君を夏の日にたとえようか 第3回

編集●「がんサポート」編集部
発行:2020年3月
更新:2020年3月


副作用のつらさを理解できているのだろうか

1クール目の総括を恭子が書き残している。

「点滴後3日間は飲んでも食べてもすぐにもどしてしまい、吐き気が強い。薬は一度もどしたあと、落ち着いたときに飲む! 5日目くらいから少し固形物が食べられるようになる。5日目、6日目から酷くだるくて腕が上がりにくく倦怠感が強い。7日目に排便があり、少し楽になる」(恭子の闘病記録)

吐き気が治まってくるとフルーツゼリーやお粥、果物(りんご)などが食べやすそうだった。

1クール目のFEC療法の点滴の1週間後、病院で血液検査を受けた。恭子の白血球は1,000になっていた。「もっと下がりますよ」と山崎先生の代診の女医は、薄ら笑いを浮かべながら言ったという。骨髄抑制のボトム(底)は2週間後だから、当然のことだ。風邪などの感染症を警戒しないといけない。生ものはダメ。恭子は当分の間、刺身や握り寿司はおあずけだ。

女医は「点滴をしてもらえる環境にあるのであれば、それでいい」とも言ったという。「食べられるものだけを、食べられるだけ、回数を分けて食べて、水分は摂るように」と、医者も看護師も繰り返した。3日間飲まず食わずだと患者が訴えても、言葉では理解できても、まさか、本当に薬を飲む水を口にするのがやっとなのだ、という実態を医療側の人たちは理解しているのだろうか? 自分の身内がそうだったら、すぐ、入院させるのではないだろうか? 外来抗がん薬治療の恐ろしさや苦悩を、医療側は細やかには理解できていないように感じる。もっとも、恭子は入院なんかしたくないと言っていた。入院したって、トイレは遠くなるし、遠慮して苦しくても我慢してしまうに違いないから、家にいるほうが楽だというのだ。それも実感かも知れない。

この国の医療の質は本当に高いのか?

私は、少しずつ知恵を捻り出した。なんでもっと勉強して最初から恭子を苦しませないようにできなかったのか。留置針に血液逆流防止の弁の付いたものがあって、1人でも柔らかいプラスチック製の針を留置できることを、カタログで見つけたのだ。朝、血管に留置しておけば、抜針することなく夜の点滴までゆっくり繋いでおくことができる。恭子は、1日に1回だけ痛い思いをするだけで済むのだ。針を刺す皮膚を、局所麻酔薬のゼリーで表面麻酔しておけば、針を刺すのがずいぶん楽になることも思い出した。留置針が抜けないようにカテーテル被覆・保護シートも準備した。輸液も、高嶋先生の意見も伺って、ビタミンB₁・糖・電解質・アミノ酸液1,000㏄と3号維持液500㏄とすることに決めた。

看護師も医者も、自分の家族が、薬を服用するための水さえ必死の思いで飲み込んで、例えば、1日にゼリーをスプーンに2口とお猪口に数杯の水分しか摂れないとしたら、それでも仕方ないから、我慢しなさい、なんとか凌ぎなさいというんだろうか?

そんな状態で3、4日を過ごして、外来通院で抗がん薬の治療をするのが、当たり前の医療なのだろうか? 私は運よく、点滴で恭子に水分を補給してあげることができたけれど、何もできないで、本当に数日を飲まず食わずで過ごし、我慢している患者さんたちも多いに違いない。そんなことを何も知らずに、抗がん薬は入院しないで外来通院で対応できる時代なのだと考えられているとしたら、この国の医療の質が本当に高いといえるのだろうか?

私には、恭子の乳がんに抗がん薬が効くに違いないという確信があった。それはがん患者の家族なら誰もが信じるという範疇の確信である一方で、薬というものを、たとえそれがサプリメントであっても服用することを極端に嫌う恭子は、どんな薬でもたまに飲むとはっきりと効能が表れるという様を傍で見続けてきた夫の確信でもあった。

がん患者も、その家族も、自分や自分たちは特別だと信じている。自分たちは特別に幸運な例外であると信じて疑わない。

10年生きて欲しい!

転移性乳がんの生存曲線をこっそりと見てみる。惨憺たるものだ。しかし、どの進行がんの生存曲線でもそうであるが、徐々に生存率が低下してほとんど生き残る人はいないと思われる期間が過ぎてもゼロにはならず、地を這うようにほんの数%の生存者が残って、曲線は5年、10年と横ばいを示す。幸運な生存者、ロングターム(長期生存者)である。私は恭子がこのロングタームに入っていると信じている、どのがん患者の家族もそう考えるように。

私がそう信じるのには文献的な裏付けもあった。転移性乳がんの中でも遠隔転移が骨に限局している患者は生存期間が長いのだ。素人が考えても骨転移は比較的制御しやすい転移巣だから。骨の中でがんを動けなくさせるビスホスホネート薬の役割も大きい。一縷の望みがある。5年といわず、10年生きて欲しい!

2番目の副作用は脱毛

抗がん薬治療のため髪を切った恭子

2014年9月27日は、私たちの27回目の結婚記念日だった。

恭子と「フォーシーズンズ」という映画を観て、夕食は高台にあって夜景の美しいフレンチレストランで摂った。恭子が車を運転してくれるから、私たちは少し離れたところにも夕食を食べに出かけられる。私はお酒を飲むために夕飯を食べるような人間だから、お酒が飲めないのなら食事は無味乾燥なものになってしまう。

FEC療法の副作用の2番は、脱毛だ。全身の脱毛が起こるけれど、頭の髪の毛が抜けてしまうのは女性にとっては嫌な副作用だ。私たちはウィッグの店を訪れた。恭子の通っている大病院にほど近いビルの6階にひっそりと人目を避けるようにサロンはあった。なるべくちゃんとしたものを選ぶ。「高価でもいいよ」と恭子にいう。ウィッグのほかに、帽子に髪が付いているものも購入。サッと、装着できて便利そうだ。

皮肉にもウィッグをあつらえに行ったその日頃から脱毛が始まる。夜は使い捨ての紙キャップを付けることにする。疲れやすくて、夜眠りにくいというので、2人で睡眠導入剤を服用することにする。

恭子の髪の毛はハラハラと抜けて、頭皮はブヨブヨしていて痛い、シャンプーも痛いし、ブラシをかけるのはとても無理だという。恭子は「自分でも頭は鏡で見ないことにするから、パパも見ないでね」というので、「わかったよ」と約束する。(つづく)

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