)
*膵神経内分泌腫瘍(Pancreatic neuroendocrine tumor)=神経内分泌腫瘍(Neuroendocrine tumor:NET)は、ホルモンなどをつくる機能をもった神経内分泌細胞からできる腫瘍と考えられている。NETは膵臓をはじめ、消化管、肺などいろいろな臓器にできる。とくに膵臓にできるNETを、P-NETと呼ぶ。NETの発生部位は消化管では直腸が最も多く、膵臓、胃がそれに続く