知ってほしい「膵神経内分泌腫瘍」のこと 希少がんに生かされて 第2回
また何か悪いことが始まったのか
演劇ワークショップが「うつ」から離れる良いステップとなり、仕事もフルタイムで働き、病気のことも忘れるくらい元気で活発な日々を過ごしていました。
そんなある日、車での通勤途中にトラックに追突されむち打ち状態になったのです。
レントゲン(X線)を撮影するために訪れた病院で、まさかの言葉を医師から聞くことになるとは思ってもみませんでした。
首のレントゲンには、甲状腺に鶏卵ぐらいの大きさの影が写っていました。
整形外科の先生がレントゲン写真を見ながら、「これはうちの病院では対処できない。どこか通院している病院はありますか」と私に尋ねるのです。
私が「膵臓の手術をした病院があります」と応えると、即座に紹介状とレントゲン写真を入れた大きなバッグを用意してくださり、「むち打ちのことより、こちらの治療を優先したほうがいいと思います。早めに主治医の先生に相談してください」と仰いました。
その病院の廊下で私はひとり泣いて、何かまた悪いことが始まったと体の震えが止まらなくなっていました。
甲状腺の手術で声が出せなくなった
翌日、主治医に相談すると、甲状腺に腫瘍が出来ているので耳鼻咽喉科で手術を受けることになりました。
何の疑いも持たずに手術を受けたのが良くなかったのでしょうか。今度の執刀医は膵臓のときの執刀医とは違う耳鼻咽喉科の先生で、手術自体はうまくいったと聞いたのですが、私の声が出せなくなっていました。
甲状腺に出来た腫瘍は、大きくて放置しておくことが出来なかったので手術をしたのです。術前の説明では声が出にくくなるかもしれないとは聞きましたが、出なくなるなんて考えてもいませんでした。
声帯の動きに関わる反回神経が麻痺していて、右側の声帯を動かせなくなってしまったのです。喉(のど)の奥の右側の声帯が開いたままで、発声するのに支障があるのです。また、物を飲み込むことにも問題があり、一番大変だったのが水を飲み込むときにむせてしまうことでした。
水はスーっと飲める一番抵抗のない液体で、それが喉を閉めることが出来ない私には空気も一緒に飲み込んでしまうので、咳(せき)が出て大変苦しい思いをしました。これら一連の動きは、無意識に体がすることで、自分の意思でどうにかなるものではないのです。少量ずつゆっくり飲み込む練習をして、徐々に慣らしていくしかありませんでした。
声の出せない私を救ってくれたのはパソコンだった
摘出した甲状腺の腫瘍は、幸いなことに良性なものでした。ただ大きさが咽頭部に接触していて邪魔になっていたため手術で摘出したことは良い判断だったと思われます。声帯の麻痺さえ起きなければ100点満点だったのに、反回神経の麻痺は非常に残念です。飲み込むときのむせるような感じは、毎日気をつけて飲み込む練習をしているうちに徐々に慣れていきました。
けれども発声のほうは入院している間には元に戻らず機械の空気音のような音が出る程度で、人との会話は筆談でする状態で退院することになりました。そんな状態なので、仕事からも演劇からもしばらく離れることになり、また以前のような引きこもり生活に逆戻りしてしまいそうな危機感を覚え��した。
そんな状態の私を救ってくれたのはパソコンでした。声が出ず、人との会話が出来ず困った状態を忘れさせてくれたのがパソコンでの人との交流だったのです。
私の病気に関してのブログも書きました。それについてコメントを貰うと、その返事も書きました。同じような病気の人と友だちになりたいと思いコミュニティを探して仲間を作ったり、ゲームをやったりしながらチャットでお話したりしていました。
本当にこのときにはパソコンが使えてよかったと思います。
この当時は私と同じ病気の人と出会うことはありませんでしたが、独りきりの世界に閉じこもってしまいがちだったのに、パソコンを使えば多くの人たちとおしゃべりが出来て悩みを打ち明け合ったり、人の相談に乗ってあげたりしていました。おかげで気持ちが沈み込みがちだったのも軽くて済みました。

肝臓に新たな腫瘍が
甲状腺の腫瘍の摘出手術後、声が出ない状態では仕事は出来ないと思い退職しました。演劇もダメかなと思ったのですが、「声が出なくても動けるから表現することは出来るよ」と励まされ、また演劇のレッスンを再開しました。
声が出なくなったことで人と関わり合うことが何もなくなっていたら、きっと以前と同じようなうつ状態になっていたかも知れません。
しかし、演劇のレッスンに戻れたことやパソコンでつながっている仲間の存在などに助けられ、生きる気力も次第に湧いてきました。
声帯の麻痺は右側が動かなくても左側がその分補おうとするので、発声練習を続けることで少しずつ声が出るようになってきました。
カスレの酷い空気音だったものが、小さい声だけど何とか聞き取れる声量になってきてホッとしました。
以前の私の声を知っている人からすれば、全く違う声になった私がとても不思議に思えたようです。アニメのちびまる子ちゃんのような声で、私が話しかけると耳を澄まして聞いてくれるようになってきました。
家族も私の声が以前より可愛くなったのを喜んでいるので、「これでよかったのだ」と思えるようになりました。
声の件では「手術に問題があったのではないか」と一時期、身内の者が病院に苦情を申し立てようかという話も出ていたのですが、一応会話出来るまでに声が出せるようになってきてひと安心です。
私は大きな声が出せないので不自由なところもあるにはあるものの、少しずつ明るい気持ちになって一歩踏み出せそうな気持になれました。
ただ残念なことといえば、実家の父は耳が遠くて声の小さい私との会話を次第に億劫がるようになっていきました。大きな声を出せない私と耳が遠い父とはゆっくり話すことが減り、今となっては亡き父ともっと話をしたかったと後悔の気持ちで今も心が揺れています。
膵臓の腫瘍摘出手術から5年。2001年、肝臓に新たな腫瘍が見つかりました。(続く)
*膵神経内分泌腫瘍(Pancreatic neuroendocrine tumor)=神経内分泌腫瘍(Neuroendocrine tumor:NET)は、ホルモンなどをつくる機能をもった神経内分泌細胞からできる腫瘍と考えられている。NETは膵臓をはじめ、消化管、肺などいろいろな臓器にできる。とくに膵臓にできるNETを、P-NETと呼ぶ。NETの発生部位は消化管では直腸が最も多く、膵臓、胃がそれに続く