君を夏の日にたとえようか 第4回
40年来の大親友に病気を打ち明ける

京都から帰った翌日、27日の月曜日はぐったりして、からだの芯から疲れているという。熱は37℃台前半、倦怠感も強そう。やはり、無理はできないのだ。FEC療法は2週間後をボトムにして3週目の前半を過ぎたころ、つまり次のクール前の3日間ほどがましなだけで、また、ごつんと抗がん薬でからだがぼろぼろになるまで叩かれる。過酷な治療だ。
FEC療法はDana-Farberの専門家が「ステージⅣの乳がんにアメリカではもうあまり使われない」と言っていた意味がだんだんわかってきたような気がする。これだけ過酷な治療が、はたして延命とQOLを保つのが治療の目的だというステージⅣ乳がんの治療としてふさわしいのかどうかは、判断の分かれる難しい問題だと思う。
しかし、私は山崎先生のこの厳しい選択に対して感謝こそすれ、疑問を呈したりはしない。長年の経験から一番きついが、一番効果がある治療を最初に選択してくれたのだ。恭子にできるだけのことをという気持ちの表れだと思う。
3クール目のFEC治療を翌日に控えた日に、恭子は自分の病気のことを大学入学と同時にコーラス部で一緒になって以来の一番の親友であるさっちゃんに話したそうだ。40年来の大親友だ。私たちが結婚する10年も前からの親友だ。ホッとしたという。
これも奇跡のような奇遇だが、私たちが20年ほど前に建てたマイホームのある同じ団地にさっちゃんはずっと以前から暮らしているのだ。頻繁にお互いの家を行き来してお弁当持ちでお茶をしながら半日もおしゃべりしたり、電話で何時間も話し込んだりしている。まさに、何でも話せるかけがえのない友だちなのだ。
10月29日。3クール目のFEC療法。
「ジアゼパム、ドンペリドン、吐き気止めのツボ指圧の効果か、吐き気は2日間強かっただけで、前回より楽だった。筋肉痛、倦怠感もまし。初日の点滴治療中が一番むかむかして気分が最低だった。この対策が必要だ。トラウマかも知れない。アルコールの臭いで吐き気を催す。ジアゼパムが有効だ。デキサメサゾンはこれまで2日しか飲まなかったが、今回は効いた気がする。1~2錠を頓服として3~5日目にも飲んだ。家の点滴も柔らかい留置針で楽だった。パパ、ありがとう‼ 食べられると嬉しい。体重は2~2.5kg減った。少しずつ戻そう」(恭子の闘病記録)
しんどくても合唱団に歌いに行く。出かけるまでは気が重いが、歌っているうちにのめり込んで、歌った帰りは2人ともルンルン気分。やっぱり歌わないとダメだ。
音楽に没頭できると、現実を忘れてしまう。幸せな気持ちになる。帰りの車の中で、「楽しかったね」と恭子がはしゃぐ。有難いことだ、私たちの闘病を支えてくれているこのアンサンブルの音楽とメンバーの方々の優しさが。
子どもたちの結婚式まではがんばって生きないとね
国立がん研究センター中央病院のセカンドオピニオンを聞きに行く日取りが、来年の2015年1月26日の月曜日に決定。山崎先生はこの日取りには不満を漏らされた。もっと早く行って、FEC療法を半年続けるべきか、後半の3カ月を転移性乳がんの1次化学療法で使うことを推奨されるもう1つの薬剤であるタキサン系に変更すべきかの意見を聞いてきてほしかったらしい。つまり、タキサン系を使わずに温存しておいたほうがいいかどうかの意見を参考にされたかったようだ。
もう1つ、山崎先生が不服だったこと。11月23日に東京である姪の結婚式にどうしても出席したいと言ってきかない恭子は、4クール目のFEC療法の日程を予定の19日から26日に延期してほしいと要望した。先生はシブシブ承諾してくれた。「あまり延ばさないほうがいいんだけど」と言われたらしい。恭子は頑として譲らなかった。こういうところは、恭子は本当に頑固だ。
恭子はこれまで通り、家事と歯科医院の経理関係の仕事を頑張って続けてくれている。

11月23日。家族4人が久しぶりに集合して、東京での姪っ子の結婚式に参加できた。
「結婚式に東京に出てきて、くたくた……。でも、子どもたちの結婚式まではがんばって生きないとね。勇気をもらったけど、結婚式では涙が止まらなかった。子どもたち2人ともがんばれ‼ 私もがんばるよ! スミレ(中学1年のときに奇跡的に巡り会った大親友)。ドイツから一時帰国して東京にいるから会おうとメール。でも会えず。その元気がないのが悲しい。そのうち必ず会いたい人だ。いろんな人に会うのはいい。別世界に住んでいるから、少し現実社会に戻る感じ。久しぶりのおめかしでうれしい。子どもたちがウィッグに気がつかなかったようでよかった。年末にはちゃんと話そう」(恭子の闘病記録)
役立つことなら柔軟に取り入れる医療を
11月26日。4クール目のFEC療法。山崎先生から「腫瘍マーカーNCC-ST-439が正常になっているが、腫瘍マーカーは目安に過ぎないから判断は慎重にしなくてはいけない」と言われた。私の触診でも、腫瘍がわからないくらい恭子の左側の乳房は柔らかくなっている。腋窩リンパ節は触知不能。FEC療法がよく効いているから、12月10日にPET-CTを撮ってみることになった。
「手術も含めて、次に何がよいか、がんセンターで早く聞いてくるように」と、またセカンドオピニオンの念を押される。Dana-Farberのドクターの意見も聞いてみては、というようなことも言われていたらしいが、私は診察には同行していなかったので、先生の意図が十分には理解できなかった。日本で使える分子標的薬は限られているから、というようなことも言われたらしい。
しかし、山崎先生はもうすでに次の手は決めておられた。FEC療法は今回で終了して、次回からはタキサン系のうちでタキソテール(一般名ドセタキセル)のプロトコルを始めると宣言されたのだ。副作用としては、「吐き気は強くないが、むくみ、爪の変形、手足のしびれなどがあるので、手足の指を冷やしながら点滴をしてもらいたいと申し出てください」と看護師さんから説明を受ける。それと「アルコールの弱い人は申告すること」も。
がん看護専門看護師のカウンセリングも受ける。リンパ浮腫が恭子にとっては一番気がかりだったのだ。採血が悪いのではなくて、駆血帯で締めつけるのが悪いのだから、二の腕を縛らないほうがいい。手の先のほうから採血してもらうように。また、血流の返りが促されるから肌に何か触れているのがよい。ヒートテックなどもお勧め。風呂上りに、手足にクリームを塗って抹消から胸管に向かって滑るようにマッサージすること。冷え性も同じだが抹消まで血液が流れても返りが悪いのだから、それを促すように運動やストレッチもよいとアドバイスを受ける。
整体師の中川先生が、吐き気予防の経絡(けいらく)にしてくれた施術は明らかに効いたようだ。国立がん研究センターなどでは、抗がん薬治療の嘔気(おうき)など副作用軽減のために積極的に東洋医学を取り入れているらしい。もっと広く普及すれば患者さんにとっての恩恵は大きいと思う。西洋医学だけではなく、東洋医学や民間療法や音楽や瞑想やヨガなどの代替医療で役立つことはなんでも柔軟に取り入れる医療が望まれる。(つづく)